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【予言】楽観主義とは少し違う。ピンカーの未来予測——21世紀の啓蒙#2

人類の進歩を問う大作を何度も世に送り出してきた巨匠、スティーブン・ピンカー。本稿では、最新作である『21世紀の啓蒙』から、ピンカー教授が考える「人類の未来の在り方」を示す。
私たちNewsPicksパブリッシングは新たな読書体験を通じて、「経済と文化の両利き」を増やし、世界の変革を担っていきます。

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進歩の継続を支持し、取り組む

まだ過去になっていない物事について楽観的なことをいうと、考えが甘いとか、評論家がよくエリートをけなしていうように「わかっていない」と思われてしまうことがある。それに、わたしたちが実現できる進歩は、その最中には誰も気づかず、あとになってようやく進歩していたのだとわかるようなものばかりだ。

また、自由民主主義なら完全に公正で、公平で、自由で、健全で、調和のとれた社会を実現できるのかというと、それは無理な話だ。

人間はクローンではないし単一文化で育つわけでもないので、誰かが満足することには、別の誰かが不満を覚える。したがって、どうにかして平等を実現しようと思うなら異なる対応が必要で、全員まったく同じ扱いというわけにはいかない。さらに、自由を手にするということは、失敗する自由も手に入るということなので、人間がその手で自分たちの暮らしを台無しにすることもありうる。

つまり、自由民主主義は確かに進歩を可能にするが、面倒な妥協やたゆまない改革も常に必要で、それらなくして進歩はない

両親や祖父母が望んでも手に入れられなかったものを──もっと大きな自由、もっと豊かな暮らし、もっと公平な社会を──子どもたちは手に入れた。だが人間は過去の苦難を忘れ、子どもたちは新たな問題に直面する。
しかもそれは過去の問題を解決できたからこそ生じた問題だ。その新たな問題もいずれ解決できるだろうが、すると再び、解決したことによって新たな状況が生まれ、新たな条件が求められることになり……という繰り返しが永遠に、しかも予測できない形で続いていく。

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進歩とは本来そういうものだ。創意工夫、共感、よい制度がわたしたちを前進させようとする一方で、人間の本性の負の部分がわたしたちを後退させようとする。それが結果的になぜ前進につながるかについて、テクノロジーの専門家、ケヴィン・ケリーはこう説明している。

「啓蒙主義以来、そして科学の誕生以来、わたしたちは毎年、破壊した分よりほんの少し多くのものを創造してきた。そのプラスはわずか数%かもしれないが、何十年も積み重なれば文明と呼べるものになる。進歩というのは動きとしては見えにくく、あとから振り返ってみて初めてわかる。だからわたしは常々こういっている。わたしが未来に対して大いに楽観的なのは、歴史を見てのことなのです、と」


このように長期的な前進と短期的な後退の、あるいは歴史の流れと人間の営みのあいだでうまく折り合いをつけていこうとする前向きな姿勢のことを、ピタリと言い表す言葉がない。「楽観主義」は少し違う。物事は常に良くなると考えるのは、常に悪くなると考えるのと同じように、合理的とはいえない。ケリーが使ったのは、ユートピアでもディストピアでもない「プロトピア(protopia)」という言葉だった。「プロ」はprogress(進歩)とprocess(プロセス)のpro-である。

ほかには「希望に満ちた悲観主義(pessimistic hopefulness)」「楽観的現実主義(opti-realism)」「急進的漸進主義(radical incrementalism)」などと呼ぶ人もいる。

わたしのお気に入りは、後に『ファクトフルネス』を発表するハンス・ロスリングが「あなたは楽観主義者ですか」と聞かれたときに使った言葉だ。
「わたしは楽観主義者ではありません。とても真剣なポシビリスト(可能主義者)です」

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目次
第1部 啓蒙主義とは何か
第1章 啓蒙のモットー「知る勇気をもて」
第2章 人間を理解する鍵「エントロピー」「進化」「情報」
第3章 西洋を二分する反啓蒙主義

第2部 進歩
第4章 世にはびこる進歩恐怖症
第5章 寿命は大きく延びている
第6章 健康の改善と医学の進歩
第7章 人口が増えても食糧事情は改善
第8章 富が増大し貧困は減少した
第9章 不平等は本当の問題ではない
第10章 環境問題は解決できる問題だ
第11章 世界はさらに平和になった
第12章 世界はいかにして安全になったか
第13章 テロリズムへの過剰反応
第14章 民主化を進歩といえる理由
第15章 偏見・差別の減少と平等の権利