見出し画像

nページの押し花

23:03

こんな時間に言葉を探している。

週の初日。まだ次の休みまで働かなければならないというのに、言葉に詰まって、しかも何か言わなければ前へ進めない気がしている。

私は意思表示が下手だ。意見を言うことも、決定を下すことも人より遅い。確かに自分は考えていたはずなのに、自分の感覚に「それは本当か?」と疑問がわき上がって、途端に何を考えていたのかわからなくなる。


「一人で生きる気あるの?自分で考えて。何を考えているのかわからない」

頭の中でわんわんしているこのセリフ。とても哀しくて哀しくてどうしたらいいのかわからなくなった。でも、哀しい原因もわからない。

信頼していた人間にその言葉で拒絶されたから?冷たい言い方だったから?意見交換をしたいのに向き合ってくれないから?さも私一人の問題のように押し付けられたから?

全部あたりだ。それにプラス、相手の「”私の為”の意向に私が沿わないから」と「私の意見が乏しい事実の原因が今までの環境にあるから」。

少なくとも私が自分の気持ちを矯めつ眇めつした結果はこうなった。


大人の生き方は24時間らしい。

食うために、お金のために24時間戦うのだそう。そうでもしないと、一人でなんて生きていけない世の中だ。贅沢なんて以ての外。寝ることあたわず。とても哀しい。とても。わたしは大人じゃないのかもしれないな。

どこか自分の心の成長が止まってしまっている感は否めない。親の意向に沿うように生きてきたし、いざこざがあれば中間になって両意見をうんうんと聞いてきた。我の強い友達がいれば、苦笑いしながら話を合わせる。

潤滑油に意志はない。片方の意見が強ければ、よく聞き、もう片方の立場になって別の見方を提示してみる。わたしはそんな生き方をしてきた。物事のバランスを緩和し整理し、調整したところに良い着地点や答えがあると思っている。そして、その自分の役割に一種誇りもあったように思われる。でもそれではバカを見るのだろう。


自分の生き方ではない生き方をしてみようか。

自分には合わない、続かないと薄々悟っている生き方を強いてみようか。

自殺行為かもしれない。でも、そんなに自分に価値があっただろうか。自己肯定能力も頗る低いので苦しい限りだ。

私が選んだ選択に野次や罵倒や嘲りや溜息が既に頭の中に聞こえる。それでも進むだけの意思が必要なのだろう。

やらないよりはマシだろうか。このご時世に一人暮らしスタートは馬鹿もいいところだろう。

この判断は正しいかと聞きたいところだが、自分で考えろと請けあってもらえないのは目に見えている。そして別の意見を求めると、一人暮らしなんてしないで実家に居なさいと言われてまた板挟みで途方にくれるのだろう。

正直、今、気をぬくとすぐ泣いてしまうくらい傷ついている。

ここまで長々とまとまりのない、ひねくれた意見を羅列してきたように思う。でも、言葉にしていきたい。自分のスルーしてきてしまった感情や意見に向き合っていきたい。

只今、0:10。