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【歌い手史2011〜13】歌い手はボカロと手を取り合った ”兼業クリエーター”の時代【歌い手史を作るプロジェクト】
2013、14年ごろ、「2ちゃんねる的価値観に沿った歌ってみたを、ニコニコ動画に投稿するユーザー」から「ボカロ曲をいわゆるJ-POPのように歌うユーザー」へと変化を果たした歌い手たちは、数字の上では順調に成長を続けていた。
2010年から2013年ごろまでは、のちにボカロブームだったと語られるほど、ボカロ文化の人気が高かった。大手紙でボカロが取り上げられる回数も、この時期に急増している。
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カゲロウプロジェクトやボカロ曲「千本桜」、初音ミクのキャラクターグッズなどの企画も旺盛に展開されていた。
「ボカロ曲をいわゆるJ-POPのように歌うユーザー」として確立されていたことで、そのように急拡大した需要を、歌い手たちは上手く取り込んでいた。
当初からの意味の変質はともかく、はたから見れば歌い手はさらなる繁栄を享受していた、と言っていい。
◆ボカロとの相互作用
歌い手は、ボカロ曲の別バージョン——ボカロでは希少な男性声が聴きたいというユーザーや、合成音声に忌避感がある層の要望にも応えていた。
「前からボカロは知ってたけど、なんか“声”じゃなくて“音”が歌ってるみたいで、ちょっとイマイチで(笑)。でも、よっぺい(※歌い手)さんのは、人が歌ってるから聴きやすいし」
いくらブームとはいえ、合成音声に対する忌避感は根強いものがあった。その層にもボカロを届ける存在として、ボカロ文化の一員として歌い手はますます欠かせない存在になっていた。
歌ってみたがボカロ曲を聴く入り口として機能し、ボカロ人気が歌ってみたの人気を伸ばす。互いの人気に貢献しあいながら、歌い手はボカロとともに人気を伸ばした。
その活況を眼にしたいわゆる音楽業界も、歌い手たちへの評価をますます高めた。
彼らをデビューさせれば、若年層の人気を取り込めるのではないか——。
そういう打算的な意図も込みで、ソニーミュージックやビクター、そしてエグジットチューンズといった音楽レーベルが、メジャー進出を主導した。
◆エグジットチューンズの野望
「歌い手のメジャー進出をもっとも推し進めたレーベルを挙げろ」と問われたら、即答するのは難しい。
そもそも“もっとも”なんて言葉は難し過ぎる——のだが、あえて一つ上げるとすれば、エグジットチューンズだと筆者は思う。
歌い手がメジャーデビューを果たし始めた2010年前後、エグジットチューンズは次々と歌い手関連のCDをリリースした。
2009年10月の時点で複数の歌い手が参加したコンピレーションアルバム「EXIT TUNES PRESENTS 神曲を歌ってみた」をリリース。
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その後も、単独で赤飯やぐるたみん、そらるやアンダーバーなどの数々の有名歌い手をメジャーデビューさせる。歌い手からデビューというルートの轍を作った。
社長の加藤和宏は、エグジットチューンズの歴史をこう振り返る。
「当初のクエイクレコーズ(※のちのエグジットチューンズ)は、洋楽ダンスミュージックのライセンスを取得して、CDを企画してリリースするというものでした」(代表取締役社長・加藤和宏)
加藤はもともとクラブでDJをしていたという。2002年10月にビジネスプレゼン番組「マネーの虎」に出演。今もやっている、あの企画である。手に入れた出資金をもとに2003年にレーベルを立ち上げた。
「『トランスのレーベルを立ち上げてがんばりたい』という野望を10枚くらいのA4の髪にびっしり書き連ねて、履歴書と一緒に送ったんですよ」(加藤)
2006年7月にはポニーキャニオンの出資を受けてCDをメジャー流通に載せられるまでになるほど、快進撃を続けた。
だが、上手くいったのはそこまで。
「出資してもらった途端に、いきなり洋楽が売れなくなったんですよ」(加藤)
