見出し画像

自分の話を聞いてあげる


昨日もやっとしたことがあったので
ノートを開いて自分の話をゆっくり自分で聞いてあげる時間をつくった

すごく小さいことだけど
小さいモヤモヤこそちゃんと聞いてあげるとお宝がある

今月は母の誕生日なので、
兄弟でグループラインを作って
母の誕生日会について色々相談してた
あとから父もライングループに入れた(父のこと忘れてた)

もうお爺さんだから読解能力かなくて仕方ないし、私も説明不足だったんだけど

わざわざ母に内緒でライングループで色々相談してるのに、全くその意味が伝わっておらず、母の隣でペラペラペラペラそのラインの内容を話しまくる父…

もうどうせ内緒にするほどのことでも無いしいいんだけどさ、
なんか空気が微妙になるし
むしろ母の方が(私の居ないとこでなにか相談してくれてたのね?!)みたいに察して気を遣ってくるし…
ため息…って感じだった

そういう気の使えないところ
話が伝わらないところ
無意識に母を傷つけるところ
子供の頃すごく嫌だった

もっと気を回せないわけ?
もうちょっと母のこと大事にできないわけ?
(せっかく節目の還暦祝いなのになんなのそのショボいプレゼントは?!💢)
自分の還暦のときもっと祝ってもらったのに
色々台無しだよ

(黙れようるせぇよ嫌いバカ、みたいな幼いセリフもちゃんと言うことを許してあげる)

そして怒りや悲しみのあとに

"もういいよ"
と言う言葉がでてくる。

もういいよ、ってすごくすごく
心の中でいい慣れすぎてしまった言葉で
父に向かう度にもういいやって色んなことを諦めてきたのだと思う

もういいよ、で涙がでてくる
小さい小学生くらいの自分が泣いている

もういいよ、とは
つまり"期待しない"ということ

これが、多分、父親=全男の人という紐付けが自分の潜在意識の中でされていることに気づく

男の人には期待しない
なぜなら、期待しておいて、裏切られたと感じたらすごく傷つくから
愛されなかったら悲しいから
(=母の悲しみに共鳴している)

だったら母のようにそんな悲しい思いをする前に自分を守るための予防線をはろう
男の人には期待しない、信じない、委ねない、1人で生きていこう

それを理解した上で改めて
本当の小さな子供の自分が
素直に欲していたものは?

本当は父親に愛されたかった
大きな揺るぎない安心感が欲しかった
それが素直な気持ちだと思う

家庭の中に安心感を求めていたんだね
ずっと不安だったよね

もう大丈夫だよ
幸せになっていいし、信じていいし、安心していいし、委ねていいし,愛されてもいいんだよ
それに値しないと思わなくていいし
恐怖によって自分の願望を歪め強がることもしなくて大丈夫だよ
素直な気持ちをそのまま表現していいよ
何があろうと私が私自身の気持ちを全て受け止めるからね

父親、という幼少期の絶対的な存在が
男の人、という大きな観念となって
大人になってもずっと苦しみのループにはまっていたんだなぁ
もう不要な紐付けは切り離し
自分自身を安心させてあげよう


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?