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Agust D "마지막(The Last)" 恨(ハン)が生んだ俺 〜日本語選びにこだわる和訳歌詞 no.035

一度きりの人生 誰より狂おしく
いい加減な生き方は誰でもできる
俺のファン 俺の仲間 俺の家族
案ずる事勿れ
俺はもう、本当に大丈夫

마지막(The Last)


売れっ子アイドル・ラッパー その裏で
惰弱な自分が立っていてちょっとヤバい
鬱病 強迫観念 時折 また ぶり返す
なんてこった でももしかしたらそれが
俺の素顔なのかもしれない

現実の乖離感
理想との葛藤
痛いね 頭が
対人恐怖症が生じてしまったのは
18歳の頃 そう その頃
俺の精神は徐々に汚染されてゆく

時折 俺も自分が怖いよ
自己嫌悪と
酷くなってしまった鬱病のせいで
最早、ミン・ユンギは死んだ
(俺が殺した)
萎えた情熱と他人とを比較することが
俺の日常になってしまって以来久しい

精神科を初めて受診した日
両親が上京して一緒に相談を受けたね
両親曰く「この子がよくわからない」
俺自身も自分がよくわからない
それなら誰がわかると言うのか
友達?いや、お前?
誰一人として俺をよくわかっていない

医者が俺に喰いついた
「***事があるか?」って
躊躇なく俺は言ったよ
そういう事があるって

癖みたいに言ってる言葉
「知らねぇよ、どうでもいい」
そんな言葉は全部
弱い自分を隠そうとする言葉
消したいあの時
そう 覚えてすらいない
或る 公演の日
観客達が怖くて
トイレに篭ってしまった自分と
対峙した俺

あの時俺は あの時俺は
成功が全てを
帳消しにすると思ったよ
ところがさ ところがだ
時間が経つにつれて
怪物になる気分だよ

青春と引き換えた
俺の成功という怪物は
一層大きな富を求めているよ
武器だった欲心が
俺をつまみ上げ丸呑みにしダメにして
時には首輪を掛けるね
或る奴は俺の口を捻じ伏せて塞ぎ、
禁断の果実を呑めと言う
そんなの要らねぇ
奴等は俺が この楽園から
出て行く事を望んでるのさ

畜生 わかったから 
頼む やめてくれ
全ての根源は俺だから
俺が自力で止めてやる
俺の不幸がお前らの幸せと言うのなら
喜んで不幸になってやる
憎しみの対象が俺ならば
断頭台に上がってやるよ

想像の中だけの事が現実になり
幼い頃の夢が目の前に
たった二人の前で演じた青二才が
今では東京ドームの目と鼻の先に
一度きりの人生 誰より狂おしく
いい加減な生き方は誰でもできる
俺のファン 俺の仲間 俺の家族
案ずる事勿れ
俺はもう、本当に大丈夫

自分の本質を打ち消した事は数知れず
俺の居場所はアイドル 否定はしない
幾度となく精神に深く入り浸った苦悩
さまよった果てに 正解は無かったよ

売ってしまったと思っていた自尊心が
今では俺の自負心となる
俺のファン達よ
堂々と その顔を上げん事を
他に誰が、俺程できると思う?

SEIKOからRolex
AXホールから体操競技場
俺の手振りひとつで動く数万人の頭
論ずるよりも証拠を見せろ
できなかった、のではなくて
やらなかった、のだと
俺達を売り飛ばしたお前らは
やらなかった、のではなくて
できなかった、のだと
俺の創作のルーツは「恨」
世間の酸いも甘いも
糞の味まで全部味わったよ
トイレの床で
現実逃避を請うていたあの時は
もう 俺にとっては思い出だね
嗚呼 思い出になるのさ
配達のバイト中に起きた事故のせいで
粉々に打ち砕かれた肩で
必死に掴み取ったデビュー
お前ら誰の前で苦労したフリをしてる?

