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十種の神宝から十二種の神宝へ


ああ勘違い?

 ということで『十二種の神宝』! 完成しました!
 『十種神宝の祝詞歌』の10年ぶりのリニューアル版になります。この作品、当時の自分としてはそれなりに自信作でした(ちなみに『十種~』自体こちらのリメイク)。

 が、けっこう大きなミスが後になって判明しまして。
 それは「九つか」が「ここのつか」になっている所。
「こつか」が正しい(※)です。「九」を「ここのつ」と読むのであれば「ここのつ・つか」になるわけで。
「九」と「つか」の「つ」を無意識につなげて読んでしまったんですね。

 ただ、『天地の数歌』では「九」が「ここの」になってますから、正解ではないものの完全な間違いではないかも知れない……ってことで、大目に見ていただけますと幸いです。

 まあ今回のリニューアルで修正できた(のでテキストに合わせてメロディも微妙に変わってます)のでいいんですけど。長年の懸案がようやく解決して非常にスッキリしました。

※その後、上記をひっくり返す情報を入手しました。『日本書紀』の一書の第一に「九握剣」が出てきていまして振り仮名が「ここのつかのつるぎ」になってるんですね。まあ元来は漢文なわけでこれが絶対正しいのかどうかは分かりませんが、先人の研究を無視することもできません。
 で、改めて「九」の字を調べ直すと「九」一文字で「ここの」と読むんですね。「ここのつ」は「九つ」でむしろ派生形。どうやら「ここの‐つか」でも間違いではないようです。
 なお完訳版『日月神示』の振り仮名は「こつか」になってますが、原文が不明なので何とも言えません。たとえば原文が「九つか」だったりしたらどちらとも読めますから。
 ただ言えるのは「こつか」だと発音的に「とつか」と紛らわしい。歌としても「ここのつか」のほうがリズムが良い。よってダウンロード販売の際は「ここのつか」に再修正させていただく予定です。あしからず。

十から十二へ

 動画の説明にも書きましたが当初は『十種神宝の祝詞歌』のままリニューアルしていました。しかし音源が完成し動画を制作している段階でタイトルがどうにも気に入らなくなったんですね。まず長ったらしい。それに『十種神宝祓詞』(十種祓詞)と紛らわしい。

『日月神示』由来だからタイトルに「日月」を入れる? でも『日月神示』だけじゃなく『おおいつきくにのおおみち』も出典だし……う~ん。

 そんな風に悩んでいて、パッと閃いたのです。「もうふたつ歌を追加して『十二種の神宝』にすれば万事解決じゃん!」と。

 幸い『日月神示』黄金の巻 第四十四帖には使い切れないほどたくさんの歌が残っているのでテキストには困りません。
 とは言うものの新たに作るメロディが『十種~』にうまく調和するのかどうかは不明で一種の賭けでしたが、結果は大成功と言っていいのではないかと。間奏もそうなんですが最初からこういう曲だったかのように違和感なくハマってくれたように思います。

 ハマったと言えば、今回の楽曲では第四十四帖の冒頭の3首と最後の2首をチョイスすることになったのですが。

 そもそも『十種~』を作った時に最初は、2番目の「かけまくも、かしこけれども、歌たてまつる」と終わりから2番目の「奉る、歌きこし召せ、幸はへ給へ」だけを使うつもりだったんですね。始めと終わりで同一メロディだとまとまりもいいかと思って。

 ところがたまたま前奏のメロディが「ひふみゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら」にぴったりだったものですから篳篥とのユニゾンの形で使用することに。今回はその流れのまま三番目の「御まへに、歌たてまつる。弥栄み歌を」を選びました。

 そして最後の「ひふみよい、むなやここたり、ももちよろづう」なんですが、前回は「十種十二種の神宝」のラストの数歌と被るので使わなかった覚えが。今回は冒頭の3首を使ったゆえに、それなら最後の1首を使うのが自然だろうと考えた結果の選択です。

 長々と書きましたが、要は『十二種の神宝』にしたことで意図せず納まるべきところに納まった。まるでそうなることが決まっていたかのように。
 そういうことです。

歌と動画

 ここからは楽曲と動画の流れを解説していきます。

日月神示 黄金の巻 第四十四帖 1

 まずは冒頭の鈴3回。最初は旧版と同様に無音だったんですが、動画制作時に無音だと物足りなさを感じたので追加しました。
 次、「ひふみゆら―」と「火山の噴煙」。前述したように前奏を兼ねています。が、重ねた篳篥は高音の別メロディにしてよりカッコよく進化。動画素材は旧版と共通。ゆらめく噴煙が壮大でこれ以上のイメージが見つかりませんでした。
 次、「かけまくも―」と「朝日と雲海」。これから始まる一連の祝詞の序章ってイメージです。最後にコーラスで厚みを持たせて、より壮大に。映像は朝日で黄金に輝く雲海が始まりにふさわしいかなと。「黄金の巻」にも掛けています。
 次、「御まへに―」と「雲と海鳥」。「かけまくも―」から続く感じのメロディで第一章を締めてタイトルへ。コーラスはずらす形で最後を重ねてより重厚に。映像は奉る祈りの歌を魂を運ぶ霊鳥に託すようなイメージ……なんていうのは後付けで、実際は良さそうな素材を当てはめたらなんかイイ感じにハマったので。しかし偶然という名の必然な気もします。
 そういえば「御まへに」はどう読むのかちょっと悩みました。キリスト教文化に染まっていると「みまえに」って読みたくなるんですよね。実際そう読むのも間違いではないんですが、どちらかと言えば例外的なようです。古語的には「おんまえに」が一般的ですし、四十四帖は片歌(5・7・7)形式なのでこれが正解でしょう。

