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j-hope "=(Equal Sign)" だから僕は歌っている 〜日本語選びにこだわる和訳歌詞 no.058

人に優しくなるために
君が犠牲にすることは何もない
僕と君の間に大した違いはない
僕らはその等号を見つけ出すまで
異なる解釈で愛を探している

=(Equal Sign)



僕らはお互い
足並み揃え 視線を合わせる
人の上に人は無く
人の下に人は無し
さあ、始めよう!

愛と共に 信頼と共に
尊敬と共に ひとつずつ

僕らは未だ世の中に無関心だ
関心が必要だよ 僕らには
変化の始まりは間もなくだから
おそらく 僕らの役割だから

喉を枯らして叫んでも声なきわめ
肌で感じる違い
正々堂々受けて立つ
やりきれなさに 項垂うなだれる
世界は広く、人の心は実に狭い
必ずしも同じ必要はないのに
異なることが何故、罪なのか?
年齢を超えて
性別を超えて
国境を越えて
もしかするとみんなの宿題のようなもの
僕から言わせてよ
差別ではない差異であること
偏見の被害者
知るべきなんだ それは
我々なのだということを
(お願いだ)

憎悪は君の心を麻痺させるだろう
対岸に目を向けなければならないのだ
人に優しくなるために
君が犠牲にすることは何もない
僕と君の間に大した違いはない
僕らはその等号を見つけ出すまで
異なる解釈で愛を探している

同じなんだ 僕らがする呼吸
同じなんだ 僕らが見る夢たち
同じなんだ 人生の笑いと涙
同じなんだ 全て尊重される身

僕らの心のパズルにおいて
強さをもたらすそのひと欠片かけら
ある日 全てが意味を成すだろう
だから僕は歌っているんだ
この世界の 愛のために

おいでよ 一緒に来てごらん
平等とは 君と僕のこと


韓国語歌詞はこちら↓
https://music.bugs.co.kr/track/6169187

『=(Equal Sign)』
作曲・作詞:j-hope , Scoop Deville , Melanie Joy Fontana , Lindgren


*******


今回は、2022年7月にリリースされたj-hopeのソロアルバム「Jack In The Box」に収録されている "=(Equal Sign)" を意訳・考察していきます。

「同等・平等を語るにはまだ自分は未熟で手に負えないところもあるが、それでも話してみようという気持ちで作った曲」であったことがリリース後公開のインタビュー動画で語られています。

敢えて苦手意識を持つ英語でサビを歌ったのも、そんな自分を押してでも英語で歌うことによって音楽で〈平等〉を表現するためだった、とのこと。
今回のソロアルバムでホビの「歌」が聴けることを期待していた私は、そのサビを初めて聴いた時はかなり、かなりの衝撃でした。こころでガッツポーズをしました。

イントロとインタールードを除くとアルバムで最も短い楽曲であり、リリース日に公開された英NME(New Musical Express)誌のアルバムレビューでは「輝かしい愛のメッセージは余りにも早く終わってしまう」と評されています。
私も…私もそう思います…もっと長くこの曲に耳を委ねていたい…そう思って暫くの間この1曲だけを鬼リピしていました。

とはいえ、収録された形が彼が悩んだ末に出した大切な答え。そこに託されたものを少しでも誤解なく感じ取ることができたらいいなと思いながら、歌詞の内容に迫りました。



1.イコール・サイン

タイトルとなっている「=(等号)」は、それを挟んで置かれた式や数が等しいことを表す、とても見慣れた記号です。おそらく大多数の人があらかじめその意味を知っている状態でこの楽曲に触れることになったのではないかと思います。

2019年4月にリリースされたミニ・アルバム第6集「MAP OF THE SOUL : PERSONA」に収録されている "Jamais Vu" のホビパートに既に「Equal Sign」というフレーズが登場していることから、このテーマが彼の中で長く温め続けられてきたものだということが窺えます。

내 그림자는 커져가도
(僕の影は大きくなっていっても)
내 삶과 넌 Equal sign
(僕の人生と君は等号)
So 내 Remedy는 Your remedy
(だから僕の治療法は君の治療法)
― "Jamais Vu" j-hopeパートより

