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12 不思議体験より大切なこと

今日は山の中ある僧院、サン・ファン・デ・オルテガ、からついにスペイン北部では大きな街のひとつ、ブルゴスに到着だ。

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距離にして24キロ。1時間に4キロ進むとして正味6時間の行程だ。

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この日も、こんな道をえっちらおっちら歩いているのだろう。Googleで検索すると今日(きょうび)は以下のようなたくさんの写真が出てくる。

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巡礼宿スタンプにある宿名をネット検索するとこんな巡礼宿の案内ページが出てきた。スタンプと同じ絵柄が描かれている。

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その住所をGoogleマップに入れるとブルゴス大聖堂から数百メートルのところにある巡礼宿(上部の赤丸)が出てきた。ここに泊まったのだ。旅の途中に何回も泊まったこの「サンチャゴ巡礼路・友の会」の宿は多分、公営だろう。

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ブルゴスに着いて確かにこんな豪奢な聖堂の前を通った。入口から内部を覗き見してすぐ巡礼宿を探したな。

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たぶんこの日も靴が合わずに爪が変色し少し腫れた左足を引き摺りながらえっちらおっちら歩いているはずだ。30キロ近く歩くともうヘロヘロである。聖堂の入り口は覗いたが、バックパックを背負って内部を見学する心というか体の余裕はない。巡礼宿に直行だ。そして、チェックイン、ビーサンに履き替えて、シャワーを浴び、荷物を少なくするために枚数を減らした衣類を洗濯する、そして夕食と明日の朝食分の食糧をスーパーに買い出しにいく、が毎日の恒例行事である。

何が嬉しいって、ビーサンに履き替えて奴隷労働状態にあった足を解放してやれることだ。午後2時、3時ごろに宿にチェックインしているはずだから翌日の朝6時出発までナイキシューズによる拷問はお休みである。

なんで、そんな靴によるハンディキャップを背負って800キロ近い道を歩き続けられたか、それには理由がある。もちろん、なぜか知らんが(ということにここではしておきたい)、ともかくサンチャゴ巡礼したーいという晴れやかな希望がすべてを後押ししてくれている。それに加えて数年前にある四国88ヶ所札所の巡礼者から聞いた以下の実話のインパクトがとても大きい。

・その人は大手時計メーカーの商品製作部部長だった

・時代が変わり時計も種類が増えだんだん彼の意向にそぐわない商品企画を迫られるようになった

・年は53歳になり会社人生最後のフェーズに差し掛かっていた

・心機一転したいので1ヶ月の休みをとって四国巡礼1200キロの旅に出た

・1200キロの道を30日でまわり切るには1日40キロ歩かなくてはいけない

・ある日たどり着いた宿の女将にあなた後3日でリタイヤするわよと宣告された

・その3日後の朝、起き上がると足が前に進まなくなっていた

・急に20キロのバックパックを背負って毎日40キロを歩いたので体が壊れたのだ

・彼はこう考えた、「40キロは無理でも1キロでも2キロでも歩けるじゃないか」と。

・そう思って巡礼を続けた

・するとなんと3日後に奇跡のように体が治って40キロを歩くペースに戻れたのだ(お四国巡礼マジック!)

・それで予定通り四国をまわり切った

・20キロのバックパックは巡礼の初めから最後まで荷物を一切減らすことなくずっと背負い続けた

・巡礼の途中、仕事のことを考えて心が迷うと途端に体調が崩れ歩けなくなるということもあった

こんな話を聞いていたので、ぼくもちょっと特殊な靴擦れで塗炭の苦しみがあっても一糸乱れなかった。この話は本当に役にたった。心の支えになったとも言える。

・とにかくこの苦難から逃げないことにした

・痛すぎると路傍で休んでは靴と靴下を脱いでマッサージした

・途中でスポンジだとか柔らかい布を買って痛いところにクッションとして当てたりと出来る限りの工夫をした

・巡礼者の多くが足の悩みを抱えていて路傍に佇むぼくをみて大丈夫かと声をかけてくれた

・巡礼者たちのそのような慈愛もぼくの足の問題を好転させてくれているように思えた

・巡礼中、適当な靴を探してずっと靴屋がないか探した(ついに3週目に大きな街レオンにある大型デパートの最上階にあるアウトドアコーナーにたくさんの靴をみつけ九死に一生を得た)

・その代わり巡礼中に足裏にマメひとつできなかったことは特筆に値する

・ずっと後になって問題は左足の指の骨が変形していたり、左足が右足よりちょっと長いことで起こっていること(体のハンディキャップ)が分かった。

すぐに逃げない。いろいろ工夫してみる。簡単にあきらめない。ポジディブに心を保つ。そんな人生を生きるうえで大切なノウハウをこの旅で再度学んだように思った。

後先考えずに巡礼に出たことで降ってきた災難ではあるが、こんなミニ災難は人生でもよくある。何でもすぐに諦めて放りださないで、最後まで完遂できる実行力を培うことは、この前と前々回に書いたようなちょっと不思議な体験をするようなことより、人生を歩むうえでずっと役に立つ能力であると思う。

つづく