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読書レビュー:国際協力の誕生

北野収『国際協力の誕生―開発の脱政治化を超えて―』創成社、2011年。

皆様こんにちは。本日も読書レビューということで、本を読んで特に興味深かった点にフォーカスしてお話させていただきたいと思います。本日は日本における「国際協力」という概念を問い直した非常に興味深いお話です。

国際協力という用語の異質さ

海外でフィールドワークや活動をされている援助関係者の方であれば一度は考えたことがあるのではないでしょうか。

「国際協力の直訳は何だろう?」

私も考えたことがあります。しかし、私の知る限り明確な答えはありません。それは、日本における特殊な政治用語から一般化した言葉であるからです。ちなみに海外では開発developmentや、対外援助foreign aidなどの言葉が一般的でしょうか。

本書ではこの言葉の起源について詳述されています。

まず、「協力」という言葉が使用されたのには、日本の戦後賠償が関わっていると言われています。1955年以降、戦後賠償は外務省の賠償部が担当していました。そしてその当時、既に経済協力の考え方が浸透していたと言われています。つまり、経済「協力」という概念が戦後賠償の中で取入れられ、やがて公的なものへと姿を変えていったと言えます。そして、国際協力という用語はJICA設立を機に生まれ、行政用語として新たに再定義されました。一説には、この国際協力というネーミングは田中角栄および福田赳夫とも言われています。詳細は本書でお読みいただきたく存じますが、いずれにしてもこれが政治の文脈を源流とした用語だということは注目するべきポイントです。

現在の国際協力

しかし現在では、国際協力という言葉に政治を即座に直結させるほどのイメージはないかと思われます。どちらかと言えば「現地で汗を流す若者」といった善意のイメージが一般的なのではないでしょうか。
もちろん現在も政治的なやりとりではあり、あらゆる政治から抜け出すことはほぼ不可能なのでしょう。しかし、私はこの経緯を知った上であれば、現在の「国際協力」という言葉はプラスの側面をもたらしているとも考えています。
それは、「多くの人が関心をもち、取り組めみをはじめる一つのキーワード」になりはじめているからだと思います。ODAや、対外援助などとなると直感的に難しさを感じてしまうかもしれませんが、「国際協力」という言葉にまとまっていることでこそ乗り越えられる要素が含まれているように感じます。だからこそ、身近な小さなことから一歩を踏み出す「言葉」になれることができたのなら、それは大きな意味があることだと思っています。

いかがでしょうか。最終的に私の意見を述べてしまいましたが、日本における国際協力を考える上で大事なポイントになっていることは確かだと言えそうです。新書で読みやすいタイプですので、ご興味ある方はぜひよんでみてください。

さて、来週が今年最後の投稿となり、毎週更新の呪縛からついに解き放たれることになります。ここまで稚拙な内容ばかりでしたが、それでも読んでくださった方々に感謝申し上げます。あと1週間、おつきあいいただければ幸いです。

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