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ロシア・ウクライナ情勢雑感1

久しぶりの記事の更新となる。日々の仕事で多用だったこともあるが、語ることが困難な事象が多発するという問題点もあった。

表題のロシア情勢だが、この動画を課金して視聴してみて一通り考えが整理できたのでまとめてみたい。

3時間視聴してみて、一哲学徒としてこれほど自分の不勉強と無知を恥じたことはない。ロシアは、西洋哲学からすると視野から外れるところがあり、いわば「理性の他者」になってしまう面が避けられない。

共産主義への批判としての一面もあるポストモダンの思想は、しばしば「理性の他者」を排除する哲学を批判していたわけであるが、皮肉なことにロシアという他者を包摂することはできなかったわけである。

ロシアは、従来からの西洋文明からの遅れ、そして共産主義から資本主義への転換のための遅れという二重の遅れの問題に直面していたわけだが、その葛藤を包摂できなかったのである。その点は、アレクサンドル・ドゥーギンの思想において顕著で、次回の記事でその詳細について触れるが、彼はポストモダン的状況について極めて辛辣に批判をしている。

ポストモダンの思想は、ポストブレトンウッズ体制に新自由主義とグローバリズムを擁護して世界経済の推進役となった一面があるが、光がまばゆかった分、影もまた深かったわけである。先進諸国の中でも格差を拡大して分断は深まり、それはまたロシアとウクライナの間においても深刻な対立を招いていたようである。それが戦争という形で顕著に現れたのであろう。

新自由主義の光が十分に向けられていた米国や英国においてすらトランプ現象やブレグジットが起こっていたわけで、二重の遅れに直面していたロシアとウクライナにおいて戦争に至るのは必然であったのであろう。

上記の動画においてはロシアは新自由主義の恩恵も受けることができたようなコメントがなされていたが、資源高によるところが大きいであろうから、中国におけるように労働集約産業を発展させたわけではないのである。

このシラスの動画を見ていて、ポスト冷戦期の30年の長い時間をかけて、二重の遅れがロシアとウクライナを苦しめていたことが伝わってきた。政敵の暗殺やデモの鎮圧など独裁政治という大きなゆがみをもたらしながらも、プーチンにロシアの再興を託したロシアナショナリズムの深刻さも伝えられていた。

その点については、シラスの動画の元となった上記書籍をもとに次回以降記事にしていきたい。ロシア革命100周年記念で2017年に編まれた書籍のようであるが、いまとてもアクチュアリティと重要性をもって受け止めることができる。

遅ればせながらの勉強で恥ずかしい次第だが、ハイデガーの思想の影響を受けているドゥーギンなど深刻なテーマが満載である。にわか勉強で誤解も多いかもしれないが、理解できたところに限って次回以降取り上げていく。

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