加藤は途方に暮れた。
当時は既に事業を拡大し、10人以上の社員を抱えていた。他人の人生を抱えている以上、投げ出すこともできない。
大きな重圧が、加藤の肩にのしかかっていた。
これからどうすれば良いのか――。
「同じころに『VOCALOID2 初音ミク』がリリースされて、ネットニュースでは『初音ミクって何?』といった記事が連日トップになっていたんです。それが、アンダーグラウンドなダンスミュージックの流行が変わる初動と似ていて、次はボーカロイドのオリジナル曲がはやるのでは、と」(加藤)
加藤はボカロや歌い手をはじめとしたネットの音楽に賭けた。これは流行るに違いない。流行ってもらわなければ困る、と。
今から見れば、とんでもない慧眼だ。
加藤は手探りでボカロPなどにコンタクトを取りはじめた。
「同人的に楽しんでいるクリエイターの方々が商業ベースのCD企画に参加してくれるのか、確信はありませんでした」(加藤)
だが、粘り強く交渉を続け、2009年にはボカロのコンピレーションアルバムをリリースにこぎつけた。
読みは的中し、CDは一定の売り上げを伸ばす。最終的には、オリコンウィークリーランキングで14位にまでランクインした。当時のエグジットチューンズとしては、異例の高順位だった。
これは売れる——。
加藤は自信を深めた。ネット発の音楽の時代が来ると確信し、ボカロに次いで歌い手にも目を付けた。
2011年8月に歌い手・赤飯のアルバムをリリースし、オリコンウィークリーランキングでベストテン入りの快挙を達成。そらるやりぶなど、のちの名だたる歌い手のメジャーデビューも手掛けた。
ぼくの独断と偏見に過ぎないが、加藤に歌い手や歌ってみた、ボカロ文化に対する理解があったとは思えない。彼のインタビューでも、とくに深い言及は無い。
だが、その姿勢も含めて、時代を象徴するような存在だったのだと思う。ブームとして、打算的にメジャー進出を進める存在として、彼は際立っていた。
◆メジャーデビューのルートとして
歌い手たちの後ろ盾の不在と、レーベル側の無理解。双方が嚙み合わなかったことによって、初期には軋轢が生じることもしばしばあったが、歌い手のメジャー進出は、数の上ではおおむね順調に進んだ。
ボカロとともに歌い手を注目し、新たな歌手へのルートとしてみなす論調も勢いを増した。
「mothy-悪ノP、赤飯、Gero…こんな一風変わった名前の新人たちがCDデビューし、いきなりトップ10入りする例が相次いでいる。彼らはいずれも『ボカロP』や『歌い手』としてニコ動内で人気を集めてきたアーティスト。レコード会社は、こんな新人発掘の場としてニコ動に注目する」
こうした歌い手からメジャーへ進むルートの確立を、既存の歌い手——のみならず、音楽の道を志す多くのユーザーが歓迎した。
歌ってみたを投稿するのは、ライブを続けたりオーディションを受けたりするなどの、かつてからあるアーティストへの道よりもずっと手軽だった。
仕事をやっていても、家にいる時間で録音して作れる。
学生で機材が整っていなかったとしても、他のユーザーの手を借りるなどしてなんとかできる。
必ずしも歌に人生の全てをささげなくともデビューが目指せる手段の登場は、夢を抱きながらもそれに専念できないユーザーに夢を与えた。
朝日新聞の丹治吉順記者の記事が、時代を的確に言い表している。
「プロでもアマでもない兼業クリエーターの時代。それを象徴する言葉が『歌い手』かもしれません」
地方に住む者には、無理して都市に出ずとも音楽活動が出来る、というメリットもあった。
歌い手としての活動——歌ってみたの投稿は誰もが簡単に出来る路上ライブのようなものとして機能し、音楽の道を志す多くの人々を歌い手の世界へと誘った。
こうした新たな層を巻き込みながら、歌い手の世界はボカロとともに繁栄を続けた。
このまま祭りが続けばいいと、思っていた。
次回→【歌い手史2014〜17】ボカロからの独立 まふまふの革命—第2の意味の否定【歌い手史をつくるプロジェクト】
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