BTS "Her" '彼女'との複雑な関係〜日本語選びにこだわる和訳歌詞 no.046
Her
世界は複雑で煩わしい
我々は愛を求めていた
僕もそんな人々の中のひとりだった
本当の愛なのかどうかは構いもせず
お決まりのように愛して欲しい、と
誰彼構わず 吐き散らしていた
でも僕は
僕自身を見つけ出した
全く新しい自分自身を
僕にも見分けがつかないよ
一体どの自分が本物なのか
'君'と出会って、僕が本なのだと気づいた
ということなのか?
いや、
'君'が僕のページをめくった
ということなのか?
とにかく僕は'君'にとって
最高の男であって欲しい
おそらく当たり前だ
'君'は僕にとって
この世界そのものだから
死ぬならきっと
僕と一緒に死ぬつもりだと言った時
'君'が望んでいる僕になることにした
神よ 僕は己に誓った
途方もなく複雑だけど
僕は 愛を求めている
偽りの僕でも好き、と
'君'が抱きしめてくれるなら
'君'は僕にとって始まりであり
終わりそのものなのだから
'君'が僕を終わらせてくれ
僕の全ての不可思議に対する答え
僕は'君'を'her'と呼ぶ
'君'は僕の'tear'だから
僕の全ての不可思議に対する答え
僕は'君'を'her'と呼ぶ
'君'は僕の'tear'だから
多分俺は
'君'の真実であり偽りかもしれない
多分'あなた'の愛であり憎しみ
多分俺は '君'の敵であり親友
'あなた'の天国であり地獄
時に誇りであり屈辱
俺は決して仮面は外せない
この仮面の下の俺は
'君'が知ってるアイツじゃないから
今日も目覚めるために化粧する
そして
仮面をつけるために着飾るよ
'あなた'が愛する俺になるために
'あなた'が愛するアイツになるために
好きだったxxもやめたよ
嫌いな服も 厚化粧も
'あなた'の笑顔と幸せが
それ即ち俺の幸せの基準
こんな俺が こんな俺が
'あなた'の愛を
受ける資格があるのだろうか
いつの時も 'あなた'の
最高になるために努力するよ
こんな姿は知らなければいい
俺の全ての不可思議に対する答え
俺は'君'を'her'と呼ぶ
'君'は俺の'tear'だから
俺の全ての不可思議に対する答え
俺は'君'を'her'と呼ぶ
'君'は俺の'tear'だから
いつものように仮面をつける
歓声で僕を迎えてくれる'君'
'あなた'だけの星
何食わぬ顔で 輝きながらも
一番輝くべき時に仮面を脱ぐ
見失われた星は
肩の荷を下ろし 闇を愉しむ
射殺すような照明もないから
ただ 心が動くままに
感覚のおもむくままに
己を解き放つがままに
時は経ち暗闇が終わる
再び'君'の最高になるために
僕自身を捕まえる
愛は人を狂わせる
そう 狂人の覚悟
最も自分らしい方法を選んで
全ての'君'のために
僕が下した答えをあげる
それを愛してくれる'君'
それによって努力する僕
'君'の存在に
新しい意味を探して光を放つ夜
僕はわかったよ
闇が終わっても
僕にとって'君'は
朝、ということなんだ
'君'は僕を目覚めさせた
僕の全ての不可思議に対する答え
僕は'君'を'her'と呼ぶ
'君'は僕の'tear'だから
僕の全ての不可思議に対する答え
僕は'君'を'her'と呼ぶ
'君'は僕の'tear'だから
韓国語歌詞はこちら↓
https://music.bugs.co.kr/track/31203504
『Her』
作曲・作詞:SUGA , SLOW RABBIT , RM , j-hope
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今回は2018年8月にリリースされたリパッケージアルバム「LOVE YOURSELF結 'Answer'」に収録されている "Her" を意訳・考察していきたいと思います。
この楽曲は2017年9月に発表されたミニ・アルバム第5集「LOVE YOURSELF 承 'Her'」の "Outro : Her" として収録され、後に "Her" として再集録されました。ラップライン3人によるユニット曲となっています。
