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【予言】楽観主義とは少し違う。ピンカーの未来予測——21世紀の啓蒙#1

人類の進歩を問う大作を何度も世に送り出してきた、ハーバード大学が誇る科学啓蒙家、スティーブン・ピンカー。本稿では、ビル・ゲイツが「ぼくの生涯の愛読書だ」と異例の賛辞をよせる最新作『21世紀の啓蒙』から、ピンカー教授が考える「人類の未来の在り方」を示す。
私たちNewsPicksパブリッシングは新たな読書体験を通じて、「経済と文化の両利き」を増やし、世界の変革を担っていきます。

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経済の停滞は多くの問題の根底にあり、21世紀の政策立案者たちにとって大きな課題となっている。だがそれは進歩の終わりを意味するのだろうか?
いや、そうではないだろう。

その理由の一つは、確かに戦後の輝かしい時代に比べれば緩やかだが、経済成長は今も続いていることである。実際、それは大きな、指数関数的な成長といってもいい。というのも、世界総生産はこの55年間のうち51年間で増加しているからだ。

これはつまり、その51年間(最近の6年間もここに含まれる)についていえば、どの年も前年より豊かになっていたということだ。

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加えて長期にわたる経済停滞というのは、もっぱら先進国の問題だということもある。

世界トップレベルの先進国が毎年続けてそこからさらに発展するのは相当難しい。だが発展途上国の場合はやるべきことがたくさんあり、豊かな国々の成功事例を取り入れることにより、速いペースで成長できる。

現在、世界で進んでいる進歩のうち何よりすばらしいものは、数十億もの人々が極度の貧困から抜け出していることだろう。こうした途上国の進歩はアメリカやヨーロッパの経済の停滞に影響されていない。

また、たとえ技術が発展しても、それが生産性の向上として世界に浸透するには時間がかかる。なぜなら、どうすれば新しい技術を最適な形で活用できるかを理解するにはしばらく時間がかかるし、産業界が設備や制度を一新するにも時間がかかるからだ。

有名な例をあげると、電化は1890年代に始まったが、誰もが待ち望んでいた目覚ましい生産性の向上を経済学者が確認するまでには、それから40年の歳月を要した。

パソコン改革もまた、時間がたってからその効果が表れ、1990年代になってようやく生産性が大きく向上した(ちなみに、これはわたしのような昔からのユーザーには驚くことではない。1980年代にはマウスのインストールやドット・プリンターでイタリック文字を印刷しようとして、どれだけ多くの時間を無駄にしたことか)。

そこからすると、どうすれば21世紀の技術を最大限に活用できるかという知識は、今ちょうど積み上げられている最中で、もうじき知識のダムからあふれ出すのかもしれない。

テクノロジーの観察者たちは、人類は豊かな時代に突入していると主張している。

ビル・ゲイツは「テクノロジーは停滞する」というありがちな予測を、「戦争はもう起こらないだろう」という1913年の(誤った)予言になぞらえた。
起業家のピーター・ディアマンディスも「将来、世界の90億の人々に、きれいな水と栄養価の高い食事、手頃な価格の住宅、個人の適性に合った教育、一流の医療、それに環境を汚染せず、しかもいつでも手に入るエネルギーがもたらされているところを想像しよう」と述べている。

こうしたビジョンは空想などではない。すでに実用化されているか、もしくは近々実用化されそうなテクノロジーをもとにしたものだ。


将来の進歩をもたらしうる技術

では、そうしたテクノロジーにはどういったものがあるのだろう?
最初に、文字どおり経済活動のあらゆるものを動かす資源、すなわちエネルギーについて考えてみよう。

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まず、現在化石燃料に代わるエネルギー源の開発が進んでいるが、そのうち原子力発電では、小型モジュール炉(SMR)の形態をとる第4世代の原子炉なら、受動的安全性が確保され、核拡散抵抗性が高く、廃棄物も出ない。さらに量産可能で維持費も低く、燃料交換なしで数十年間運転でき、しかも石炭よりも低コストである。また太陽光発電にしても、カーボンナノチューブを用いた有機系太陽電池なら、既存の太陽光発電装置と比べ100%効率が良くなる。ムーアの法則は太陽光エネルギーにも当てはまるということだ。

しかもそうして得られた太陽光エネルギーは液体金属電池(主要構成要素である負極、正極、電解質がすべて合金などの溶融物で出来た電池。比較的低コストで劣化しにくいが数百度の高温で動作させる必要がある)に貯蔵することができ、理論的には輸送コンテナ大の電池があれば、一区画に供給できる電力を蓄えられ、超大型スーパーのウォルマートサイズの電池があれば、小都市の電力をまかなうことができる。

