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なぜビジネスだと人に「道具」のように振る舞うことを求めるのか──『他者と働く』#3

忖度、対立、抑圧…あらゆる組織の問題において、「わかりあえないこと」は障害ではない。むしろすべての始まりである──。ノウハウが通用しない「わかりあえない問題」を突破する、組織論とナラティヴ・アプローチの超実践的融合した一冊より一部を公開いたします。
私たちNewsPicksパブリッシングは新たな読書体験を通じて、「経済と文化の両利き」を増やし、世界の変革を担っていきます。

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道具としての関係性からいかに脱却するか

 対話について、少し雰囲気がつかめたでしょうか。

 先の兄弟の対話の中で、次男がどんなに優秀であろうと、技術的問題として、「組織論」や「チームマネジメント論」、「コミュニケーション術」、「交渉術」などを駆使しても、問題は部分的にしか解決しなかったでしょう。なぜならば、そのアプローチの前提には、「兄が社長にふさわしいか(問題がないか)」という前提があり、さらにその前提には、自分がよいと考える基準に沿って、相手を一方的に評価するという関係性が成り立っているからです。

 その状態では、お互いに反発が生じて、お互いの持ち分を生かし合うことができないでしょう。

 では、対話によって2人の新しい関係性はどのように変わったのでしょうか。

 かつては「兄と弟」であった関係は、お互いに仕事をするようになって、今度は会社の重責を別々に担う関係に変わりました。その中で、弟は兄を評価する視線を向けるようになっていったわけです。これが、対話を通じて、「社長になろうとする兄とそれを支える弟」という関係性へと変化していったのです。

 本書の中で「対話」の重要な概念である、哲学者のマルティン・ブーバーは、人間同士の関係性を大きく2つに分類しました。

 ひとつは「私とそれ」の関係性であり、もうひとつは「私とあなた」の関係性です。

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 「私とそれ」は人間でありながら、向き合う相手を自分の「道具」のようにとらえる関係性のことです。例えば、私たちがレストランに行ったとき、「店員」さんに対して、一定の礼儀や機能を求めることはないでしょうか。

 お金を払っているのだから、「店員」なのだから、要望を言えば、水なり料理なりを提供してくれる。そして、その人の年齢がいくつであれ、性別がなんであれ、「道具的な応答」を期待しています。

 ビジネスにおいて、このような関係はよくあることです。友達ではなく、仕事の関係なのですから、私情は抜きにして、立場や役割によって「道具」的に振る舞うことを要求する。人間性とは別のところで道具としての効率性を重視した関係を築くことで、スムーズな会社の運営や仕事の連携ができます。

 逆に期待していた機能や役割をこなせなければ、信用をなくしたり、配置換えにあったり、解雇されたりします。これ自体は悪いことではありません。そのように私たちは社会を営んできました。これが、「私とそれ」の関係性です。

 一方で、「私とあなた」の関係とは、相手の存在が代わりが利かないものであり、もう少し平たく言うと、相手が私であったかもしれない、と思えるような関係のことです。

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 例えば、上司と部下という関係はときに上下関係や対立を生み出すものです。しかし、優れたチーム、困難な問題に挑むチームは、上司と部下という公式的な関係を超えた、ひとつのまとまりとして動いているように見えるときがあるものです。そうした状態は、「私とそれ」の関係性から個々の違いを乗り越えて「私とあなた」の関係性へ移行したものとして捉えることができると思います。

 対話とは、権限や立場と関係なく誰にでも、自分の中に相手を見出すこと、相手の中に自分を見出すことで、双方向にお互いを受け入れ合っていくことを意味します。

 少し面倒でナイーブな話に思えるでしょうか。しかしこの問題こそが、私たちが実際に直面している「適応課題」の困難さなのです。

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はじめに 正しい知識はなぜ実践できないのか
第1章 組織の厄介な問題は「合理的」に起きている
第2章 ナラティヴの溝を渡るための4つのプロセス
第3章 実践1.総論賛成・各論反対の溝に挑む
第4章 実践2.正論の届かない溝に挑む
第5章 実践3.権力が生み出す溝に挑む
第6章 対話を阻む5つの罠
第7章 ナラティヴの限界の先にあるもの
おわりに 父について、あるいは私たちについて