5月17日 朗読

すぐ空回りしてしまう。慣れているけど、慣れているからといって何も感じないわけではない。痛みとか切なさとかそういう類のものには慣れることがない。喜びとか愛情とかそういうものにはすぐ慣れてしまうのに。

ときどき、ぜんぶ嘘なんじゃないかと思うことがある。自分の感じていることとか思っていることとか、自分で決めたことも行動も、その動機も、本当は全部なにか不純なもので、ぜんぶ嘘なんじゃないかって、ふと思うことがある。理由はわからないけど。

ハン・ガンという韓国の作家の『すべての、白いものたちの』という本を読んでいた。小説というより散文詩のような短い文章の連なりから成っている3編のうちの2編目に入ったところだった。「翼」という章に差し掛かったとき、急に声に出して読んでみたくなった。声に出して読んでみた。午後の日差しが降る窓際のいつもの席で椅子に片足をかけて座って。わたしの声は低く、抑揚がなかった。だけどそこには奥深くにある感情が滲み出ているような気がした。記者会見のときに発していた声とはまったく違うもののように思えた。ところどころつっかえたりしながらそのまま何章かを読んだ。声に出して読むことで、その内容がより頭に入ってくるのではないかという予想に反して、声に出すことに気を取られる分、逆に中身はちっとも入ってこないのだった。

ポエトリーリーディングの文化にはまったく興味がなかったけれど、もしみんながこの感覚を求めてそれをしているのだとしたら、少し理解できるかもしれないという気がした。

ハン・ガンの文章をとても美しいと思ったけれどこれは翻訳されたものなのだと思うとやはり原文を読んでみたいという想いが湧いてくるけれども、わたしはハングル語を読むことができない。昔ニューヨークのホステルで出会った数カ国語を話せる青年が「小説を原文で読むために勉強した」と言っていたことを思い出す。

今日も、ずっと、言葉には敵わないのだった。

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