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イーロン・マスク成功物語に出てこない、黒子の話──『ミッション・エコノミー』

これからは国と企業が手を取り合い、万人のウェルビーイングからSDGsまで巨大なミッションを掲げ、実現していく時代だ。

そして、それこそが「新しい資本主義」の姿である──。

スウェーデン、ノルウェー、イタリアなど各国首脳の経済政策顧問を務め、ビル・ゲイツ、ローマ教皇、トップCEOらに立場を問わず支持される経済学者、マリアナ・マッツカート。彼女が提唱する「ミッション・エコノミー構想」は今、欧州委員会ホライズン・プロジェクトに採用され、世界各国の経済政策に実装されつつある。

そんな彼女の構想を、本日発売の新刊『ミッション・エコノミー:国×企業で「新しい資本主義」をつくる時代がやってきた』から一部抜粋・編集してお届けする。

(翻訳:関美和・鈴木絵里子)

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忘れられてしまった政府の役割

1980年代以降、官僚は民間部門の補佐役以上の仕事を恐れ、リスクを避けるようになった。リスクテイクは官僚の仕事ではない、とされてしまったのだ。実際、政府は投資下手で、変化の方向性を決めるべきでなく、ましてや「勝ち組企業を選んで投資する」などもってのほかだという意見が一般的だ。

金融危機の際も、このところでは感染症危機の際にも、政府は多額の支出を行って経済を維持してきたというのに、「民営化盲信」「スタートアップ礼賛」をはじめとする「小さな政府」論の影響はいまだに大きい。政府は融通のきかない官僚組織であって、富を生み出す民間の欲深さを抑えるだけの機械だと思われている。その実、何度となく民間部門が救済されたことは忘れられているようだ。

これまでは、救済にしろ、再分配にしろ、尻ぬぐいが政府の役割だとされてきた。社会がよりしなやかでインクルーシブで持続可能になるように、これまでとは違う形で富を生み出し、経済を形づくることは、政府の仕事だとは思われていない。

こうした政府についての間違った理論は、間違った政策につながり、さまざまな理由からミッション志向の取り組みを妨げてきた。
 
ここからは、政府についてみんなが勘違いしている思い込みを暴き、なぜそれがミッション志向のアプローチで資本主義を変えることへの障害になるのかを説明しよう。

「リスクテイクは政府ではなく、民間の仕事」なのか

巷(ちまた)の根強い思い込みであるばかりか、経済理論の根底にあるのが「民間企業こそが価値を創造する」「市場の失敗を正すのが政府の役割」という前提だ。

これらの思い込みをもとにすると、政府は経済の方向性を決めるのではなく、補佐役に徹するべきだということになる。「政府は必要最小限のことに集中すべきで、勝ち組を選んで支援するべきではない」というわけだ。

2008年のアメリカ大統領選で共和党の副大統領候補になったサラ・ペイリンは「政府は市場に優しい政策を進めるべきで、勝ち組と負け組を選別せず、競争をうながし、公平な競争条件を整えるべきだ」と語っている。イデオロギーの薄いグループの中でさえ、官僚が悪気なく「自分たちは勝ち組を選ぶ立場にない」と言い訳をすることもある。

だがこれは間違っている。どんな支援を差し出すかを政策立案者が決めるのは当たり前だし、支援先を選ぶのも当然のことだ。

「勝ち組を選ぶ」とはつまり、重要で成功しそうな技術や企業や産業を選ぶことで政府が経済の方向性を決め誘導することにほかならない。何を選ぶかは、多くの要因に左右される──技術的な優位性の確保、知識の普及、雇用の創出、生産性と所得の向上、地方創生、防衛など、目的はさまざまだ。政府が特定の技術や分野の発展をうながそうとすると、広い意味では勝ち組を選ぶことになる。それが恣意的に支援先を選んでいるように見え、軽蔑の目が向けられてきた。

一方で、リスクテイクは民間の仕事であるとされるが、かといって民間企業だって勝ち組選びが上手いわけではないだろう。ベンチャー企業が失敗してもそれほど目立たないが、政府が手を出すとたいてい失敗して、納税者がツケを払わせられると思われている。

テスラ成功の裏には

「政府は勝ち組を選ぶな」派がよく持ち出すのが、超音速旅客機「コンコルド」の失敗例だ。1976年から2003年まで英仏間を飛んだコンコルドは、技術の大勝利ではあったものの、製造費用が予想を大幅に上回り、民間航空業界に超音速革命をもたらすことはできなかった。

アメリカの太陽電池パネルの新興企業ソリンドラの例もある。ソリンドラは2009年にエネルギー省から5億3500万ドルの保証つき融資を受けたが、4年後には破産を申請した。

しかし、政府もベンチャーキャピタルと同じで、勝つこともあれば負けることもある。アメリカ政府は、ソリンドラに融資を行った同じ年に、テスラにも4億6500万ドルの同様の融資を行った。政府が賭けに出ていなければ、テスラも存在しなかったはずだ。

同様に、中国が世界最大の鉛筆生産国になったのは、技術がすぐれていたからでもなければ黒鉛の生産地だったからでもない。国家がはじめから競争力のある産業をつくる意図を持ち、支援していたからだ。中国の国有企業が技術と労働力に投資し、政府が資金を提供し、国内生産者を関税で保護し、甘い森林管理政策で木材の価格を抑え、手厚い輸出補助金を支給していたのだ。