※引用文に付けた和訳は直訳
https://music.bugs.co.kr/track/31548672

歌詞に登場するフレーズ「사람 위에 사람 없고 사람 밑에 사람 없어(人の上に人は無く、人の下に人はない)」は「本来生まれた時から権利や義務が平等である」という意味の韓国のことわざとのこと。(参考
(ちなみに語呂が良く似ている福沢諭吉著『学問のすゝめ』の冒頭文とは意味が異なるそうです。(参考))

この〈平等〉という状態について、彼はどのようなアプローチをしていくのでしょうか。


2.違うことは罪ではない

彼は〈平等〉を語るためにまず〈違い〉について経験してきたことを明らかにします。

목쉬게 외쳐도 소리 없는 아우성
(喉を枯らして叫んでも声の無い喚き)
피부로 느끼는 다른 점
(皮膚で感じる違った点)
정당하게 올라(正当に上がるよ)
솜뭉치로 가슴 치며 갸우뚱 ※1
(綿束で胸を叩いてうなだれる)

※引用文に付けた和訳は直訳
https://music.bugs.co.kr/track/6169187

※1 솜뭉치로 가슴(을) 칠 일(이다)…綿束で胸をどんなに叩いても涼しくならないように、働きかけが実を結ばず空しくなる様子を比喩的に表す韓国のことわざ。(参考

ここで言う「皮膚で感じる」ものは、感覚的な居心地の悪さを指していると共に、物理的な「肌(人種)」の〈違い〉についても示唆しているのではないかと私は思いました。
アジア人であるが故に受けてきた反感に「정당하게(正当に)」対応してきたものの、暖簾に腕押しのような現状に虚しさを覚えて嘆いている―――세상은 넓고 사람 마음 참 좁다(世界は広く、人の心は本当に狭い)―――と。

そしてこう問いかけます。

꼭 같을 필요는 없어도 ※2
(必ずしも同じ必要はなくても)
다른 게 왜 죄일까?
(違うことが何故罪なのか?)

※引用文に付けた和訳は直訳
https://music.bugs.co.kr/track/6169187

※2 -ㄹ/을 필요는 없다…~する必要はない、~することはない(参考
必ずしも同じである必要はなくても→必ずしも同じである必要はない状況でも→必ずしも同じである必要はないのに と意訳しました。

同アルバムに収録されている "STOP(세상에 나쁜 사람은 없다)" で彼は、何故「悪い人」はこの世に存在するのか、どうしたら人と人との衝突を「STOP」することができるのか、ということについて歌っており、"=(Equal Sign)" の歌詞とも密接な関わりを持っていると私は感じています。

自分と同じ意見、姿かたちではないというだけで相手を否定することがまかり通るなら、相手からしてみれば自分もまた相手から否定される対象となり得るということを理解しなくてはなりません。
この世に「悪い人」が生まれる理由の一つは、自分が勝手に作り上げた「悪」の定義を相手に当てはめてしまうことでもあるのです。

自分と完全なる「=」で結ばれる相手などひとりもいない、人と人が全く同じである必要はどこにもないのに、自分だけのものさしで「違い」を「罪」として負わせるような言動や行為をはたらく…それがまさしく「偏った見方:偏見」と呼ばれるもの。

彼はこの「偏見」に関する問題が「어쩌면 모두의 숙제 같은 것(もしかしたらみんなの宿題のようなもの)」であると提起し、その被害者は「我々」であることを理解しなければならない、としています。

この世に生きる誰もが「偏見を持つ側/持たれる側」であること。
そして例え意見、姿かたちが「=」で結ばれる相手同士ではなくても、それはお互い様(「=」の立場)であり、何の罪も罰も罵声も暴力も、与える権利も受ける謂れもないのだということ。

「=」が成り立たない状況で、いかにして互いが「=」の立場であることを理解し、行動しようとするか。それが人と人との関係を限りなく「=」に近づける方法なのではないかと思います。


