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【甲野善紀】人が生きるということの本来あるべき姿とは何だろうか

Xポスト転載

昨夜、寝ようとして眼をつぶると、夕方広島駅のホームを毛糸のかたまりが転がるようにして人々の足の間を縫って跳ねながら移動していたスズメの姿が浮かんでくる。

思えばスズメの激減、そして昆虫の激減。すべて人間が自分達に便利で都合のいいようにと、様々な改変をしてきたからである。昨夜、精神科医の名越クリニック院長から久しぶりに電話があったが、名越院長が私に向かって「甲野先生は自分が人間に生まれていることをどこかで呪っているでしょう」と言われたことがあったが、私は小学校の低学年の頃から丘が切り拓かれ、緑が消えて町になっていくことを悲しむ作文を書いていたから、どうも私が現在の人間の行為に対する根本的疑念を持つようになったのは、子どもの頃からで、筋金が入っているようだ。

まあ、それも当然で一昨年亡くなった渡辺京二先生の大著『逝きし世の面影』を読めば明らかだが、江戸期の日本人は人間以外の生き物への思いやりは西欧諸国とは比べものにならないほど多く持っていたと思われる。

農薬などの「毒を撒いて虫を皆殺しにする」などという発想は、およそ江戸期にはなかったと思う。もちろん、鯨油や石灰などというものを使う者はいたようだが、現在も無農薬、無肥料で見事な野菜や米を育てる農法があるように、江戸期も、篤農家といわれる農業名人は微生物を活用して質のいい作物を育てていたようだ。

しかし、農協などは農薬メーカーを優遇するのか、そうした農法に積極的に応援する気配はおよそない。

質を追求することなく、広く浅く「皆のために」と言って、経済効率のことばかり考えるのは、近代に入っての特徴だが、その傾向はますます強くなってきている。しかし、人が生きるということの本来あるべき姿とは何だろうか。

とにかく私は『逝きし世の面影』と共に多大な感銘を受けた渡辺京二先生の名作『江戸という幻景』の中に出てくる馬子の話がたまらなく好きである。ここに出てくる素朴で善良な人が存在した時代を心底(今はもう無理だが)なつかしく思う。

(引用開始)天明・寛政の頃、ある僧が江戸からの帰り木曾山中で馬に乗った。道のけわしい所に来ると、馬子は馬の背の荷に肩を入れ「親方、危ない」と言って助ける。あまりに度々なので僧がその故を問うと、馬子は「おのれら親子四人、この馬に助けられて露の命を支えそうらえば、馬とは思わず、親方と思いていたわるなり」と答えた。この馬子は清水の湧く所まで来ると、僧に十念を授け給えと言い、僧が快諾すると、自分は手水を使い、馬にも口をすすがせて、馬のあごの下に座ってともに十念を受けた。十念とは南無阿弥陀仏の名号を十遍唱えることをいうのであるが、この男は僧を乗せる時はいつも賃銀は心まかせにして、その代わりに僧から十念を受けて、自分ら家族と馬とが仏と結縁するよすがとするのだということであった。(引用終り)

こういう人達がいた時代の自然の美しさがどれほどだったかと思うと、10年の寿命が3日に縮んでも見られるものなら見てみたいと、かなり前から心から思っている。