そして、これがあれば次世代送電網は、いついかなる場所で発電したエネルギーであってもそれを蓄え、いつでもどこでも必要な時と場所に供給できるようになるだろう。

加えて、テクノロジーは化石燃料にも新たな息吹を吹き込むかもしれない。たとえば新型のゼロ・エミッションタイプのガス火力発電所では、無駄の多い沸騰水ではなく、排気でタービンを直接回転させ、二酸化炭素は地下に隔離する。

またナノテクノロジーと3Dプリンティング技術、ラピッドプロトタイピング(試作品を迅速に製造すること)を組み合わせたデジタル・マニュファクチャリング(デジタル技術と物の製造の融合)によって、鋼やコンクリートよりも安価で強度の高い資材を製造できるようになっている。

それにより、途上国の家屋や工場の建設現場でも、その場で資材が簡単に製造できるようになるだろう。

あるいは、ナノ濾過(ろか)法による浄水技術があれば、水から病原菌や金属、さらには塩まで除去できる。ハイテクの屋外トイレには水や電気を必要としないものや、排泄(はいせつ)物を肥料や飲料水、エネルギーに変えるものもある。

精密灌漑(かんがい)と水資源のスマートグリッドは、安価なセンサーやAIチップを使用することで、水の使用量を3分の1から半分減少させられる。

イネは効率のよくないC3型光合成を行う植物だが、遺伝子組み換えによってこのC3経路をトウモロコシやサトウキビのC4経路に変えてやると、収穫量が50%増える。しかも今までの半量の水とずっと少ない肥料で栽培可能になり、温暖化による気温上昇にも耐えられる。

遺伝子組み換えの藻類は、空気から炭素を取り込み、バイオ燃料を生成することができる。

ドローンは遠隔地のパイプラインや鉄道を何マイルにもわたって監視でき、孤立地域にも医療品や交換部品を届けることができる。

ロボットは人間が敬遠する仕事、たとえば石炭採掘、品出し、ベッドメイキングなどを担ってくれる。

医療分野に目を向ければ、こちらもラボ・オン・チップという技術によって、リキッドバイオプシー(液体生検)が可能になり、一滴の血液や唾液から数百種類の病気を予測できるようになりそうだ。

AIはゲノムや症状や病歴のビッグデータを高速処理することで、医者の第六感よりも正確に病気の診断を下し、個人のそれぞれの生化学的特徴に最適な薬を処方するようになるだろう。

幹細胞は関節リウマチや多発性硬化症などの自己免疫疾患の治療に用いられるだろう。

それだけでなく、ゆくゆくは死体の臓器や動物の体内でつくり出されたヒトの臓器、あるいは自分の細胞をもとにして3Dプリンターでつくった臓器の移植も、幹細胞によって可能になりそうだ。

また任意の遺伝子の働きを抑制することができるRNA干渉により、たとえばインスリン受容体を制御するような厄介な遺伝子を封じることもできるようになるだろう。

抗がん剤によるがん治療は、従来のように体内で分裂増殖するあらゆる細胞を標的にするのではなく、腫瘍細胞に特有の遺伝子シグネチャーをもった細胞のみを標的にするものになるだろう。

グローバル教育も変化していくはずだ。

すでにスマートフォンにより、世界の知識は百科事典や講演、練習問題やデータセットという形で数十億人の手に届くようになった。ウェブを通じた個別教育もできるようになり、途上国の子どもたちはボランティア教師からスカイプでさまざまなことを学ぶことができ、世界中の地域で誰もがAIの教師に学ぶことができる。現在進行中のこうしたイノベーションは、たんにすばらしいアイデアが並んでいるというだけではない。それは「ニュー・ルネサンス」もしくは「第二の機械時代」と呼ばれる全般的な歴史的発展の結果生まれたものでもある。

産業革命によって始まった第1の機械時代を推進したのはエネルギーだったが、それに対して第2の機械時代を推進するのは「情報」だ。わたしたちは情報を大いに活用して、他のあらゆるテクノロジーを進歩させるようになった。

またそれと同時に、コンピューターの能力やゲノミクスといった情報技術自体も爆発的に進歩している。それを思えば、近い将来、革新的な技術は必ずや実用化されるだろう。

新たな機械時代の未来が明るいと思われるもう一つの理由は、いくつものイノベーションがそれ自体イノベーションが行われるプロセスから生まれるからでもある。

その1つめは、発明に必要なプラットフォームの大衆化だろう。たとえば、アプリケーション・プログラム・インターフェース(API)や3Dプリンターのおかげで、誰でもハイテク版DIYの愛好者(do-it-yourselfer)になれるようになった。

2つめはテクノフィランソロピスト(技術慈善家)たちの登場だ。彼らは小切手を切ってコンサートホールに自分の名前をつける権利を買うかわりに、自らの能力とコネクションを駆使し、地球規模の問題の解決を目指す。

そして3つめは、スマートフォンやオンライン教育、マイクロファイナンス(貧困層への小口融資)を通じて、世界の数十億の人々が経済力をつけたことだ。世界のボトムビリオン(最底辺で生きる10億人)のうち、100万人は天才級のIQをもっている。

そんな人々の能力がフル活用されたら、どれほど世界が変わるかを考えてみてほしい。

では、第2の機械時代は経済を停滞から救い出すのだろうか? 

