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誰しもがナラティヴの中で生きている──『他者と働く』#6

忖度、対立、抑圧…あらゆる組織の問題において、「わかりあえないこと」は障害ではない。むしろすべての始まりである──。ノウハウが通用しない「わかりあえない問題」を突破する、組織論とナラティヴ・アプローチの超実践的融合した一冊より一部を公開いたします。
私たちNewsPicksパブリッシングは新たな読書体験を通じて、「経済と文化の両利き」を増やし、世界の変革を担っていきます。

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誰しもが持つ「ナラティヴ」とは何か

 社会で働く中で、私たちは気がつかないうちに「私とそれ」の関係性を相手との間に構築していることがよくあります。うまくいっているならば、無理にそれを変える必要はありません。しかし、そこから何か想定外の問題が生じたときなど、適応課題が見出されたとき、私たちはその関係性を改める必要が生じていると考えることができるでしょう。

 その一歩目として、相手を変えるのではなく、こちら側が少し変わる必要があります。そうでないと、そもそも背後にある問題に気がつけず、新しい関係性を構築できないからです。

 しかし、「こちら側」の何が変わる必要があるのでしょうか。

 それはナラティヴです。「ナラティヴ(narrative)」とは物語、つまりその語りを生み出す「解釈の枠組み」のことです。物語といっても、いわゆる起承転結のストーリーとは少し違います。

 ナラティヴは、私たちがビジネスをする上では、「専門性」や「職業倫理」、「組織文化」などに基づいた解釈が典型的かもしれません。

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 いくつか例を挙げてみましょう。上司と部下の関係では、上司は部下を指導し、評価することが求められる中で、部下にも従順さを求めるナラティヴの中で生きていることが多いでしょう。

 また部下は部下で、上司にリーダーシップや責任を求め、その解釈に沿わない言動をすると腹を立てたりします。つまり互いに「上司たるもの/部下であるならば、こういう存在であるはず」という暗黙的な解釈の枠組みをもっているはずです。

 さらに医者と患者の関係性であれば、医者は人命を預かった上で、患者を診断する対象としてのナラティヴで解釈します。患者は患者で、自身の身体の問題を正しく治療してくれる「先生」として解釈するでしょう。ナラティヴは個人の性格を問わず、仕事上の役割に対して、世の中で一般的に求められている職業規範や、その組織特有の文化の中で作られた解釈の枠組みから生じるものです。

 「リストラ」という言葉を考えるとわかりやすいのですが、日本でリストラと言えば、「雇用を守る責任を果たせなかった」という語られ方をよくします。そもそもリストラは、リストラクチャリング(restructuring)の略語で、企業の事業構造を「再構築」するという意味です。

 アメリカの場合だと、リストラに対して日本のような厳しい批判ばかりでなく、戦略的な経営判断として受け止められます。なぜなら、リストラは経営を立て直す再構築の全体戦略のうちの一つに過ぎず、主眼は雇用問題ではなく経営状況の回復であるというナラティヴがあるからです。

 ポイントは、どちらかのナラティヴが正しいということではなく、それぞれの立場におけるナラティヴがあるということです。つまり、ナラティヴとは、視点の違いにとどまらず、その人たちが置かれている環境における「一般常識」のようなものなのです。

 こちら側のナラティヴに立って相手を見ていると、相手が間違って見えることがあると思います。しかし、相手のナラティヴからすれば、こちらが間違って見えている、ということもありえるのです。こちらのナラティヴとあちらのナラティヴに溝があることを見つけて、言わば「溝に橋を架けていくこと」が対話なのです。

 そもそも溝に気づくこと自体、簡単ではありませんし、スターバックスのシュルツのように葛藤の中で見出すことも多くあります。しかし、他者との関係性の間に生じたナラティヴの溝に向き合うことで、人や組織を動かすことができるのです。

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はじめに 正しい知識はなぜ実践できないのか
第1章 組織の厄介な問題は「合理的」に起きている
第2章 ナラティヴの溝を渡るための4つのプロセス
第3章 実践1.総論賛成・各論反対の溝に挑む
第4章 実践2.正論の届かない溝に挑む
第5章 実践3.権力が生み出す溝に挑む
第6章 対話を阻む5つの罠
第7章 ナラティヴの限界の先にあるもの
おわりに 父について、あるいは私たちについて