見出し画像

書評『世界2.0 メタバースの歩き方と創り方』

「~2.0」「~3.0」「~4.0」…

このようなバズワードに食傷している。さらには「メタバースとは『神』の民主化だ」とまで表紙で宣っている。いくら哲学カフェで「メタバース」を扱うからと言って、こんな書籍にまで目を通すのは嫌だと正直なところ思っていた。

しかし、前回ご紹介した『Reality +』という理論的な書物を脇に置いて読むと、その実践者でありメタバースの生産者でもある著者の主張はとても納得のゆくものであることが明らかになってきた。

著者はメタバースの本質を「インターネットの3次元化」であると捉えている。長らく3次元CADを扱ってきた評者にとって、ここがまず堅実である。3DCGの世界がインターネット回線の飛躍的な充実によって身近になった。しかも、これから5G、6Gと回線の進化は留まるところを知らない。

そうなると、世界2.0という託宣もあながち大げさなものでなくなる。例えば、ディズニーランドをインターネット上につくることが可能になるのだ。映画も3D化して、インターネットで見るものになる。そうなると、このバーチャル空間は物理的な現実と同等の、あるいはそれ以上の純粋な現実となりるのだ。下記の試みはその第一歩となるのであろう。

私たちはディズニーランドで遊ぶとき、行列や天候、交通費やその移動時間などの純粋に楽しめない様々な物理的な制約条件がある。しかしながら、これが3DCG空間が充実してくるとなると、物理的に存在するディズニーランドよりも純粋にアトラクションを楽しむことができるかもしれないのである。2次元の情報であっても現場で見るプロ野球観戦よりも、テレビで見る方が情報量が多くて理解が進む一面がある。それがより圧倒的な3次元データの情報量をもってリアリティを体験できるようになるのである。

メタバースはこのような娯楽だけでなく、HoloLensのようなビジネス用途にも可能性を開きつつあり、まさに世界2.0はこれから各所で創造されようとしているのだ。

そこで、「神の民主化」という話になってくる。著者は「世界の創り方」として「視空間」と「生態系」という2つのアプローチから紹介している。

視空間とはアバターやその背景となるフィールドで構成されている3DCGで設計・構成される空間のことである。つい先日著者が圧巻の新宿の風景を公開していた。具体的にはこのようなイメージである。

生態系とは、その視空間をベースとしたメタバースを構成する諸条件である。主にゲームという形を取るが、そのゲームが持続可能な盛り上がりを継続できるように設計者が配慮すべき要素がてんこ盛りである。

この著作が秀逸なのは、メタバース設計者のための「世界構築マニュアル」を具体的に展開している点である。自律的・有機的・分散的という構成要素から始まり、具体的に分析していて必見である。

マニュアルや知識、そして技術自体も大事だが、21世紀はこのような世界を創造するという意志が大切だと著者は言う。そこで、その具体的なモチーフになるのが『希望の国のエクソダス』(村上龍)であるという。

80万人の中学生が集団不登校を実施して、北海道に土地を買い取り、独立自治国家を創設し、ITビジネスや風力発電で外貨を稼ぎその国家運営の財源としたというストーリーであった。メタバースがインフラとして稼働し始めて、その中で経済活動が完結する現代、そのモチーフは物理的な土地を必要としない分その実現が容易になってきている。

世界が複数化してレイヤー化することをマルチバースというが、世界と世界が衝突して奪い合う世界観とは真っ向から対立する。ロシアとウクライナで紛争が熾烈を極めている現在、とても示唆的である。バーチャルリアリティが環境破壊も紛争も起こさない、残された最後のフロンティアとなっているわけである。

本来ならば宇宙開発というもう一つのフロンティアもあるのだが、評者はそこまでの見識がないので、今回はその紹介を割愛する。そして、現状の国際経済が立脚する環境と世界の利害調整のためにSDGsも必要だが、この点も今回はその紹介を割愛する。

誰でも気軽に物理的制約を超えてその世界創造に挑戦できるという点で、メタバースは人びとの意識を大いに変容する可能性があると著者はいう。いわゆる「分人」という概念を平野啓一郎氏が紹介している点は有名である。

複数化・レイヤー化する世界において、様々なアバターとして個人は演じ分けることになる。現在でもSNSのアカウントを複数使いこなすことは決して珍しいことではないし、そもそも学校や家庭、会社、そしてサークルとそれぞれ微妙に人格を使い分けている。それが3DCG空間にも展開されることは人びとの意識を大いに変容することは間違いないであろう。それがメタバースにおいて加速するということである。

最後に著者はアルゴリズム民主主義を提唱している。ここが一般的に大きな反発を生み出しそうなパートである。また、GAFAMがネットインフラを寡占したような事態がメタバースでも再現して民主主義の領域が一層縮小するのではないかという反論が容易に想定できる。

しかし、著者の意図は、社会にいきなりアルゴリズムを実装するのではなく、事前にメタバースにおいてアルゴリズムで検証したモデルを社会に適用することにある。いわばメタバースが実証実験の場になるというのである。そのモデルを採用するかどうかは、最後に主権者の代表である政治家が選ぶという形になる。

実証実験のコストが劇的に低下するメリットはあるものの、これも大きな革命になり容易には実現しないという見通しを著者は示している。実現するとすれば、戦争や環境問題など今の仕組みではどうしてもやっていけないという時に堰を切って一挙に実現するのではないかと著者は見ている。

この著作の書評だけでも論点が多岐にわたるメタバース。今度の4月17日の日曜日と、来月の5月15日と2回にわたって哲学カフェのテーマとして議論します。

オンラインで議論することができますので、ぜひともご参加下さい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?