ナムさんによる「承」のビハインド動画では、ビートは楽曲の主プロデューサーであるSUGA作、サビのメロディーはナムさんが作り、自分のラップパートを30分で書きあげたとも明かしています。
2022年6月リリース予定の「PROOF」CD 2にて、j-hopeが自身のソロ曲 "Outro:Ego" と共に選曲したのがこの "Her" です。
「ありのままの僕の姿、僕の'Ego'が僕の'Proof'なのだと思います」と語ったホビの選曲意図の核心に近づきたくて、今回この曲を翻訳することにしました。
1.Wonder,Her, Tear, Answer
そのサビ部分には、「承」リリース時にはまだ明かされていなかった後続のアルバム「轉」、「結」のタイトル、そして「轉」と「結」の間に「起」として公開された "Euphoria" のMVにつけられたタイトルに含まれている言葉が全て網羅されています。※引用文に付けた和訳は直訳
■'her'の正体を追って
"Her" の歌詞における一番の疑問は、女性代名詞'her'が指すものは一体何なのか、ということでした。
先日のラスベガス公演でのコール&レスポンスでもわかるようにARMYが女性だけだと彼らが思っているとは思えませんでしたし、一件の後は歌詞に細心の注意を払っていますので、こうして「女性」の影をちらつかせるからには何かしらの理由があるのではないか、と思ったからです。
何かの用語なのかと思い、wonder her tear answerと検索してみましたが空振り。バンタンと掛けて用語と解けば「ユング」!と思い、her ユング、wonder ユング、tear ユングなども調べましたがこれもそれぞれは空振り。
女性代名詞と言えば国や船などに対しても使われることが知られていますので調べ始めましたが、それらに女性代名詞を使用する理由を考えるとその線もないな、という結論に至りました。
この辺りで歌詞の中に'mask/仮面'が出てくることを思い出し、「仮面と言えばペルソナ!」という反射神経でユング persona shadow egoと検索してみたところ、ここで例の〈魂の地図〉の和訳された図解を目にし、「太母」という単語が目に止まりました。
この時、私は先日読み終えた『海辺のカフカ』のことを思い出しました。母や姉の面影を追っていた田村カフカの行動と'her'の間に何か関係があるかもしれないとユング 太母と調べてみたんです。ここで出会った用語辞典のページで、関連記事に挙がっていたのが、
【アニマ(Anima)】…男性の心に無意識に潜む女性のイメージ
でした。私はこれが'her'の正体だ、と思いました。
マレイ・スタイン氏著作の『ユング 心の地図』を手に入れておきながらこの半年ほど読む機会を逃していた私でしたが、ここでページを開いてみることにしました。
お詳しい方にとっては「何言ってんだこいつ」レベルの内容だとは思いますが、以下、ユングの思想を参考に考察を続けていきます。
■二択ではなく二分
1998年に英語版が、1999年に和訳本の初版が刊行された『ユング 心の地図』では、ユングが提唱した「アニマ/アニムス(女性の心に潜む男性のイメージ)」の考え方が昨今のジェンダー問題に関する論議を招いている、とあります。
つまり、性別に起因する精神世界の区別が、性別による差別や偏見を捨て去ろうという動きと矛盾していると解釈される場合がある、ということのようです。
確かに「アニマ/アニムス」の「二択」でしかないと考えると、そこに伝統的な性の区別を当てはめようとするのも致し方ないが、ユングの考え方は更に複雑なものであり、心が持つ見えない「何か」を説明するための仮説であるのだ、と、この問題に対してスタイン氏は補足しています。
私は「アニマ/アニムス」は心理的な動きの傾向を分類するために便宜的につけられた名前であって、全ての人間がそのどちらかに当てはまるわけではないし、当てはまる必要もない。という解釈をしました。
■男らしさって何?
