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最後のやつをどうするか決めるだけなんだけどね、

昔のお家に住んでた時の話。
だから、小学校2年生より小さい時の話。
記憶に残ってることがある。

夜、布団に入って寝る前に母と話していたこと。

「なんで大人ってややこしく考えるんだろう。
悩みって分解して、最後に小さくなったどーしょーもない事をどうするか決めたらいいだけやん」
その時の私の頭の中には、文章とその文章に合わせたYES/NOクイズみたいな表があった。最後に行きついたところに残っている問題を、どうしたい?って決めるだけだ。

母には
「あなたにはわからんよ。いろいろあるのよ」
その時か、その後成長の過程の段階で似たような話をしたときか、このような発言は優しくない、他者に対する想像力が足りないと責められたような気がする。(そういわれたと思い込んでるだけかもしれないけど。)
そして、私はシンプルに解決するのって良くないこと、
あーでもないこーでもないって悩むことが大人になること、みたいに勘違いしてしまったかもしれない。

ついでに、小学校高学年の頃の記憶。
どーでもいいことで、「悩んでるの~」とか話しているクラスメイトの女子の話に全く共感できないし、もし話に参加したとしても解決策を提案してしまう。どうにも居心地が悪い。どうでもいい女子の会話がつまらな過ぎて悶絶しそうな感情と、てきとーな感じででも仲良くできるっていいなぁって、相反する感情を持っていた。
「悩んでるの~」っていう話ができるようになりたいとすら、願っていた時もある。

そんな私もある年齢になって、ややこしく悩むことを経験することになった。ついに、私も「悩みがある」というのがわかるようになった。
年を重ねるにつれ、いろいろ判断しなくてはいけないことが増えてくるし、判断基準もいろいろあるということを知ってしまうと、うっかり迷子になってしまうときがあるということが分かった。
正論で、〇〇やればいいだけ。以上!
みたいな表現に含まれる、乱暴さみたいなものにも気づけるようになった。
ここはちょっと人に対しての想像力とか優しさが育ったとこなのかもしれない。(正論って取り扱いが難しい。ちょっと劇薬みたいなとこあるよね)


そして、何に悩んでいるのかよくわからないけど、心地よくない感じで悩んでいる状態を維持してしまうときは、まぁとりあえず寝たほうがいい。
(このGWに食う寝るを満たすことをメインで過ごしたら、効果てきめん!)


ただ、一周めぐって、子どものころの自分が言ってた通りで、頭の中で悩みだと思っていることを分解していって、最後に残ったピースをどう取り扱うかを決めるだけ。その取り扱いをどうするかの判断基準は自分の中にしかない。美意識や、なにかしら目標、どんな人間でありたいか、人それぞれ。

しかも、今書きながら気づいたんだけど、これって全部自分で選べるもの。自分で磨いていけるもの。


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