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私の声の基 その4

〜私の声の基 では、私の歌の周辺について、普段は感覚で捉えていること、説明していないようなこと、をあらためて考え、言語化し、私が大切に思うのとなどを可視化するために書いています〜

「あ」と言う一音で喜怒哀楽を表現したい

そんな歌手になりたいと思っていた

「あ」には発声だけでなく、発声する人の体の状態、仕草、息遣い、などいろんな要素が絡み合わさり、それらの全体情報をその人固有の表現として受け取ることができるのだと思う。

日常生活でそんな表現活動ができれば、人の感情を受けとることができる。イメージすることができる。それが人を思いやることに繋がり、気を遣う(ポジティブな方のね)、人の気を読み取る(超能力じゃなくてね)、と言う本来みんなが持つ力を呼び覚ますんではないか。

私が歌う意味、表現する理由は、人と心地よく関わりたいということが根底なのかもしれない。

感情を受け止める

「感じる」ことは強要できない。知識は与えられても、感情を与えることはできない。だけど、感じる心と体を育むことは一緒に取り組むことができる。

感じる力が表現する力になる
それは間違いなさそう

感じる心は他者の言葉を受け入れること(言いなりになるのではなく受容するということ)ができる

自分を表現することができれば他者の表現を受け入れることができる(傷つけるものについては留意しなくちゃだけど)

と思っている。

感じる心と体を育む

例えば、親子の場合。お子さんに対して

「あなたがいてくれてありがとう」「あなたがいるおかげで幸せだよ」

と感謝を伝える。

お手伝いしてくれたから、とか、お願いを聞いてくれたから、ではなく、ただただあなたがいること自体に、あなた自身に価値があるってことを伝える。愛情とともに生きているってことを伝えて、感じてもらう。

私は歌うことや、カラダオーケストラというワークショップで、その気持ちを発信したいと思っている。

一人一人に価値がある

ってことが大前提で、

私の場合は、童謡や唱歌で情緒的な歌の世界に触れたり、創作活動(描く、創る、奏でる、など)をしたり、美味しいものを一緒に食べたり、笑いあったり悲しみを共有したり、、、。

大切な誰かと体験と心を共にする。

楽しい時の心と体の状態、悲しい時のそれ、悔しがっている時のそれ、落ち込んでいる時のそれ、、、たくさんの体験が積み上がって、できる限り受け止める。

わかる、は結構難しいこと。その人がその気持ちになるまでの果てしない旅を「わかるよ」とは私はなかなか言いづらい。例え子どもでも、もちろんのこと。

わかるのではなく、受け入れる
同調ではなく、受容する

これって親子だけでなく、もちろん大人同士でも一緒なのだろうと思う。

自分とは何もかもが違っている他者との関わりを心地よくするために、自分の気持ちを表現し、相手の気持ちを受け入れる、その心と体を育んでゆくこと。これは、ますますこれから必要なスキルなのだと感じている。

私はその一端を、もしかしたらそのこと自体を、歌うことで、表現活動で、カラダオーケストラワークショップで伝えていきたいな。音楽でできること、表現することで伝播していく力にこめていきたい。

まぁ、多分、ただただ私は、歌いたいだけ笑 かもしれない。

よろしければサポートよろしくお願いいたします❣ たくさん歌いたい、表現したいと思います。ありがとうございます💕