20歳から野球人生をスタートさせた男
22/10/1ある1人の独立リーガーが引退した。
大前拓也28歳、和歌山ファイティングバーズ(関西独立L)に所属する選手である。
彼は20歳で高校野球未経験で独立Lの門を叩き、関西独立Lで3年間先の見えない孤独に耐え、努力を重ねBCリーグ(滋賀)の合格を勝ち取った。NPBとは違えどお金を貰ってプレーをするプロ野球選手になった。そこから1年後、滋賀を自由契約になり、関西独立L(堺)に戻ったが、アジア九州独立L(大分)でプレー、滋賀の時は控えが多かったが大分Bリングスではスタメンを勝ち取り活躍、今シーズンは現役最後を宣言し和歌山FDでプレーしていた。
読売新聞記事↓
https://www.yomiuri.co.jp/local/wakayama/feature/CO051512/20220311-OYTAT50044/
時は遡り、2012年私は彼と出会った。シーズン前の関西独立Lの合同トライアウトで参加者は大前選手のみ。彼のプレーを見ていたチームメイトは「サッカー部が授業で野球をやっているようだ」と口をそろえて言っていた。私も彼のプレーをみて同様の感想を抱いた。
線は細く身長はあるが、プレーに力はなく、金髪に眼鏡完全に場違いだと思った。
しかし当時の関西独立Lは3チームあった1チームは脱退し1チームが新しく加入予定。
リーグ運営は手探り状態の中で退団者は続出し、チームに十分に人数がいない中、06ブルズは大前選手を練習生として獲得する事になった。
この年06ブルズが獲得した選手は戦力とは程遠い素材が多かった(筆者を含む計4名)
熱量の違い、実力不足。同じ境遇であった大前選手と筆者が時間を共にするまでに時間はかからなった。
独立Lとは言えその最下層に位置する関西独立L(当時はBFL)で試合にも出ず、バイトでお金を稼ぎ、生活は苦しく、将来などあるわけもなく、影ではニート予備群製造だと揶揄されていた野球チームの選手という共通点。ただこのまま野球選手として終わるのはヤダという気持ち。大前選手とは馬が会った。
当時の06ブルズは他球団に比べて寮もなくスポンサー先のバイト雇用等もない為、
試合年間(50試合ぐらい)以外は午前中練習で午後からはフリー(バイト等)であった。私と大前選手は近隣の中学校の計らいで鳥かごゲージがある(縄手南中学校)で時間が空いている時はほとんどをこのゲージの中で過ごした。12時間ゲージの中で練習に明け暮れる事も多々あった。
高校野球の分を取り返す為には俺が付き合うから死ぬ気で取り戻さないといけない。
お前には未来がある、頑張れと常に励まし続けていた記憶がある。
高校野球は家庭の事情でできなった彼はほとんど独学で野球をやっていた為(小中も田舎でほとんどやってないに等しい)、打撃でも守備でも理想の形という事を全く理解していなかった。チームで監督(現ソフトバンク1軍打撃コーチ)に教えてもらうだけでは足りないと思った私はチームメイトのプレーについてどう考えているのかを質問したり、プロ野球をなけなしの金で一緒に見に行った事もあった。
身体についても基礎体力がないのでトレーニングについて考えさせたり、山に連れていって下半身に力をつける怪我をしない身体作りを教えた。
特に食事面では食材の選び方等を1から教え、ファミレスの食べ放題につれて行き閉店ギリギリに行き吐くぐらい食べさせた(私は苦しくて吐いていた事もありましたが…)
1年目が終わり結果は出なかったが、来シーズンに向けての土台はかなり本人の努力でできてきたと感じていた。来シーズンも野球をやるか悩んでいた大前選手だったが、来年だけは俺も続けるからやってくれと頼み込んだ記憶がある。大前選手は来年もプレーするか悩んでいた…
彼の気持ちもわからなくもない…道の無い道、暗闇の中、もし結果を出しても誰が評価してくれる場所に私たちはいない。こんな所で野球を続けて何になるのか…田舎に帰って働きながら遊びで野球をするぐらいにした方がいいんじゃないか…当然の悩みだった。
だから自分の気持ちを大前選手に伝えた。
「多分来年で俺は25歳になり野球に区切りをつける、でもお前は今年含めて3年は続けろ高校野球できなった期間分は絶対に諦めるな。お前はまだ21歳、今から働こうが、24歳で働き始めようがキャリアは変わらない」
そして2年目が始まった大前選手はレギュラーをつかみ、9番サードで出場する事が多くなった。1年目は打席に立てばバットを折る。4打席連続でバットを折った事がある大前選手はHRを2年目は打つまでに成長。そしてそのオフ四国のトライアウトで最終選考まで勝ち残ったが落選。
この年、私は25歳で現役引退
「お前には才能がある。今まで野球をやっていなかったハンデは絶対取り返せる。俺の夢はお前に託す。来年頑張れ」
その後、姫路GWに移籍した大前選手は関西独立Lの選抜チーム(NPBと対戦するチームに)に選ばれるまで成長した。そしてそのオフ見事にBCリーグトライアウト合格。年は25歳になっていた。涙が出るほど嬉しかった。何もかも未熟だったあの頃を知っているだけに本当に嬉しかった。その後は滋賀では出場機会は恵まれなったが、堺、和歌山、そして九州独立L大分移籍し活躍、今シーズン和歌山DFでラストシーズンを迎え今日を迎える。
●20歳から野球を真剣に始めてプロ野球選手になった男
「今まで夢を見せてくれてありがとう」
正直ここまでやってくれるとは思っても見なかった。大前選手の活躍は自分の事のように嬉しかった。本当にありがとう。そしてお疲れ様。
自分は彼に間違った人生の選択を教えてしまったのではないか。
そんな事を思った事もあったが、本当に野球が好きで努力できる人間であり今の自分の立ち位置を俯瞰する事ができるし、貪欲に知識を吸収する事もできる人間で、急成長していく大前選手を見続けていきたい気持ちがあり、もし野球がダメになっても大丈夫だと直感があるから現役引退後もなんとかなると思っていたからこれからも心配はしていない。
彼の現役最後のプレーを見れなかったことは残念でならない。だけどいつかまた野球場で会える事を期待している。昔から多くを語らない大前選手だから話じゃなく、スイングで互いに察する事ができればいいと思う。
大前拓也選手が歩いた道はレールが出来た。誰もいない道を進み続けた。自分を信じて戦ったからこそ成し得た事。誰かの励みになれば嬉しいです。
自分が知っている彼の話になります。最後まで読んで頂きありがとうございました。
【終わりに】
昨年の村人1グラプリで入選し地上波出演Amazon primeのBCリーグドキュメンタリーに出演していた大前選手を見て本当に世の中わからんなと思う。7年前の大前に(元横浜)白崎選手タイプだと常々言っていた。後にその白崎選手と大分Bリングスで一緒にプレーする事になるし、本当凄いよな。
あの時は結構、都合の良い女みたいな扱い受けてたけど、(練習誘っておいてドラマ見てるから1時間以上遅刻してきたり、金欠の時は優しくして飯奢らせるとか)あったけど、結果的に良かったと思う。今俺が野球やってるのもお前より打撃では上でありたいライバル心があるから。大前選手の活躍は刺激になってる。今まで現役でいてくれてありがとう!
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