BTS "Intro : Persona" 自分の温度を忘れるな 〜日本語選びにこだわる和訳歌詞 no.047
Intro : Persona
「俺は何者なのか?」
生まれてこの方問うてきた質問
おそらくは生涯
正解に辿り着けない、その質問
俺というヤツを
たかが数文字で答えられたなら
神があの 数多の美のすべてを
お作りになってはいないだろう
「どんな感じ?」「今の気分は?」
実際俺はとても良い感じさ
とは言え幾分不便があるよ
俺は己が犬か豚か何なのかも
まだよくわかっていないのに
周りが真珠の首飾りを掛けに来る
以前よりはよく笑うよ
念願だったスーパーヒーロー
今では本当になったみたいだ
ところが益々
何やらとやかく言われ過ぎる
誰かは走れと、誰かは止まれと
コイツは森を見ろと言い、
アイツは足元の花を見ろと言う
俺は、俺の影のことを
ためらいと書いて歌ったね
アイツはそれになってから
迷ったことがなかったね
舞台の下でも いいや、
照明の下でも度々現れる
陽炎のように熱く
しきりに俺を睨みつける
「おい、この所業を何故始めたんだ?
もう忘れたってのか?
お前は単に
聴いてくれる誰かがいたぐらいが
ちょうど良かったんだよ」
時にはすっかり全てが
単なるたわごとのよう
酔ったら出てくるのは知ってるさ…大人気ない
俺如きが何たる音楽を作るのか?
俺如きが何たる真実を語るのか?
俺如きが何たる召命を受けるのか?
俺如きが何たる詩神とされるのか?
俺が知り得る己の傷
恐らくそれが実際 俺の全部
世界は実のところ
何の関心もない俺の不器用
すでに性懲りもない後悔と
毎晩 気味悪く寝転がって
回り道のない時間を
慣れたように捩って過ごしても
その度俺をまた立て直したもの
最初の質問
俺の名前三文字
その最も前に来るべき「しかし」
だから俺はもう一度尋ねている
俺は一体誰なんだ?
お前の名を全て教えてくれ
死にたいか?
進みたいか?
飛びたいか?
お前の魂は何処だ?
お前の夢は何処にある?
お前は、生きていると思うか?
'マイ・ネーム・イズ・アール'
俺が記憶して、皆が知っている俺
俺を吐露するために
俺自ら作り出した俺
俺は俺を騙してきたかもしれない
己に嘘をついてきたかもしれない
でも恥ずかしくない
これぞ俺の魂の地図
親愛なる'俺'へ
お前は絶対にお前の温度を忘れるな
温かくも冷たくもなる必要ないから
時には偽善的でも偽悪的でも
これが 俺が掲げておきたい
俺の方向の基準
俺がなりたい俺
人々が望む俺
君が愛する俺
また俺が作り出す俺
笑っている俺
時には泣いている俺
今も毎分、毎瞬間
生きて 息をする
ペルソナ
俺は一体誰なんだ?
俺は進みたいだけだ
俺は飛びたいだけだ
俺は死ぬまで全ての声を君に捧ごう
君が涙する時は常にこの肩を貸そう
ペルソナ
俺は一体誰なんだ?
俺は進みたいだけだ
俺は飛びたいだけだ
俺は死ぬまで全ての声を君に捧ごう
君が涙する時は常にこの肩を貸そう
韓国語歌詞はこちら↓
https://m.bugs.co.kr/track/31548667
『Intro : Persona』
作曲・作詞:Hiss noise , RM , Pdogg
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今回は2019年4月にリリースされたミニ・アルバム第6集「MAP OF THE SOUL : PERSONA」に1曲目として収録されている "Intro : Persona" を意訳・考察していきます。
ミニ・アルバム第2集「Skool Luv Affair」のイントロ曲 "Intro : Skool Luv Affair" がサンプリングされているこの楽曲は、アルバムのイントロをRMがソロで担っている曲で、翌年2月に発表されたリパッケージアルバム「MAP OF THE SOUL : 7」においても同様に1曲目を飾っています。
V LIVEに残っているビハインド動画でナムさんは「MAP OF THE SOUL : PERSONA」の制作期間、自分は「作詞ロボット」だったと表現しています。なんでも全体(ユンギとホビのラップパート除く)の8~9割の作詞を担当したとのこと。
また、「LOVE YOURSELF」を経て次のテーマをどうすべきか悩んだ末、更に外側に大きく広げるのではなく「内側」の小さな世界に目を向けることで「MAP OF THE SOUL」シリーズは生まれたとも語られています。
(05:40~14:49までの間でアルバム全体の総括をしてくれています。)
"Intro : Persona" は、防弾少年団の「ペルソナ(社会的な表層)」を自覚している彼が、「RM」として、または「キム・ナムジュン」として、自我(Ego)や影(Shadow)の存在を交えながらあらためてその立場・役割・葛藤を整理していくものになっています。
