夏目漱石『現代日本の開化』

皆様こんにちは。今週はふとダウンロードしていた本を読んだところ、思うことがあったので記事にしました。

『現代日本の開化』は、漱石の講演を基にしたものです。講演は明治44年、1911年に和歌山で行われました。

西欧文化が急速に日本を席巻し、激動の時代を目にした漱石が考える「開化」と「日本人」がその主な内容です。

この本の中でとりわけ心に残ったポイントが2つあります。一つは開化による人間の変化です。漱石は「しかしこの開化は一般に生活の程度が高くなったという意味で、生存の苦痛が比較的柔げられたという訳ではありません。」と言っています。つまり、人類は便利さと”面倒”の排除を目的に発展を目指してきました。そのおかげで馬車は自動車になり、手紙は電子メールになりました。しかし、それは生活における質やレベルが上がったというだけで、そこに生きている人間の幸福度や創造的人生とはまた別の話だということです。そして漱石はこう付け加えます。「―けっして昔より楽になっていない。」

これは世界を席巻した『サピエンス全史』にも似たような論調が見られますが、人類の幸福という観点で歴史の変遷をとらえたとき、発展はかならずしも幸福の増進とイコールではない。と主張しています。

馬車で3時間かかったところを自動車でたった1時間になる、と言われたら誰でも幸福を感じますが、それが当たり前になったとき、もはやそれは期待の範囲内でそこに幸福は生まれません。また漱石が言うように、それに加えて依然人間同士のかかわりや人生の理想と現実などの事情は時を超えて存在しているのであり、幸福度は定量化したときに内訳は違えど、総量は変わらないのかもしれません。

もう一つのポイントが「日本の開化は外発的」だという漱石の主張です。西洋が時間をかけて自らの理想を追いかけながら発展してきたのとは違い、必要に迫られ変化を余儀なくされなかったことを憂いています。そしてそれは「できるだけ大きな針でぼつぼつ縫って通り過ぎるようなもの」であり、「とってつけたようで見苦しい」とまで言われています。これが日本を残すためにできた最大限のパフォーマンスであったことも一方で事実であったとは思いますが、漱石にはこのように映ったそうです。

現代の世界一般を見ると、そのほとんどが外発的な開化と言えるでしょう。ハリウッドは世界のどこでも流れており、その振る舞いや価値観を世界中の人が眺めています。特にそれをこの世界の”正解”と思い込んで見てしまうのがなんとも難しい部分です。確かに近現代における軍事的・経済的勝者はイギリスであり、アメリカであります。しかし、それはつねに変化し続けるものです。かつてスペイン・ポルトガルが世界を支配していた歴史が好例です。そのため、ある価値観も常に変化するのが当たり前であり、この世界の常識や”正解”はあくまでこの時点におけるものだと意識する必要性を感じています。

そういった意味では今や誰もが正義だと考える”発展”が正しいものだとされた瞬間がありますし、それは人間が作り出した制度や価値観の全てに言えることだと思います。

もちろん、だからと言ってお金に頼らず、価値観を放棄して生活を始めることは現代社会において不可能に限りなく近いです。しかし、思想の楽園において立ち返り、あるべき姿や自然な姿を追求することはできます。そうした瞬間を丁寧に扱っていくことが、実は人類の”開化”につながっていくのではないかと考える今日この頃でした。


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