それについては確かなことはいえない。というのも経済成長はどのような技術を利用できるかだけでなく、その国の金融資本や人的資本がその技術をどの程度利用できる状態にあるかによっても左右されるからだ。加えて、たとえ技術が十分に利用されていても、教科書どおりの経済政策が実施されていては効果が引き出されないこともある。

ほとんどの経済学者はGNP(国民総生産、またはその同類のGDP〈国内総生産〉)が経済の繁栄を示すには粗い指標であることを認めている。

確かに測定しやすいという長所はあるものの、GNP(もしくはGDP)は労働力を商品生産やサービスに変えた金額の集計にすぎないため、国民が享受する利益とまったく同じというわけではない。

消費者余剰の問題あるいは価値のパラドックスのせいで、繁栄の証明は常に難しく、また現代の経済はそれをさらに難しくしている。

GDPについては、経済史学者のジョエル・モキアもこう述べている。

「1人当たりのGDPのような総統計などは、“鉄と小麦の経済”を測るためにつくられた指標であり、最も活気のある部門が“情報とデータ”というタイプの経済を測るための指標ではない。新製品や新サービスの考案には高い費用がかかるが、ひとたびうまくいけばそれらはきわめて低いコストで、またはコストをかけることなくコピーできる。つまりどれだけ消費者の満足度に大きく影響しても、それらはGDPで測られる生産活動にほとんど寄与しない傾向があるということだ」

たとえば、現代の住宅と1965年の住宅には、大きな違いがある。だが現代の私たちはそのことに気づかない。1965年の住宅にあったものは、スマートフォンやタブレット、さらにはストリーミング・ビデオやスカイプといった発明品の登場で消えてしまったからだ。私はこれを「生活の脱物質化」と呼んでいる。

また脱物質化に加え、情報テクノロジーによってモノやサービスの脱金銭化(すなわち無料にすること)のプロセスも始まった。

かつては有料だった多くのものが、今では基本的に無料で手に入るようになり、たとえば広告案内、ニュース、百科事典、地図、カメラ、長距離電話、従来の実店舗型の小売店にかかっていた諸経費などにお金がかからなくなった。

現在、わたしたちはこうしたものをかつてないほど享受しているが、しかしこれらはGDPからは消えつつある。

それとは別の意味で、人間の福祉もGDPでは測れなくなってきた。現代社会がよりヒューマニズムにのっとったものになるにしたがい、その富は人間のためになるものに使われるようになったが、それは市場では価格のつかないものだからだ。

経済停滞に関する最近のウォール・ストリート・ジャーナルの記事によると、近年では大気の浄化や安全な車の開発、患者数が全米で20万人に満たない希少疾患の治療薬開発などに革新的な努力が向けられ、その規模は年々拡大している。

さらにいえば、ヘルスケア一般における研究開発費の占める割合は、1960年には7%だったが、2007年には25%となっている。

これを受けて、記事を書いた経済ジャーナリストは悲しげな調子でこう述べる。

「医薬品とは、社会が豊かになるにつれて人命の価値が高まることを示すものなのだろう。現代社会では医学研究がさかんであり、それはごく一般的な消費財の研究開発に取って代わりつつある。いいかえればこれは、ありふれた消費財の研究開発に向けられていたかもしれないものが医学研究に向かっているということだ。実際、人命の価値の上昇により、一般的な消費財やサービスの成長は遅くなっている。そして、そうした消費財やサービスはGDPが測定するものの大部分をなしている」


自然に解釈すれば、この代償は進歩が前進している証拠であり、進歩の停滞の証拠ではない。ケチなキャラクターを演じるコメディアンのジャック・ベニーは、強盗に「金か、命か、どっちが大事だ」といわれてもなお金を出ししぶっていたが、現代社会は「金か、命か」といわれたら、すぐに「命」と答えるのだ。

(【予言】楽観主義とは少し違う。ピンカーの未来予測②——21世紀の啓蒙へつづく)

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目次
第1部 啓蒙主義とは何か
第1章 啓蒙のモットー「知る勇気をもて」
第2章 人間を理解する鍵「エントロピー」「進化」「情報」
第3章 西洋を二分する反啓蒙主義

第2部 進歩
第4章 世にはびこる進歩恐怖症
第5章 寿命は大きく延びている
第6章 健康の改善と医学の進歩
第7章 人口が増えても食糧事情は改善
第8章 富が増大し貧困は減少した
第9章 不平等は本当の問題ではない
第10章 環境問題は解決できる問題だ
第11章 世界はさらに平和になった
第12章 世界はいかにして安全になったか
第13章 テロリズムへの過剰反応
第14章 民主化を進歩といえる理由
第15章 偏見・差別の減少と平等の権利