【歌い手史2018~20】そして歌い手はいなくなる 天月の葛藤 歌い手の終焉【歌い手史を作るプロジェクト】
◆革命のライブ
2019年6月、埼玉県所沢市の西武ドーム。
外では雨が降りしきる中、まふまふが主催するライブ「ひきこもりでもフェスがしたい」は、終幕を迎えようとしていた。
訪れた約4万人の観客の視線がアリーナとスタンドから、15人の人間が立つステージに注がれる。
まふまふ、天月、Eve、Sou、そらる――まふまふと彼が「歌い手の友だち」と呼ぶ15人は一様に疲れた表情をしながら、それでいて笑みも浮かべた。
ライブを終えた達成感だろうか。汗を流し、息を切らしている人間もいた。
「革命は成った!」
黒い衣装に身を包んだまふまふが、枯れた声で叫んだ。
ラストナンバーの「ワールドドミネイション」が流れ出し、皆が声を張り上げる。
15人の中には、手元で小さく控えめに振る人、頭上で大きく振る人もいる。観客も彼らの姿を見て、手に持ったペンライトを頭上で振った。
ペンライトの海に波が立つ。大きな歓声が上がり、熱気はひときわ強くなった。
主催のまふまふはこのライブを、大きな到達点と捉えた。
「革命は成った」とは、歌い手がこれほどまでに大きな会場でライブをできるようになったことと、その事実によって、かつて歌い手を劣位に見ていた者たちを見返したという彼の自負を表す。
劣位の存在として見られていた歌い手たちが、その認識を覆してライブを実現した。
「ぼくたちの歌い手という文化がここまで成長した」と思わず宣言をしたくなるほど、意義深いと思っていた。
◆相反する思い
——しかし、会場の中には、相反する思いを抱えた者がいた。
次のインタビューは、ライブの出演者の一人である天月がのちに語ったものだ。
注目すべきは、後半の「僕はもともと「歌い手」は一つのくくり方でしかないと思っていて——」からの下りだろう。
彼は「歌い手」という枠組みを意識していないとして、「境目がなくなっていくのは、こちらからするとありがたい」と言う。
彼は歌い手という枠組みがなくなることを祈っている。
ここで思い出してほしい。歌い手という枠組みが存在しているのは、彼ら自身にそれに対する愛着があったからではなかったか。
「歌ってみたを投稿する、固有のキャラクター像を持つユーザー」といったような微妙な定義にまで身をやつして「歌い手」と呼ばれる存在が10年以上も存在していたのは、彼ら自身に奇妙ながら強固な自負があったからにほかならない。
にもかかわらず、その根底を揺るがす思いを、歌い手の当事者が抱いていた。
まふまふが「歌い手がここまで来た」と宣言したライブの登壇者の一人が、そんな相反する思いを抱いていたのである。
まふまふが高らかに宣言した時、彼も志を同じくする「友達」として紹介され、ともに並び立っていた。誇らしく笑顔を浮かべる姿を、彼はどのような思いで見つめていたのだろうか。
・・・・・・勘違いしないでいただきたいが、天月は決して、いきなり歌い手を始めたような人間ではない。
このライブの時点で、歌い手としての活動歴は10年ほど。ミリオン達成の歌ってみたを複数持つほど第一線で活躍し、誰もが知っているような歌い手だった。
その彼が歌い手というカテゴリの消滅を祈っているのだから、重大なのだ。
彼はどうして、こんな思いを抱いたのだろうか。
◆「天使のショタ声」
天月という歌い手は、勝手にカウントするなら、界隈の中でベスト10に入る程度には知名度がある。
「デジモンユニバース」の主題歌や「シンカリオン」ED、「魔入りました!入間くん」EDなどのアニメ楽曲に加え、「あせとせっけん」などドラマや舞台とのタイアップソングを数多く担当した。
名前は覚えていなくとも、実は歌声を耳にしたことがある人は多い。 彼の持ち味は、何と言ってもその声質にある。
高音ではつらつとした少年らしさを思わせる声で、かつては「天使のショタ声」と評されたこともあった。デビュー当初からこの声質で、活動を10年以上重ねたいまも魅力は変わらない。
彼が歌い手という存在に出会ったのは、2008年頃、高校生の時だった。
父親がクラブチームのコーチをしていた影響で、当時は野球部に所属していた。
ただ、引っ込み思案な性格で友達も少なく、何もしたいことがないような生徒だったと、天月自身は述懐している。