1.「ためらい」と呼んだ影
この楽曲はタイトルこそ〈ペルソナ〉ですが、実は歌詞の内容はそのほとんどが〈影〉についての表現になっています。
これは〈ペルソナ〉と〈影〉が対極にあるとされている前提を踏まえると、その一方を書くことで他方の存在を露わにすることを意識しているのではないかと思います。
その〈影〉に、彼は「망설임(ためらい・迷い)」という名を与えたと綴っています。※引用文に付けた和訳は直訳
「ためらいと書いて歌った」
「あいつ(影)はそれになってから迷ったことがなかった」
このくだりを読んで私は、過去の作品の中で彼が「망설이다(ためらう)」という言葉を使った際に〈影〉について表現したことがなかったかを調べてみることにしました。
そしてひとつの作品にたどり着きました。
2013年11月にSoundCloudへ投稿された "Too Much" という楽曲です。
"Born Singer" とほぼ同時期に書かれたと思われるその歌詞は、"Born Singer" がグループの言葉だったのに対して、より当時のRap Monster、あるいは김남준寄りの言葉選びがなされているように思います。
"Intro : Persona" の世界は、この "Too Much" あってこそのものであると私は思います。
"Too Much" の歌詞を読みこむ前に頭に入れておきたい記事がもうひとつあります。
このように、彼は〈影〉を「自分自身への挑戦を妨げるもの」と捉えています。
"Too Much" において「망설이다(ためらう)」という言葉が登場する箇所は前出の意訳で太字にした部分です。(以下に直訳を掲載)
夢を叶えたというのにその先に進むことにためらいを感じている "Too Much" での姿に、上記の定義がちょうど重なります。
彼が「考え過ぎ」てしまうのは、その聡明さ故のことだと思いますが、人の何倍もの速さと量でシミュレーションを繰り返す度に、リスクに対して募る不安もその分大きなものになっていくに違いありません。ひとりの人間として「ためらう」のもごく自然なことのはずです。
ただ、彼は自分が人前に立って自分の言葉で表現するアーティストであり、防弾少年団のリーダーであり、ARMYを含めた全体のペルソナであることを常に意識しているように思います。
"Intro : Persona" では、"Too Much" において「ためらい」と呼ばれさらけ出されたことで逆にためらわなくなくなった代わりに、ステージから降りても、照明の元でも、常に存在を主張するようになった〈影〉のその後の姿が書かれています。
そして囁くのです。「お前はそんな器じゃない」と。
「酔うと出てくる」のは、そういった周りの評価と自己評価とのズレから生じる不安に対する本音のことなのでしょう。
そして自問自答が繰り返されます。
「俺如きに何ができるのか」
実際、自分を作っている要素は「傷」でしかないのだと、ネガティブな言葉が並びます。
様々な結果を想定しまくって「性懲りもない後悔」で眠れない夜を過ごし身をよじる…そんな姿を想うと切なくて仕方がないです。
そこで彼を支え立て直すのが、冒頭の「俺は何者なのか?」という質問。
生まれた時に授かった「김남준」の3文字は当然のこと。
その直前に「しかし」がつくということは、更にその前にはまた別の名前が並ぶということ。
Rap Monster but 김남준、RM but 김남준、The leader of the BTS but 김남준、Rapper, Song writer…but 김남준.
たくさんの「名前」を持つからこそ、敢えて繰り返し自問する。
「俺は一体誰なんだ?」
進みたいのか、死にたいのか、飛びたいのか。
そもそも生きているのか。魂の在り処はどこなのか。
良くも悪くも周りに感化されるだけでは〈影〉に支配されてしまう。
だからこそ、適切な〈ペルソナ〉を装備するために本当の自分が考えている事〈自我(Ego)〉を呼びつけて繰り返し問い正しているのです。
彼が「ためらい」と呼んだ〈影〉が妨げる「自分自身への挑戦」とは正にこの自問自答のことであり、〈自我〉を常に確認し〈ペルソナ〉を成長させるために必要不可欠なものでした。
デビュー当時は〈影〉に任せてためらうしかなかった彼は今、たくさんの人々の気持ちを糧に空っぽだった己を満たし、「自分自身への挑戦」を極めた上で作り上げた〈ペルソナ〉を自由に装備することができるようになりつつ(本人は決して「なった」とは言いそうにないので…)あるのではないでしょうか。
2.カルマについて
この楽曲の歌詞の中で、ひと際不可解な部分がこちらです。
なぜ「RM」ではなく「R」?
