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私にない数

自分で数秘を学んだり
人からマヤ暦で自分の性質を見てもらったりしてわかったのは

当たり前だけど
私の身近な人たち、家族は
自分と全く違うと言うことだ
それがはっきり見えるからいい意味で諦めもつくし、色んなことが腑に落ちる

数秘なら、
"私の持っている数"
と言うのがあるが
私に無い数
と言うもののもある

家族の数秘を見てみたらほんとにびっくりだけど
父、母、弟、義理の父、義理の母、夫
とことごとくみんな私の唯一持っていない数を持っている

どうりで小さい頃からなんだか家の中でも浮いているような気がするし
なんでかわからないけど通じない気がするし
同じものを見てるのに全く違う見え方をしているんだなぁと感じるわけだ、と腑に落ちる

私にとって1番影響があるというか近い人って
過去でいえば母であり
今は夫だと思うけど
どちらも同じ数秘で、私に無い数字の人
私と真逆の人
最近教えてもらったマヤ暦でも真逆だった

なんかこう見ると、
宇宙人とお話しているような、
一生深く理解し合えることはないのか…と一瞬悲しくなったりするけど

一度どん底に落ちてみたり、
一周まわってみたりして
今の私にとっては、
"自分と反対の性質"の人が近くにいる
ということに希望を感じている

行き着くところは簡単に言うと世界平和だと思っているけど
それは自己平和から始まる
ミクロとマクロは同じ
全身の調子がいいと言うことはそれぞれの細胞が正常に機能しているということ

夫婦のいざこざ
友達間のいざこざ
色んなことがあるけれど

つまりその小さな最小単位のいざこざ
人間と人間との間でのいざこざ
ここさえハッピーなら全てうまく回るのでは?

小さな子供にとって
両親が仲良く愛し合っていたとしたら
それ以上の安心感はあるだろうか?

人間と人間がただお互いを尊重し愛し合って生きるということ

人を受け止めるにはまずは自分を受け止められないといけない
私にはその受け止める器が無かったから、
まずは自分のことを大事にすることからやっている

セクシュアリティに関わらず、
肌の色目の色、好きなもの嫌いなもの、
全ての人間が全て"違う"ということを深く受け止めること
違って当たり前という大前提のもとに人と関わる
男だから、女だから、親だから、日本人だから、という安直なカテゴリ分けに縛られない
無意識に自分を縛ってきた価値観は捨てていく

じゃないとずっと理解してほしいわかって欲しい認めて欲しいの無限ループ(過去の私)

世界中誰1人として同じ人間がいないからこそ、自分という人間が尊く感じられるのだ

違う大前提だからこそ、
共通する部分をみつけることが喜びになるのだ

全く同じだったら他人である意味もないのだ
全く違う人間がいる事で、
自分という人間の輪郭が際立つ

自分のことは自分が1番に理解してあげればいい
そして伝えるべきことがあれば他者にも伝えていく。全部を理解させる必要はない。

自分の見方ひとつで
ずっと大きな壁に見えたり敵に見えたり理解不能だった人たちが
大きな学びに変わる喜び。

人と関わっていくことは自分を知る喜び。

#自分のための
#アウトプット
#お皿洗いの途中

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