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仁禮洋志さん 『もうれんやっさ』(後期)【超・不定期訪問/滞在制作 project 《Nami Ita に、いた? いる!》 Vol.06】@オルタナティブ掘っ立て小屋『ナミイタ Nami Ita』

前期展示の頃も、少しずつ気候が春めいていて、焚火に当たっているとコートも必要ないくらいだったけれど、約一ヶ月後のこの日は一層暖かくて、桜が一気に咲き始める、その一歩手前の雰囲気だった。

入り口には、本展のモチーフである民話「もうれんやっさ」がしたためられた画布が、ナミイタの波板に沿って張り付けられていて、傍らには流木で作られた椅子も置いてあったけれど、今日はその画布が剥がれ落ちていて、椅子も見当たらない。そのうらぶれた感じが、一夜を過ごした立派なお屋敷が、翌日には一面の原っぱだったような、化かされた心地がして面白い (落ちていた画布はその後すぐ、私が中で作品を見ている間に直されていて、その人知れず修繕されていく感じも民話めいている)。山本麻世さんの常設作品が語りの上に影を落としているのも好い。

中の倉庫スペースでは引き続き《Long end》が上映されている。昼過ぎの今はまだ暗闇に沈んでいるけれど、前回目撃した、蝋燭のような灯台の先っぽ、その輪郭が透けて見えるようで、たゆたうウミホタルにしか見えなかった青白い光も、今日は確かに回っていて、時折灯台の縁を照らしている。一ヶ月経ち、外の日差しも強くなったのか、作品が投影されているナミイタの壁、その上半分が明るくて、残された下半分の暗がりが海のように見える。

ギャラリースペースに入ると、傾いだ木材に留められた様が幽霊船の旗のような《Untitled》と、重ね合わされるかたちで《Self Grasp》が追加されている。身体の輪郭を縫い止めたような画面では、こちらに向いた掌が、彼我の "壁" を感じさせる一方、手の甲と思しき跡はむしろ奥行きを感じさせて、影のようでありながら二次元に成りきっていないところが、《Untitled 》の緑がかった墨色の画面に描かれた二つのかたちから、立体感がムズムズと起こってくる感じと呼応するよう。床に掛かった足跡の部分が、それ以上作品に近づけない、踏み込めないことを、不在の作家さんが今もそこに佇んでいるような気配へと変換している。

《Untitled》と《Self Grasp》の傍らには、入り口に置いてあった椅子が据えられていて、流木と漂流物の組み合わされた造形が、向かい合うように掛けられた《管、容器、船舶》の骨組みめいた線描と響きあっている (ここでも、山本さんの別の作品、その細かなラインが隠し味となっている)。見上げると、天井部分の半透明の波板越しに、すすきを連想させる植物のシルエット(「春すすき」は柳の異名らしく、柳の下と言えば幽霊。さらに、「枯れ尾花」はすすきのことらしく、怪異と植物は縁が深いよう。咲き初めの桜も、一役買っているかも知れない) が見えて、そのピンと張ったゆるやかな曲線まで、骨組みめいた画面と近しい 。風が吹くとにわかに均衡が崩れて、その妖しい揺らぎが、《Self Grasp》の手と重なる。

外に出ると、前田梨那さんの常設作品が風に游いでいて、風雪で綻びつつある人型が、《Self Grasp》の輪郭と親戚じみている。同様に、樹の下に置かれた藤巻瞬さんの "扇風機"、その張り巡らされた線や、金井聰和さんの "骨" の白さも、ギャラリースペースに点在する作品の木霊めいていて、ナミイタ全体が賑やかに調和している。

”小屋”では映像インスタレーションが展開されているけれど、まだ日の高いこの時間には、ほんのうっすらとしか見えない。しかし、焚火を囲んで、代表の東間さんと、ナミイタが位置する『アトリエ・トリゴヤ』の吉川陽一郎さんと話しこんでいる内に、向かい合った吉川さんの後ろでゆっくりと (映像の) 海が拓かれていって、時間すら”骨休め”しているようなそのゆるやかさが心地好い。

すっかり陽が落ちてからギャラリースペースに戻ると、電球だけで照らされた《Untitled》の画面は黒みを増して皮じみて、《Self Grasp》も、先ほどよりも気配を濃厚に漂わせるよう。見上げた先では、暗闇に呑まれてしまったのか、“すすき”はもう見えない。一方の倉庫スペースでは、姿を顕わにした灯台が、“まぶた”を閉じて、遅い眠りについていた。 

 


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