選挙にふれて

東京都知事選挙があった。新潟県民なので投票権はないんだけど、国が動く影響力の高い選挙なので注目をして見ていた。結果はいつも通りだし、そうなるだろうと思っていたからゼロ打ちが出て少し笑ってしまった。ただ選挙のたびに一喜一憂(憂が圧倒的に多いが)していても意味がないので、自分の中で沸き上がる感情をまとめることにする。

今回大きな変化があったのは、蓮舫支持者が街に出たこと。素直にカッコいいなと思った。SNSでいくら言っても変わらないのは前からわかってたことなので、そこを打破するために街に出るってのは現状を変えようという意思の表出として、リベラル側にかなりの進展があったように思える。ただその行為が無党派や選挙に行かない人へのアプローチとして効果があるかというとかなり微妙なところと思う。ネガティブな面も大きい。ポスター持ったおじさんおばさんが街に立ってると怖いから。宗教?とすら思う人もいるかも、顕正会とかよくやってるし。あとひとり街宣することで連帯してると思っちゃう危うさもある。団体行動が嫌だからひとり街宣し始めたのに、、、って矛盾とか。なので、個人的にはやはり家族、親友のような近い人から話をするのが先決じゃないかと思いますね。そこでしっかり話せれば、もし立場の違う人だったとしてもより理解が深まるわけですし。僕は親友にもミソジニーとか排外主義的な考え持ってる人いるけど、話をしなければ何も始まらないよね。

弱者救済的な視点について。僕は当然のように持ってる感覚だけど、それは幼いときに教会に通ってたこと(隣人を愛せ)と母がヘルパーや障害を持つ方の支援をしてたのが大きい。だから昨今のハックとか出し抜くことを是とする風潮に強烈な拒否感がある。自分だけ得して何が楽しいんだと。NISAとかふるさと納税にも同じ感触がある。みんなで幸せになったほうがよくね?って思うのは社会主義じみた発想だろうか。例えば水道が民営化されたら、なんらかの理由で水道を止められてしまう人が出てくるだろう。水がなかったらマジで死ぬぐらいの暑さの中で、それって人道的にもキツくないですかって思うけど、自分はっていうと多分水道を止められることはない。水道料金が手元にないこともないだろうし、払込用紙届いたらすぐスマホで払ってるし。でも僕の仲間にはマジで料金払えない人(経済的に)、払込用紙をなくす人(ADHD的に)とか普通にいるんで、それはちとキツイんですよね。自業自得とか自己責任の先にある未来は明るいかね。救済がホットになる世の中を望んでるけど、まあ難しそうだからこれからも自分の目に見える範囲で助けるよ。(社会的弱者が救済を望んでない複雑な面も現実にはあるが)

ああ、これは共助の話か。佐渡に移住してから地域の人には助けられてばかり。軽トラ貸してくれたり、裏山の竹切ってくれたり。だからか、コミュニティの中での役割とか地域に対する責任は当たり前のように感じる。自分がよくしてもらってるから、それを返そうという気持ちが自然とある。これは川崎で一人暮らししてた時にはわからなかった感覚だ。マンションで隣に住んでる人の名前もわからないような希薄なコミュニティの中で、助け合いの話をしてもピンとこない。都会と田舎ではそもそものシステムが違うのか。田舎の共助が前提としてあるシステムは東京の暮らしが心地よい人には心底煩わしいと思うけど、僕はわりと好きだな。一人で生きていくってマジで大変だと思いますよ。とはいえこれも友達の多寡とか環境にも依存する話なんでムズいね。

そんなところか。小池百合子が露出なしの戦法を取ることとかも、まあ普通じゃないかな。サッカーでも勝ってたら自陣でパス回しして時間稼ぎするし。石丸伸二については、可哀想な大人だなと思う。自分に商品価値がなくなった時、誰が彼を助けるんだろう。安野貴博は政策を丁寧に伝えるという点においてとても誠実だと思った。知名度がない中での出馬は初めから負け戦でやや引っかかるが、新しいリベラルの可能性を提示した感がある。

えーと、僕が都民だったら蓮舫に投票してたわけだが、今回の蓮舫の得票率は18・81%。少数派を自認する僕としては、めちゃくちゃ多くね!?って思った。5人に1人同じ考えの人がいるってことでしょ。なのでツイッターでいつものように絶望してる人を見るにつけ、いや結構票入ってるしまた次頑張ろうぜって気持ち。

最後に、岸野雄一さんの「民主主義のエクササイズ」を貼っておく。これ以上にリベラル側からのフラットな視点はないし、とんでもなくフェアに活動してて、思想的に一番信頼してる方だ。弟子入りしたい。

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