アニマの存在の対局として挙げられるのは「男らしさ」という概念だと思います。
この「男らしさ」について、ユンギがアメリカ版『Esquire』誌のインタビューで語っています。
上記の問題提起と共に、日によって精神的なコンディションは変化するものなのに、一様に「男」として強がってしまう・強がらせてしまう状況を社会全体的に変えなければと提唱しています。
この「誰の中にもある弱さを自ら認め、互いに認め合うこと」に目を向けている彼らが、「強さ」に「弱さ」を補う役割を持つ「アニマ」と向き合った楽曲が "Her" である、ということになります。
"Her" はラップラインの3人がラップとサビを1セットにしてそれぞれの持ち場を担当しています。このRM→SUGA→j-hopeという順番ですが、私はここで既に彼らには「MAP OF THE SOUL : 7」における'Persona/Shadow/Ego'の分担と同じ役割が与えられていたのではないかと思いました。
"Her" 発表時点ではまだこれらのキーワードは活動に現れてはいないのですけれど、アニマの概念や「(My)self」、「mask/仮面」というキーワードが登場している楽曲なので、'Persona/Shadow/Ego'が作用していてもおかしくないのではと思ったからです。
ここからは、それぞれのパートをひとつずつ深読みしていきたいと思います。
2.'Her' with Persona
まず冒頭から「(外の)世界」と対峙し、そこで愛を求めている姿が描かれています。これは外界との渉外役である'Persona'の姿そのものに思えます。
'Persona'は周囲と同調するために습관처럼(習慣のよう)に「愛して欲しい」と撒き散らします。
■本の表紙としてのPersona
'Persona'として外界と関わる「僕」が「君(アニマ)」の存在を意識することで変化が訪れる様子が「本」をモチーフにした比喩でとても興味深く表現されています。
※以下、引用文につけた和訳は直訳
※1
意訳=無意識の中に在る君(アニマ)の存在を僕(Persona)が意識することによって、自身が1枚の表紙だけではない、何枚ものページで構成される1冊の〈本〉であると自ら気が付いたのか?
→Personaが主体
※2
意訳=いいや、君(アニマ)の方から僕(Persona)に作用(ページをめくる)することで、自身が何枚ものページが存在する〈本〉の表紙であることに気付かされたのか?
→アニマが主体
ちなみに音源を聴いてみると、「ページをめくったのか?」の後のブレイクには本当にページをめくる音が挿入されています。
■君が望む僕
次の部分では、'Persona'が「君」のために「男らしく」あろうとしている様子が表現されています。
「僕(Persona)」と「君(アニマ)」はお互いがお互いに無い部分を補い合う関係にあるので、僕が(無意識に)欲する姿が君(アニマ=弱さ・儚さ・優しさetc…)であるならば、「君が望んでいる僕」はその逆(強さ・堅さ・激しさetc…)つまり「男らしい」姿になるということになると思われます。
※3
「君は僕にとってこの世界そのもの」とある部分は、先ほどの〈本〉の比喩を用いるとわかりやすいかと思います。僕(Persona)が表紙であるとすると君(アニマ)は本を構成する物語(しかも一番ネタバレしてはいけない部分)に相当するのではと思います。
本を代表する表紙として「男らしく」あろうとする'Persona'の意気込みというか、'Persona'なのだから表向き頑張ろうとするのは仕方がないというか、そういった'Persona'の立場のようなものが上手く表現されているように感じます。
※4
「死ぬなら一緒に」のくだりは、スタイン氏が『ユング 心の地図』の中で「アニマにとらわれ過ぎると強い憂鬱な気分になってしまう」として、これを〈アニマ問題〉と呼んでいる(初版P181)件に関連があると思います。ある程度アニマとの距離を保っておかないと、繊細になり過ぎて「니가 날 끝내주라(君が僕を終わらせてくれ)」と死すらも呼び寄せようとしてしまう。一方的にアニマに優しさを求め続けるだけでは危険なのだ。ということを言い含めているのではないかと思います。
■君は僕の「綻び」
今回考察の序盤で色々と調べる過程で、単語'tear'が「割れ目・裂け目」という意味も持っていること、意味が変わると発音も異なる(涙=ティア/裂け目=テア)ことをあらためて知り、「轉」のOutro "Tear" でもこの同じ綴りの異音異句が重要な役割を担っているとわかりました。