タイトル/間奏1

 間奏と共に前段の動画から重なる形で、タイトル、ふりがな(無いと読めない)、英語タイトル「Song of the Twelve Divine Treasures」が入ります。なかなかに中二魂がうずくものがあって気に入ってます。
 他の間奏もそうですが最初からこんなメロディがあったかのようなぴったり感。
 映像は回転する光……だけではなく背後にゆらめく水面下の光があったりします。判りにくいですが。

 そうそう『日月神示』を象徴する「マルチョン」マークは旧版を作った当時ネットでみつけて無断借用してしまった素材です。その後『日月神示』関連の動画では長年愛用させていただいています。今回も引き続き……。
 作者のかたへ改めて心からの謝罪と感謝を込めて「ごめんなさい。ありがとうございます」。商売抜きで公共性の高いものとして公開したものだから大目に見ていただけたのかな、と。シンプルで美しく素晴らしいクオリティですよね。大好きです。

 ちなみにサムネ画像ではミクさんが入ってますが、実際の動画では入ってません。詐欺ですみません。
 普通にミクさん無しバージョンも考えたのですが、やはりミクさんがいたほうが私の祝詞シリーズだと認識しやすいだろうと思いまして。
 本当にイラスト作者のyone_lさんには毎回心から感謝しております。毎回ピアプロではご報告してるんですがお返事が無くて。ご連絡いつまでもお待ちしております

アオウエイ祝詞

 タイトルから続いての「アオウエイ祝詞」泡の映像から旧版でも使った海中映像と共に。祝詞=祓=水なイメージ&「アオ」⇒ブルーのイメージで。
「アオウエイ祝詞」から「天地の数歌」までは『おおいつき~』における「天地弥栄祝詞」の部分になるので途中に間奏は入れないでひとまとめとしてあります。それぞれ単体として成立しながら、つなげて聴いてもいい感じにまとまっているのではないかと思います。

アヤワタカマナハラヤサワ

 なんともマジカルなワードで深く印象に残る祝詞です。神咒(かじり)と言ったほうが正しいのか。『日月神示』においても「アヤワ」は重要な意味を持つようです。
 高天原な感じもしますので映像は空と雲。前の映像の岩の影がそのまま雲の影に重なるのはまったくの偶然なんですが、自然すぎてびっくりでした。

ひふみ神言

「ひふみゆらゆら」ですね。映像は滝と揺れる花。ゆらゆらしててぴったりです。曲のほうもゆらゆらしたメロディになっていて気に入ってます。本当に詞章がふさわしい曲を連れてきてくれるものなんですよね。

天地の数歌

 数字がそのまま祝詞になるって発想が好きです。
「アオウエイ祝詞」からここまでの祝詞は典型的な文意のある祝詞とは違って感情が乗らないタイプなので唱えやすく歌いやすくて好きです。時と場合を選ばず割といつでも使える感じで。それから何より短くて覚えやすいのがいい
 映像は木漏れ日。最後に揺れるのがポイント高いです。最初は次の間奏と似た感じの森林の映像だったんですがyoutubeに上げたらなぜか著作権でひっかかったので変更しました。
 正直変更前のほうが良かった気もしますが、変更後もこれはこれで悪くないかと。天(空)と地(樹)ってことで意味的にはこちらのほうが合ってますし。

間奏2

 短い間奏。ブリッジと言ったほうが正確か(ただしブリッジの意味はなかなか面倒くさくも興味深い)。旧版よりテンポを落としたこともあって楽曲自体が長いので間奏は極力短めを心掛けました
 森林に差し込む光がカメラの移動で回り込むような映像で新たなパートへの転換を表現。

アイウエオ祝詞

 祝詞とは言うものの要するに単なる五十音なわけで、これに「らしい」曲を付けられるものなのか? 当時かなり不安に思ったことを覚えています。あまりに身近すぎて、神聖さを感じられなくなっていますし。
 でもふたを開けてみたら想像以上にいい感じの曲が出てきてくれて「勝った!」と思いましたね。ひふみ祝詞なんかと違って単体ではないので特に評価されることもありませんが、(日本人にとって)改めて覚える必要が無い祝詞なわけで、ある意味貴重なんじゃないでしょうか?
 映像は旧版と同じ富士山&『日月神示』原文。この筆致は素人目にも美しく感じられて好きです。言葉の根源であるアイウエオに重ねたら合うのではないかと思い採用。
 富士山のほうは言うまでもなく「富士は晴れたり、日本晴れ。神の国のまことの神の力を現す代となれる」(完訳版)から。

