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人生はやがて必ず終わるからこそ、夢を語りたい

毎日、朝と夜に絶望をする、「あれもできてないこれもできてない」「あれもこれもできないまま終わってしまった」…
一日一日、刻一刻と人生が終わっていく。

思えば僕はずっと焦っていた。10代も20代もずっとだ。大学を卒業するまでに、休職期間が終わるまでに…だけど本当のリミットを認識していなかった。人生の寿命というタイムリミットだ。
人は必ず歳を取り、年齢が上がれば制限も増え身体も衰える。本人が準備もろくにできていないうちにライフステージが上がっていき、落差に呆然としている間も時間は止まってくれない。
そして自分が健康でいられる、活動的でいられる期間のことを考えると、それは決して見た目ほど長くはない。
時間だけは誰に対しても平等に過ぎていく。

僕にとって20代が終わって30代になったことはとても大きな、ショックなことだったんだなと自覚する。
自らの中の可能性が明らかに狭まったように感じている。

自分の未熟さを何度も思い知る。感情のコントロールもまだ下手糞だ、同世代に比べて幼稚だろうと思う。
漫画を作る能力だって、もっといろんなことができるはずなのに手詰まりだったり欠陥に後から気づくのは、実力不足というほかない。
僕はまだこんなに足りていないのに20代じゃなくなってしまった。
短い視点で焦るのはよくないとわかっていながら、僕はまた「若者で居られるうちに」という短期のタイムリミットを設けようとしている。
そうではなく人生のことを考えなくてはならないのに。

今まで漠然とした目標を立ててきたように思う。
「やせたい」「彼女が欲しい」「売れたい」「面白い漫画が描きたい」…それは曖昧で適当だからこそ、僕の欲しいものが何なのかをはっきり示している。
その期限の設定を今まで短期間にしすぎてきた。今年中にとか3年以内にとか、決めるときはまるで覚悟を決めたような気でいても、大抵それは超過して破談になって終わる。
達成できずに終わったときの無力感にふさぎ込む、そんなことを繰り返してきた。

そうではない。30歳になろうが31になろうが人生は続く。
今年中に痩せられなくても、彼女が出来なくても売れなくても、人生は続いていく。
ならば僕はきっとその目標の期限を「自分が死ぬまで」に設定すべきなのだ。
生きている限りはトライし続けると決めたなら、途中で挫折しても立ち上がる動機がある。
何度も何度も夢を見て、試して、挑んで、うまく行かなくてひっくり返り、そこからもう一度起き上がる。

最終的に成功するかどうかは誰にも保証されていない。
だけど途中で立ち上がるのをやめても、その間も無情に時間は過ぎてしまう、その怖さを僕はもうわかっている。

止まらない滑車の中で走り続けるしかないのだと思う。
これは明るい話ではない。前向きでもない。多分もう僕の性格上ポジティブとかそういうのは無理だ。

毎朝、このまま何もできずに死ぬ可能性について考えている。
毎晩、やっぱり何もできなかったと思いながら布団に入る。
死んだら人間どうなるのかなとか、死後の世界とかあるのか、輪廻転生とかあるのかとか、布団の中で益体の無いことを考える。
最近枕元に仏教に関する本を置くようになった。眠れない時は読む。

前の見えない下り坂を走りながら、念仏のように夢を語る。
やせたい。
彼女が欲しい。
売れたい。

面白い漫画が描きたい。

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