ナムさんのターンで彼はサビにある該当部分を「テア」と発音しています。つまり、君は僕(Persona)=仮面(を被った人格)の「裂け目」だと言っているのです。外的世界に対して常に良い所を見せよう、愛されよう、強くあろうとしている僕(Persona)にとって「君(アニマ)」はその綻びの始まりでもある、と。前項の〈アニマ問題〉のことを指しているのかもしれません。
"Her" において、三人がそれぞれ'Persona/Shadow/Ego'の役割を担っているのではないか、と思ったきっかけは、この「裂け目」というワードが登場したことがきっかけでもありました。
ちなみにユンギパート、ホビパートで'tear'は「ティア」と発音されています。
■Wonderに対するAnswer
'her'と'tear'については答えが見えてきましたので、'wonder'と'answer'についての考察をここで。
私はこの'wonder'について、誰もが持つことができる問いではないと考えます。なぜならこの問いは、自身の感情や行動に何かしらの葛藤を抱えていて、更にそれを放置しないという選択を取った人にしか降りてこない問いだと思うからです。
「何故自分はこう行動してしまうのか。何故、こう考えてしまうのか」
そんなことをいちいち考えながら生きている人はそう多くはないでしょう。
敢えて考えるとするならば、こんな風に思う人は多いかもしれません。
「やりたいからやる。言いたいから言う。それでいいじゃないか」
意識と無意識の同意とでも言いますか、個の中で上手く双方が納得しながら進むことができている人は、'wonder'を感じることはないのではないかと思います。
私は今回、アニマと共に「アニムス」についての文献にもいくつか触れたのですが、この内容が正に今まで自分が抱えてきた'wonder'の'answer'だったので、まるでずっと解けなかった数式が突然理解できた時のように "Her" のサビの意味を理解することができました。
特に、段階を踏むとされているアニムスの各ステージで起こるイベントが、これまでの私の人生に起きてきたことに当てはまり過ぎて笑っちゃう程…例えば「ヒーローに惹かれる(第一段階)」とか(→物心ついた時からアニメ特撮オタクです)「表現力や人を動かす言葉の力を持つ男性に惹かれる(第三段階)」とか(←正にイマココ!!!!!)
自分が「フツウの女子」だと思ったことがこの四十数年ただの一度も無く、その理由が何なのかずっと考えてはいたものの最近はもうそれすらめんどくさくなり、このままちょっと輪から外れたところで自分は人生を終えていくんだなと諦めていたところでした。
そうか、私の中には'him'がいるんだ。
本当に人生が終わる前に、君の存在を知ることができてよかった。
3.'Her' with Shadow
続いてSUGAパートです。
個人的な見解でこのパートの意訳後の一人称は「俺」になっています。ユンギのラップって、「僕」じゃなくて「俺」って訳したくなるんですよね。
このパートで注意深く拾い上げていきたいのは、二人称の使い分けです。このパートには「너」と「당신」のふたつの二人称が使われています。まずは、こちらのページが丁寧に解説してくださっていますのでぜひご確認ください。
こちらの解説によると、
・「너」…同い年以下に対して使う。≒「お前」
・「당신」…不特定多数の人に対して使う。≒「あなた」
ということのようです。
以上を踏まえて歌詞を読みこんでいくと、それぞれが誰を指しているのかが見えてきます。
■君
まず「너(니)」ですが、こちらには「アニマ」が代入できます。ナムさんのパートに登場した「너(니)」と同じポジションです。
そしてこのパートでは「나」に'Self'を当てはめてみます。'Self'は意識と無意識が統一された心全体を指します。
意識と無意識という両極の観点を併せ持つ「俺(Self)」にとって「君(アニマ)」は、真実にも偽りにもなり、敵にも味方にも成り得ると言えるでしょう。
そして「君が知っているアイツ」は、'Persona'の役割(男らしくあること)と相対的な「君(アニマ)」側からみた、仮面(Persona)の向こうの世界で受け入れられている「俺」です。(ナムパートの項で書いたように、'Persona'とアニマは互いの足りない部分を補い合っています)
実際には強くない自分(Self)を自覚しているため、仮面の中身は「君」が知ってる俺じゃない、仮面は脱げない、と拒絶しています。
■あなた
そして「당신」には不特定多数の人…
そうです、ここでついにARMYの姿が歌詞に投影されます。
私はここまで記事として公開していない曲も含めると50曲近くバンタン楽曲の翻訳を重ねてきたのですが、二人称「당신」が登場した曲はこの "Her" が初めてでした。他にもあるのかな?