アオウエイ~ワヲウヱヰ祝詞

 分類上の必要から小見出しは上記のようにしましたが、これ特に名称は無いんですよね(実のところ「祝詞」かどうかも定かでなかったり)。まあ「細けえこたーいいんだよ」精神でひとつ。
 メロディは「アイウエオ祝詞」のバリエーションって感じですね。コーラスはこれも「アイウエオ祝詞」も後ろの三文字だけに下三度のハーモニーを付けました。全部に付けるよりメリハリが出たかなと思います。
 映像は月の浮かぶ波打ち際。朝陽なのか夕陽なのか水平線が赤く染まっています。太陽と月とで『日月神示』に相応しいんではないかと。
 実のところは単純に山と来たら次は海だなと思っただけなんですが。

間奏3

 やっぱりこれまた短い間奏です。どの間奏も作り方としては直前のメロディの流れから導き出す感じで、特に深く考えずにサクッと決めています。あまり計算は無いです。箸休め的なものですから気持ちよく気分転換というかイメージをリセットして次のパートに移ってもらえたらいいかなと。
 映像は夕景(?)の波打ち際

十種十二種の神宝

 十種=とくさ。では十二種は何と読む?
 旧版を作った時には「とおあまりふたくさ」だと思い込んでいました。後から勉強して「とくさあまりふたくさ」が正しいと知って、後の祭り。今回やっとこさ訂正できました。古代日本の数字の読みかたは長すぎるにもほどがありますね。実用的にはどうだったんだろうと思いつつも「だがそれがいい」。
 映像は「十種、十二種の神宝」雪の枝に止まる鳥。最後に飛び立つのが良いです。次の「沖津鏡、辺津鏡」鏡のような湖に広がる波紋に飛び込むようにつながっておいしいなと。
 次の「 八握剣、九握剣、十握剣」押し寄せる白い波濤が剣のイメージ。 

(ちなみに十種神宝に無くて十二種神宝にあるのがこの九握剣と十握剣になります。十握剣はイザナキの命がカグツチの命の首を切るのに使ったり、スサノヲの命が佩いていて誓約(うけひ)や大蛇退治で使われたりしています。が、要は拳10個分の長さの剣ってことで、固有名詞ではなく量産型の普通の剣ってことみたいです。
 八握剣は十種神宝のひとつとして絵図が伝承されていますがなんとなく密教の金剛杵っぽいですね。本来の意味としては短めの剣ってことだと思われます。
 九握剣はたぶん日月神示オンリー。とは言え八握剣と十握剣の中間の長さってことですから、十二種神宝として大中小の三振りの剣が存在するということが重要なんではないかと)

 次の「生玉、死返玉、足玉、道返玉」寄せては返す波に洗われる玉砂利。そのまんまですね。
 次の「蛇比礼、蜂比礼、品々比礼」はどうしたもんか悩みましたが、蛇≒滝、蜂≒黄色い花、品々(くさぐさ)≒草々という具合に見立てて。
 次の「ム、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、ウ」次々と寄せ来る波を数えるイメージ。
 最後「 ウ、十、九、八、七、六、五、四、三、二、一、ム」飛び交う無数の鳥の数を同じく数えるイメージ。またカウントダウンなので沈みつつある夕陽をイメージ。

日月神示 黄金の巻 第四十四帖 2

 最後のパートは短いので間奏無しで突入。
 前述の通り「奉る―」は冒頭の「かけまくも―」と同一メロディ。「幸はへ給へ」「さ「き」わえたまえ」と歌っていますが「さ「ち」わえたまえ」かもしれません。完訳版でも「天津祝詞」では「さちはへたまへ」なんですが、龍音之巻 第十九帖では「さきはえたまえ」と振り仮名されていたりもするのではっきりしないんですよね。他のところは振り仮名が無い(ここも無い)し。だからたぶんどっちもあり。
 映像は鏡のような湖(前とは別バージョン)。
 次の「ひふみよい―」は第四十四帖の最後の歌でもあるので本当に納まるべきところに納まった感が。
 夕闇に流れる雲と共にラストソングが歌われ、月の出と星々の現れの中で後奏が吹き鳴らされ、鈴の音が響いておしまい、です。

終わりに

 文章量に反して大した内容が無くて申し訳ありません。書いていて自分でも「これ必要ある?」って気持ちが抑えきれませんでしたが、読んでいただけたらそれなりに色々考えて作っていることはご理解いただけるんではないかと。
 なんせ今の時代だと私のこの祝詞シリーズが『日月神示』を知るきっかけになることもあるらしいので「手抜きだけは出来ないな」と全力を尽くしてベストなものを目指しました。旧版に輪をかけて聴いて良し歌って良しな作品に仕上がったと自負しております。
 長い祝詞を覚えるのはなかなか大変ですが、今作であればどれもごく短いものですから簡単に覚えられること間違いなし。実生活の中で折に触れて楽しく聴いたり歌ったりしていただけたらこれに勝る喜びはありません。
 いえ、感想をもらえたらさらに嬉しいですね。お暇がありましたらどうかおひとつ……。

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