中学生の時には、いじめに遭っていたという。
頼れる人もいなかった。引っ込み思案が劣等感につながり、相手ではなく自らを責めて苦しんだ。
そんな中で、アニメとゲームは心を癒やしてくれた。幼い頃はポケットモンスターのアニメが好きで、テレビ画面の前でOPとEDを歌った。
少し成長すると「鋼の錬金術師」が好きになり、OP「メリッサ」でCDを人生で初めて購入した。それをきっかけに、ポルノグラフィティの曲を聴き続けた。
好きなものに触れているときは、つらいことを考えなくてすんだ。 ニコニコ動画は、そんな彼の眼に美しくうつった。
学校では同じ趣味を持つ人はほとんどいないのに、そこには嘘のようにたくさんの人がいた。
みんなが生き生きとしていて、自らを恥じることもない。思い思いに好きなアニメソングなどを歌って、熱狂を共有していた。
◆夢への旅立ち
初投稿作の結果は振るわず、賛否両論あった。よくある話ではあるが、自身のマイリストから削除してしまうほど、拙いものだった。
生放送とは勝手が違う。音楽経験も浅い人間が投稿をして、どうにかなるほうがおかしい。
けれども、人に聴いてもらう体験は、素朴にうれしかった。
ボカロ曲の歌ってみたを投稿を続けると、1年を待たずに評判を呼んだ。
少年を思わせる声のボカロ曲の歌ってみたは、リスナーの多数を占めつつあった女性層を中心に人気を集めた。初投稿年の10年にはすでにライブへも出演。翌年には15回ほども出演した。
当初は録音に1週間くらいかかっていたものも、慣れて徐々に時間を減らせるようになり、投稿のペースも上がっていった。
高校卒業後、ベビーシッターなどをしていた母親の影響で、彼は大学で保育を学んでいた。大学のサークルでバンドもしていた。
だが、多忙を極めながらも、歌ってみたを聴いてもらう楽しさは、彼を惹きつけてやまなかった。
学生生活が忙しくとも、歌い手としての活動は趣味として楽しかった。
活動をすれば、反応がもらえる。良い言葉ばかりではなかったが、楽しかった。
「歌ってみたを通じてたくさんの人に興味を持ち、たくさんの人に興味を持ってもらえた。自分にとってはすでに人生の中で大きいものになっている」と思った。
大学が終わりに近づく頃には、ますます大事なものになっていた。
就職か、このまま音楽を続けるか。
卒業を控えて人生の選択を迫られた時に、迷いはなかった。
2014年、アルバム『Hello,World!』でメジャーデビューを果たした。
夢のなかった少年の、夢への旅立ちだった。
◆業界からの軽視
だが、天月をはじめとした歌い手たちの当初のメジャーデビューは、順風満帆とはいかなかった。
いや、もとから一定のファンがいるネット出身の長所が活きて実績自体はよかった(『Hello,World!』はオリコンウィークリーランキング最高9位)のだが、——そのネット出身、歌い手出身の肩書が、足かせともなった。
彼らがまず直面したのは、事務所やレーベルの論理、いわゆる音楽業界とくくられる人間からの軽視、使い捨ての弾としての扱いだった。
音楽業界が天月をはじめとした歌い手たちをデビューさせた理由はたいていの場合、実力に惹かれたからではなく、「二匹目のどじょうを狙った」からだった。
2010年代前半を記憶に留めている人は少ないかもしれないが、通説によれば11年の東日本大震災の影響などで、スマホが急激に普及。ネットカルチャーが一般社会にも大きく浸透した時期だった。
ボカロやYouTuberなどのマスメディアへの露出もそれに伴って進み、やけにいろいろな場所で「千本桜」がカバーされたりした。
業界の側は、このブームに商機を見いだしてデビューを進めた。
「ネットカルチャー出身者がいまのはやりなら、うちも置いていかれるわけにはいかない」と。
個人の実力が先にあるのではなく、はやりが先にあって、そこに載っかるために歌い手を選んだ。
言い換えれば、歌い手たちを個人としてではなく、使い捨ての弾としてデビューを進めた。
その経緯は業界の側から、個々の歌い手に対する敬意を消しさった。
実例として、アンダーバーが記していたものを引用してみよう。ライブの音響トラブルを、アンダーバーが音響担当に伝えた際のエピソードだ。
なかなかにひどいが、似たようなエピソードは他の歌い手からも出てくる。