肝心なのは、ポートフォリオ

政府が「最初の投資家」として経済の舵(かじ)を握り、デジタル革命や環境対策の目標に向けて行動するとすれば、当然ながら、誰かに賭けて勝ち組を選ぶことになる。ただ、政府は方向性を決めたら、その方向性の中で幅広いポートフォリオに投資すべきだ。

言い換えれば、ひとつの技術や特定の業界(たいていは、ロビー活動が強い業界)、あるいは企業の種類(中小企業など)を選ぶのではなく、複数の業界にまたがる新しい協力関係を促進し、そこに関わる企業の成長を広くもたらすような方向を選ばなければならない。

ベンチャーキャピタルのようにポートフォリオを組めば、リスクは減る。

実際、オバマ大統領がグリーン経済への移行に関心を持っていたからこそ、環境省はテスラやソリンドラやその他のグリーン企業に融資を保証した。そのうちのひとつが失敗するのは至極当然のことだ。

ベンチャーキャピタリストならわかるが、ひとつの成功の陰には多くの失敗がつきものだ。問題は、リスクを社会が負担し、民間企業がリターンを独り占めすることだ。

政府は、破綻企業(ソリンドラ)を救済したが、成功企業(テスラ)からは利益を得ていない。さらに、ソリンドラの失敗に政府が関わっていたことはメディアで大きく取り上げられたが、テスラの成功に果たした政府の役割については取り上げられず、民間企業の成功事例だとされている。

49億ドルの補助金を受けたイーロン・マスク

ひとつの興味深い例は、昨今の宇宙開発である。

これまで、リスクの大きい資本集約型の投資を行ってきたのは、NASAや欧州宇宙機関のような国家機関だった。いまやスペースXのイーロン・マスクやヴァージン・ギャラクティックのリチャード・ブランソンまで、数多くの民間企業が宇宙に進出しているが、こうした民間企業は、リスクが一番高い段階で宇宙開発に投資した国家の負担の上に乗っかっている。だとしたら、ここから得られるリターンをどう分配するのが正しいのか?

イーロン・マスクは、スペースXを含む3社合わせて49億ドルの公的補助金を受け取ったと報じられている。だがマスクの起業家としてのサクセスストーリーの中に補助金の話は一切出てこない。納税者の負担をもとに稼いだ金銭報酬は人々と共有されていない。政府とそんな契約が結ばれていないからだ。

こうしたことによりますます政府が「勝ち組を選ぶべきではない」という考え方が強まっているのだ。

投資の失敗から得られるもの

また、投資の失敗からは貴重な教訓が得られるということも覚えておいたほうがいい。

たとえば、1975年に倒産しかけたブリティッシュ・レイランドが国有化されたことで、イギリスの自動車産業は崩壊をまぬがれ、その後の発展につながったと言われる。

1971年にロールスロイスを国有化した時もそうだった。ロールスロイスは今や航空機エンジンのトップメーカーとしてイギリスの航空宇宙産業の中心的存在となった「イギリスにしては珍しい世界最先端の製造企業」なのである。

また、コンコルドに話を戻すと、今はもう飛んでいないが、その技術はさまざまな業界に波及効果をもたらした。超音速飛行の大きな空気抵抗に耐えるため、翼や窓用に新しい冷却システムが開発され、オーバーヒートを防ぐために反射が2倍の新しい塗料も開発された。

こうした波及効果があったからといって、かならずしも投資に値するものだったとか、費用対効果が良かったと言い切れるわけではない。ただし、このような点は投資評価に入れるべきなのに、今のところ適切な評価はなされていない。

政府抜きの「市場」は存在しない

何よりも、議論の枠組みが根本的に間違っていることが問題だ。

そもそも「市場の失敗」と言うときに、公的な活動抜きに「純粋な」市場や「純粋な」プロダクトが存在しうるという思い込みがそこにある。つまり、政府に関係なく民間部門が価値を生み出せるという思い込みだ。

多くの人がこうした思い込みにとらわれて、官僚は害だと信じて官僚の手足を縛ると、人々のために価値を創造する能力への自信が官僚から失われていく。官僚の役目は政策を実行することだが、同時に権力に対して真実を語る責任もある。しかし、政府の手足が縛られて、何がうまくいくのかを官僚が自由に探求できなければ、官僚は慎重になり、政府の志も萎んでしまう。信念と創造性は押しつぶされてしまう。創造性を失った政府は、ますます人々のために価値を創造できなくなる。

バフェットの至言

現実には、官と民と市民社会が関わり合うところに価値が生み出される。

ウォーレン・バフェットはかつて、「私が稼いだ金の大半は、社会のおかげだ」と言ったが、その通りだ。

市場と経済はまさしく、公共部門と民間部門と市民社会の関わり合いが生み出すものである。政府の政策はただの「おせっかい」ではない。それが市場の形成を助けている。規制当局、労働組合、ロビー団体など、官民両部門やそのはざまにある他の多くの機関も同様だ。経済環境が変わる中で、政府が行動してはじめてそれ以外の人たちが動くこともある。

政府が積極的に企業や市民社会と力を合わせれば、価値を共創することもできるのである。

(本書『ミッション・エコノミー:国×企業で「新しい資本主義」をつくる時代がやってきた』へ続く)

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【目次】
第1章 政府・企業・資本主義をつくり直す
第2章 危機に瀕した資本主義
第3章 新自由主義の間違い
第4章 いま、アポロ計画こそが「最高の教訓」である
第5章 課題起点のミッションマップをつくる
第6章 理論と実践
第7章 新しい資本主義へ
原注
「なぜ世界は今、マリアナ・マッツカートを支持するのか?」──訳者あとがき