本名にも入っていないこのイニシャルが何を意味しているのか。
この「My name is R」を丸ごと検索に掛けてみたところ、思ったより簡単にその答えを得たと確信することができました。
『マイネーム・イズ・アール(My Name Is Earl)』は2005年~2009年にかけてシーズン4まで続いたアメリカのシットコム。だそうです。
(原題の「アール」の綴りが「Earl」なのは理由があるのですがここでは割愛します)
「M」が続かない「R」をフックとすることで、このフレーズに込めた意味に気付かせるための仕掛けとなっているのです。
それではなぜ、このシットコムのタイトルが突然歌詞に現れたのでしょうか。その答えは、このドラマのあらすじを読んですぐにわかりました。
『マイ・ネーム・イズ・アール』は「カルマ」を題材にしたドラマだったのです。
カルマについて、2021年のインタビューでナムさんがこう語っています。
ミソジニーについて議論があったのが2016年とのことなので(出典P147)、「2017年以来」ということは、それらの問題がこのような境地に至る理由のひとつなのではないでしょうか。
「良いメッセージ、善良な影響力で(ARMYに)近づきたい(出典)」という信念の元、音楽活動に限らない様々な姿を見せ続けてくれている彼らを突き動かしているものの一つに、この「カルマ」があるのかもしれません。
「誰しも人は必ず過ちを犯す」
これが人間の摂理であると考えるか否か、その判断自体が個人の裁量で行うことであるとは思いますが、彼らの歴史や進行形の活動内容、ARMYさんたちの様子を可能な範囲で追う中で、「過去に犯した過ち」について自分はどう思うのかを考える時間が増えました。
そこにはあらゆる「正」と「誤」は必ずしも全人類の共通項ではないという大前提があります。
自分自身の「正」あるいは「誤」を主張する事、または自分以外の人の「正」を主張することが比較的難しいのに対して、自分以外の人の「誤」を主張するのは比較的容易です。
人が他人の過ちを主張することで得ようとしているのは「正」のペルソナです。
自分の意見が正しいこと・より多くの人々の共感を得られることを実感することで、自分自身が周りから正しい人間だと思われたいのです。
また、主張の対象がそれを受けれ、謝罪をしたとします。しかし問題はそこでは終わりません。なぜなら、あらゆる「正」は、結局その全てが必ず誰かにとっての「誤」であり得るというパラドックスがそこにはあるからです。
誰かに寄り添えば誰かの怒りを買う。その怒りを収めようとすればまた誰かの反感を招く。その人の社会的な行動範囲が広ければ広い程相手にしなくてはならない人間も増え、永遠に連鎖は続いていくのです。
この数か月、彼らの歌詞や言葉を和訳していくうちに感じたことは、彼らはしっかりと「自問自答」ができる人たちなのだな、ということです。ストイックに自分自身への挑戦ができる人たちなのだと。
〈影〉に身を委ねず〈ペルソナ〉の更新を怠らない、確固とした〈自我〉のある人たちなのだと。
だから明文化されない彼らの意志や想いは、その音楽を聴けば自然と伝わってくるものなのではないかと思います。
彼らはその為だけに音楽を続けているのだと言っても過言ではないと思います。
「MAP OF THE SOUL : PERSONA」のビハインドで「방탄과 아미는 같잖아요(バンタンとARMYは同じじゃないですか)」と言うナムさんの真意を推し量るに、そういう関係が成立して欲しいという願いもそこに含まれているのではないかと思いました。
過去の過ちがブーメランとなっていつ・どこから刃を向いてくるかわからない状態に対する緊張感と、コツコツと発信してきた善良なメッセージが何倍も大きくなって歓声と共に返ってくる充実感。
常にカルマと共に在ることを選んだ彼らは、この相反する極限の状態を受け入れながら「現在」を生きています。
2022.6.13 追記:
この章、〈カルマ〉で繋がった!と思った時点で突っ走った結果かなり断定的な書き方をしていますが、どこにも確証はありません…あしからず。妄想が暴走しています。ちなみに、Rの文字にはRunch Randa→Rap Monster→RMと、彼のステージネームの中で連綿と繋がってきたRの血脈を表しているというのが通説のようです。とはいえ、ドラマで英語を覚えたという彼が過去にこのドラマを観た可能性も大いにあると思っていて、私はこの〈カルマ〉説も捨てがたいとしぶとく思っています。
3.自分の温度を忘れるな
2022年6月1日、防弾少年団はアメリカのホワイトハウスでバイデン大統領との対談に臨みました。
今この時点では、この会談が先々どういったニュアンスで語り継がれて行くのか、はたまた忘れ去られて行くのか、全ての意見は憶測の域を出ず、評価は個人の見解でしかありません。
アジアンヘイトに関する意見交換という明確な題目を持った有意義な時間であったらしい、というのが、差し当たっての表現になるのではと思いますが、同じアジアの国である日本の片隅は、「正」のペルソナを手に入れようと躍起になっていた方々で溢れかえっていたように見受けられました。
私個人にとってこの日ほど "Intro : Persona" を聴くのにうってつけの日は無かったと感じています。
デビュー以来それこそたくさんの意見にもまれ、時には考えが過ぎて後悔を重ねても来たけれど、彼は自身の〈ペルソナ〉を適切なものに保つために「心の温度調節」を自分自身に課したのです。それはすなわち〈自我〉のコントロールであり〈影〉との連携でもあります。
憤りや疑心に任せて言葉を生み出さずに済む方法であり、
自分が置かれている社会的な世界を様々な角度から見る方法であり、
正と誤を決めつけることなく前に進む方法でもあるのです。
「絶対に自分の温度を忘れるな」という言葉がその日、私を私でいさせてくれました。ありがとうウリリーダー、ありがとうウリバンタン。
君たちが連れ出してくれたこの世界は、本当に広くて広い。
最後までお付き合い下さりありがとうございました。
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