3.等号を見つけ出すその時まで

ここでちょっと話が脱線します。

特撮ヒーローとバトルアニメを観て育った幼少期の私は、主人公がいる側が「正義」で、闘っている相手は「悪」であるという単純明快な「勧善懲悪」の話をなんの疑いもなく受け入れていました。

そんな私が、
「争う相手にも正義がある」
という単純なことについて、だいぶ大人になってから理解するきっかけを得ることになりました。それは『機動戦士Zガンダム』というアニメーション作品です。

本放送が1985年だったZガンダムを、私は8歳になる年でリアタイしました。元々子供向け番組の域を超えたストーリーを展開していたガンダムシリーズでしたが、この「Z」はまた更に複雑な人間ドラマありの内容で、終わり方も非常に重たく衝撃的。直後に放送開始された続編の「ZZ」が反動で明るい雰囲気で始まったこともあり「Z」には暗くて難しい話、というラベルを貼って胸の内に仕舞ったまま長い時間が経ちました。

子どもを産んで暫くして一緒に特撮やアニメを観始めた頃、長く忘れていたヲタクの血が甦った私は過去に好きだった作品を片っ端から観直し始めました。その際にZガンダムも全話視聴し直したのです。

終わり方の衝撃度は相変わらずでしたが、全体から受ける印象がガラリと変わりました。そうか、そういうことを言いたかったのか、と。
本編は最終的に三つ巴の戦いになってゆくのですが、それぞれが持つ理由や、セリフや行動の意味など、子どもの頃はわからなかった事が見えてきました。
「主人公が正義」「対戦相手は悪」であるという視点自体が、ある意味「偏見」のひとつである、ということに気が付いたのです。
(ここで言う正義と悪の線引きとは、人道的に正しい行いをしているか否かではなく、その人にとっての正であるかどうかということです。)

最近では『進撃の巨人』『鬼滅の刃』『僕のヒーローアカデミア』など「争う相手にも正義がある」ということを丁寧に描いている作品がヒットする傾向もあるように思います。これは私が子どもの頃に刷り込まれたガチガチの「勧善懲悪」よりはずっと人類にとって希望的なことだと思います。

だからと言って非人道的な行為を肯定するつもりは毛頭ありません。
ただ、 "STOP(세상에 나쁜 사람은 없다)" で歌われている「生まれながらの悪人はいない」という前提を鑑みるに、相手にもそれなりの理由があるのだと思いを馳せることでしか見えてこない「=」があるのではないか。そう思わずにはいられないのです。

話を歌詞に戻します。
互いに違いがある事を理解しつつ、それでも尚思いやりを持って接することで「=」を見出そうとする姿が、後半の英語詞の部分で表現されています。

It costs ya nothin' to be kind
(親切にするために君が犠牲にするものは何も無い)
Not so different you and I
(君と僕に大した違いはない)
Lookin' for love in a different light
(異なる見方で愛を探している)
Until we find that equal sign
(僕らが等号を見つけ出すまで)

(中略)

Just a piece to give strength
In the puzzle of our hearts
(僕らの心のパズルに強さをもたらすただ一つの欠片)
It'll all make sense one day
(ある日 全てが意味を成すだろう)
So I'm singing
(だから僕は歌っている)
For love in this world
(この世の愛の為に)

※引用文に付けた和訳は直訳
https://music.bugs.co.kr/track/6169187

人の心を一つ一つの形が異なるパズルのピースに例え「the puzzle of our hearts(僕らの心のパズル)」という表現に至っている点が素晴らしいと思います。
人にはそれぞれ違いがあるものだけれど、それでも理解し合い手を携えていくべきだ、という思いがここに凝縮されているのだと感じました。
それらのピースがガッチリはまり強く結びつくために必要なものはただひとつ、思い遣りにあふれた「愛」であり、その愛を手に入れるためには互いに「=」を見つけ合うという地道な心掛けが欠かせないのだ、と。

だから僕は歌っている。この世の「愛」の為に。

ここまで簡潔かつ完璧に歌い上げているこの作品。どんなに短くてもやはりこの形がベストだったのだなと思います。
楽曲が伝える想いが意味を成す日が来ると私も信じています。



最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。
🤡