歌い手たちの間で、この問題意識は共有されていたようで、のちに歌い手たちは独自レーベルを作ることが増えるなど独立志向を強めていく。
◆根強い「アンチ」
より深刻なのが、歌い手たち出身母体であるネットの方からも批判が渦巻いたことだった。
これまで、歌い手たちがネットの全てを背負ってメジャーデビューしたように書いた場面もあったが、決してそんなことはない。
彼らには、その個人の属性がどうであれ、根強い“アンチ”がいた。かつての歌い手のファン――本稿で言うところの第1の意味の時のファンが、第2、第3の意味での歌い手のアンチに回っていたからである。
彼らは、新たな歌い手の在り方を認めることができなかった。
あくまで、歌い手は自分たちと対等にばかなことをやっているやつら、俺たちの代表を指すのであって、メジャーデビューを果たすようなやつは歌い手ではない。
そう考え、すでに消えた自分たちの文化を守るために、新たな「歌い手」と名乗る者への批判を展開した。
なまじ彼らの声がネット上で大きかったことも、歌い手たちへの精神的な負担となった。
ネットを見れば、批判ばかりが目に付く。歌い手という肩書を背負うせいで、自分の行いがどうであれ批判にあった。
◆支えの消滅
こうした現象を目にするにつれ、天月から「歌い手」という肩書に対する自負は、徐々に消えていったのではないか。
メジャーシーンでも、ネット上でも不利に働く。そんな肩書に対する誇りなんて維持できようか。
できるはずがない。
その果てとして冒頭の発言があるのではないか。
彼はたしかに、歌い手という肩書に誇りを抱いていた。
しかし、歌い手という肩書には、それ上回るほどのデメリットが付いて回っていた。
それを捨て去りたくなるほどに。
歌い手という肩書を捨てたがったのは、天月だけではない。歌い手ユニット「ルート5」は2016年、ニューシングルのテーマをこう設定した。
このユニットは、2011年に歌い手5人によって結成されていた。(のちに1人脱退した。)
ネット上での人気よりも、商業臭さが先行していたためにほとんど話題には上らなかったが、黎明期より活動している古参もいた。
それが歌い手を脱したいというのだから、よほどのことだろう。一応、歌い手が嫌いなわけではない、と留保を付けてはいたが。
◆歌い手を「辞める」
さて、ここで思い出して欲しい。歌い手という肩書を支えていたのは何だったか。
なら逆に、歌い手という肩書に対する執着がなくなればどうなるか。
当然、歌い手という肩書を名乗り続ける理由はない。
微妙な意味でも歌い手という肩書が存在していたのは、歌い手を名乗る者たちに「自らは歌い手である」という絶対の自負があったから。
ひとたびその根底の条件が崩れ去ってしまえば、話は変わる。
天月をはじめ、かつて歌い手と名乗っていたユーザーは、2020年を前に、徐々にその名乗りを辞めた。
半ば意識的に、その語を避けた。
◆革命の反作用
運悪くというべきか。時を同じくして、新規に歌い手と名乗るユーザーの減少も起こっていた。
背景にあったのは、“歌い手”という存在のハードルの上昇だ。
これまで見てきたように、この時期になると“歌い手”と呼ばれる存在には“ガチ”を謳うような歌唱力に、MIX、動画編集などの技術が求められた。その上、オリジナルのキャラクターまでも期待される。
こんなもの、並みの一般人にはやれようはずがない。
自ら“歌い手”と名乗るハードルは、極端に高いものになっていた。
それは結果として、歌ってみたの投稿をしたとしても、歌い手と名乗ることを控えるユーザーの増加を招いた。まふまふたちが起こした革命の、反作用とも言えるかもしれない。
2020年を前にして、既存のユーザーも歌い手と名乗るのを辞め、新規ユーザーも歌い手と名乗らない。
つまり、歌い手という言葉は、誰にも求められなくなっていった。
◆歌い手の終わり
使われない言葉は当然、消えていくしかない。
歌い手という肩書は使われなくなり、意味がどうとかという次元を越えて、その肩書自体が徐々に忘れ去られ始めた。
これは別に、どこかに大きな影響がある話ではなかった。歌い手という肩書が消えていっただけで、歌ってみたの投稿という文化はある。
だからほとんどのユーザーにとっては、何の影響もない。
このままひっそりと、歌い手という肩書は消えていくーーと思われた。