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徳倫理学:マッキンタイア『美徳なき時代』から考える「情緒主義」~ビジネスへの視覚(4)~

前回の記事からマッキンタイアの議論に入っています。

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その中で興味深い概念が「情緒主義」です。

情緒主義とは、あらゆる道徳判断は合理的に説明することは出来ず、それらは究極的には個人の選好や態度、感情の表現に他ならない、とするものです。

これはカントの義務論が、普遍的な道徳法則を志向するのに対して、その反発で出てきたものとして良いでしょう。道徳の座が、良心から情緒へと移行していったのです。

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近年はSNSが隆盛を極めるにつれて、フェイクニュースが横行するようになったと指摘されることが多いです。この時流を説明する概念としてこの「情緒主義」は説得力を増していると考えています。

前回の記事では、「共同体における善」がアリストテレスの目的論的世界観において、人間が目指すべき徳とされていることがマッキンタイアによって評価されていることを書きました。

この情緒主義は、共同体から離脱してバラバラに孤立した寄る辺なき個人が不安にかられて、いわゆる脊髄反射的に飛びついてしまうところがあるでしょう。「煽り」や「炎上」というSNS時代の現象もその現れだと言っていいでしょう。

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ビジネスへの視覚としては、情緒主義に手を貸すことで利益を上げるのか、あるいは「共同体における善」を構築することで利益を上げるのかの分かれ道での判断材料となります。

SNS全盛時代の私たち一人ひとりは、日々の仕事のちょっとした場面で、どちらの側に手を貸すのかという選択の連続だとすら言えるでしょう。私たち一人ひとりは微力ではあるけれども、無力ではないわけです。

私たち一人ひとりは、徳を再構築する担い手なのです。


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