6月28日 ガルヴェストン

もう数ヶ月前に観た映画のことをこの何日かなんとなくずっと考えている。殺し屋と娼婦の話、というとチープに聞こえるな

エル・ファニングがとても素敵で、言い換えるならこの映画に出てくるエル・ファニングのことを考えている、いやでもやっぱり映画のことかな。

(でもサムネイルが良くない)

もうひとつこの映画のいいところは『ガルヴェストン』という日本人にはまったく馴染みがなく非常に覚えづらい地名がタイトルになっているにも関わらず変な邦題が付けられていないところ。

情報量の少なかった時代になるべくその内容がわかるような邦題を無理くりつけていたのは仕方がなかった(それにしてもひどいものが多いけれど)としても、いまの時代において原題とはかけ離れた(そしてしばしばやたら長い)邦題をつけることになんの意味があるのだろうな。

今日は一日よく働いた。

un/baredの原稿がだいぶ書けた。

どこかの誰かが「文章は6割書けた時点で誰かに見せたらそれで7割、そこから少し直して8割になって、世に出したらそれで9割、10割になることはない」というようなことを言っていたのをみて、わかるようなわからないような気がして、でも確かにこれ以上は自分ひとりでは詰められないと思った段でいつもともまつに見てもらっていて、彼女は基本的にどこをどうした方がいいとか言わずにただ率直に感想(大抵いつもとても褒めてくれる)をくれるのだけど、それでかなり自分の中で見えるものがあるというか、いろんなことがクリアになって少し進めるというか、そういう風に感じていて、だからあまりひとりでこねくり回しても仕方がないな、と、潔くひとの力を借りてやろう、と、そういうことを最近は思っている。

そしてそれはきっと音楽も同じなのだろうなと思う。

完成を誰かに委ねる、委ねられるというのは素敵なことだと思う。それがチームの誰かであれ、オーディエンスであれ。

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