愛/憎悪、天国/地獄、誇り/屈辱のくだりからは、彼自身、自分たちがARMYに常に良い影響だけを与えることが出来ているとは思っていない、ということがわかります。ちょっと寂しいけれど、現実のこと。
その後の部分は、私自身ARMYのひとりでもあるので「あなたのために努力するよ」なんて言われてちょっと舞い上がってしまったのですが、「俺(Self)」側に立って歌詞を読み直してみると、そこにあるのは紛れもない'Shadow'なんですよね…嫌いな服も分厚いメイクもARMYが笑顔になってくれるなら幸せだと言いつつも、それらは'Persona'が担当している領域であり、'Self'がそれらを拒絶することによって生まれた'Shadow'の気配をそこはかとなく感じます。
そしてとどめの言葉がこれです。
「こんな姿」とは'Persona'を剥ぎ取った後の「俺(Self)」の姿であり、このセリフ自体が'Shadow'の顕れであると言えるのではないでしょうか。
サビの'tear'は「ティア」と発音されており、「涙」と訳しました。
'Shadow'を抱えた「俺(Self)」にとって「君(アニマ)」は自分の中の弱い部分として捉えられていて、その象徴として「涙」が用いられているのだと思います。
4.'Her' with Ego
最後はj-hopeのパートです。
このパートにも「너(니)」以外の二人称が登場しています。
■あなただけの星
・그대…時代劇や歌詞で用いられる。≒「そなた・あなた」
この「그대」も、これまで私が訳してきたバンタンの曲の中には見られない表現でした。そういえば昔(20年ほど前)聴いていたBoAちゃんの曲にはよく「그대」が使われていました。
ユンギパート同様、この「그대」にはARMYを当てはめることができるのではないかと思います。
そして、歓声をあげている'her'もARMYかと思いきや、こちらにはやはり前項同様「アニマ」が代入されると私は考えます。
「いつものように仮面をつける」ことが「ホソク(Self)からj-hope(Persona)に切り替わる」ことであるとした上で、それが「君(アニマ)」が望んでいる「強い姿」だとすれば、'her'が歓声をあげて喜ぶという流れに説明がつきます。
そして「あなた(ARMY)だけの星」として何事もなく輝いた後、「(星が)最も輝くべき時間」=深夜には「仮面を脱ぐ」…つまりチョン・ホソク(Self)に戻る、ということなのです。
■射殺すように射す
光(Persona)を手離しホソク(Self)に戻った後は、自分を包む闇にも居心地の良さを感じます。何故なら「射殺すように射す照明」のプレッシャーから解き放たれるからです。心の赴くままに、捕まえられない領域(無意識)にまでその全てを解放しています。
しかし時が経って、再び仮面をつける時が迫ります。
■自我と自己
ここで'Ego'を'Self'との違いについて考えることでその役割を整理します。
この解説によると'Ego'は意識されている部分の中心なので、無意識の領域にまで解き放たれた'Self'を「君(アニマ)の最高になるために」回収する=「僕自身(Self)を捕まえる」ことができるのは'Ego'であると言えるのだと思います。
■本当の自分に目覚める
j-hope(Persona)の原動力である「愛(それは例えばダンス・音楽・ARMYに対するもの、そしてARMYから彼へ向けられるもの)」は時として彼を人としての限界(覚悟を決める瀬戸際)にまで追いやります。
「j-hope(Persona)=意識」と「君(アニマ)=無意識」との関係を豊かなものにするために'Ego'が意識上で判断したあるべき姿=「君(アニマ)が愛してくれる」姿は「僕(Self)」の努力目標となり、自分の中の弱くて優しすぎる部分でもあった「君(アニマ)」にもただ弱いだけではない新たな存在意味を探し始めます。
終盤では、'Persona'が剥がれている時間(暗闇)が終わっても「僕(Self)」にとって「君(アニマ)」は己を正しく照らす存在であると気が付くこと(「僕はわかったよ~僕にとって君は朝」)で、より一層本来の自分自身に近づく(目覚める)ことができるのだ。と、言っているのではないでしょうか。
ホビパートのサビでは'tear'は「ティア」と発音されています。
この涙が象徴しているものは「弱さ」ではなく「君(アニマ)」の存在を肯定できたことに対する「喜び」に近いものではないかと、私は思います。
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ここまで考察してみると、ホビが「Proof」の収録曲に "Her" を ”Outro : Ego” と共に選曲した意図が、十分すぎるほど伝わってきました。'Ego'を理解するために必要なアイテムが全部詰まったような歌詞でした。
'Ego' 担当として無意識の中に後退せずに自分を出していく立場は、現実のホビのグループの中での立ち位置にも通じるものがあるような気がします。それは'Persona'担当のナムさん、'Shadow'担当のユンギについても同じことが言えるかもしれません。考えてみたら本当にすごいことですね。ラップラ最高。
専門的な話を語るにはまだまだ至らない私の駄文にも関わらず、ここまでお付き合い下さりありがとうございました。
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