SEIKOからRolex
AXホールから体操競技場
俺の手振りひとつで動く数万人の頭
「恨」が生んだ俺
しかと俺を見ろ
俺達を売り飛ばしたお前らは
やらなかった、のではなくて
できなかった、のだと



韓国語歌詞はこちら↓
https://music.bugs.co.kr/track/6195263

『마지막(The Last)』
作曲・作詞:Pdogg, JUNE (KOR) , Agust D


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今回は、BTSのSUGAがAgust D名義で2016年8月に発表したミックステープ「Agust D」に収録されている "마지막(The Last)" を意訳しました。


1.ふたつでひとつ

翻訳を終えた後、私は暫くただ何度も目の前のそれを読み返していました。壮絶な過去、という安易な表現でしか、私はこの歌詞の内容を言い表すことができません。読む相手も、書いた本人ですらも傷ついてしまいかねない諸刃の刃のような言葉たち。その覚悟をもってして、全てが真実なのだと言わしめる説得力。その姿勢に畏怖の念を抱きました。

「事実は小説よりも奇なり」という言葉がありますが、この歌詞がまるで小説の中の話のようでもあって、それでいて確かに事実であるのだろうと感じることができるのは、紛れもなく彼自身の言葉で書かれているから。それに尽きるのだと思います。自分の目で見て、耳で聞いて、体で動き、その心で感じた事だけが並んでいるのです。

一方、SUGAとして発信する歌詞は「誰か」の物語に重なったり寄り添ったりできる多義的な言葉選びが慎重に成されているのだということがあらためて良くわかります。Agust Dとしての言葉とSUGAとしての言葉は互いに強く結びついており、それぞれが片翼を担っているのだと言えるでしょう。


2.この話はこれで最後に

朝鮮民族独自の「ハン」という名の感情をめぐっては専門家の方の解説が多数あるようですが、元々形のない感情をましてや他言語で定義すること自体が非常に難しいことです。いくつかの解説を読んだ上で私が受け止めた「ハン」の捉え方はこうです。

身体の自由や願望、自尊心を第三者から理不尽に抑圧され続ける内に、胸の内に溜まってゆく「怒り」と「哀しみ」により強く突き動かされる「反骨精神」

ドラマ『梨泰院クラス』をご覧になった方なら、正にこの感情が生まれる瞬間を既に目にされているかと思います。私の中ではパク・セロイは「ハン」の化身のような人物です。

「내 창작의 뿌리는 한 (俺の創作の根本はハン)」と言い切ってはばからないユンギが創作の糧としている「ハン」の感情は、まず、理想と現実の狭間で精神的に打ちのめされてしまった自分自身に対する「自己嫌悪」を克服するための原動力という形で表れます。音楽という命綱を頼りに、精神的な脆弱性と向き合い「成功」を目指します。

デビュー直後に受けたいわれのない中傷については "Born Singer" でも明かされていますが、"마지막" では更に、有名になった彼らに近づいてきた反社会的な存在にも触れているのではないかと思われます(「禁断の果実」=禁止薬物?)。それらに決して屈しないとする気概は「ハン」の元にあると言えるでしょう。

また、アイドルとしてデビューすることで生まれたヒップホップ界隈の人間との摩擦については "We Are Bulletproof Pt.2" でも語られていますが、そういった同業者からの否定を彼らの負け惜しみとして捉える(「やらなかったのではなく、できなかった」の節)姿勢は反骨精神にあふれていると思います。

更に彼は「アイドルラッパー」としての自分と、自らの本質との間にある溝に葛藤したことも明かしていますが、「(アイドルを)否定をしない」と選択したことで「売ってしまったと思っていた自尊心」は、結果的に「自負心」へと変化しています。置かれている状況と真摯に向かい合い、思い通りに進まないことを周りのせいにせず、自分にできることは何なのか、自分に求められていることは何なのかを冷静に考え全力を尽くしたからこその結果なのだと思います。

公演前にトイレに篭ってしまった場面が挿入されていますが、彼が「どん底から這い上がってきた」ことをより一層具体的にし、聴く側がそれを五感で想像できる部分です。

そしてこれらの「外的」な抑圧に加えて、「内的」な抑圧として事故で負った傷の記述が加わる事で、真に彼だけにしかわからない、彼だけの「ハン」の温度感が決定付けられています。

この世でただ一人、ミン・ユンギにしかできない話。それがこの「마지막(お終い)」という名の曲なのです。

個人的な過去を持ち出して話をするのはこれで最後。
心配するな。俺はもう、本当に大丈夫。
もうこの話はこれでしまいだ。

…そう言われているような気がしてなりません。



最後までお付き合い下さりありがとうございました。


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