整体屋がみた神田橋條治先生の診察室

~~ご注意~~
 本記事は、2013年から数年間、ほぼ毎月1回、精神科医の神田橋條治先生の陪席にお邪魔していた整体屋が理解した、神田橋先生の診察室についての覚え書きです。
 なんで今になってこんなものを書くのか、と訊かれるといくつか理由はあるのですが、記事とは関係ありませんので省略します。ともかく、以下は、2013年からの数年間に得た理解に基づく覚え書きであって、2023年、新たに陪席しての記録ではありませんのでご了承ください。

 ところで私は精神科医でも心理療法家でもありませんので、精神科の陪席には特有の距離があるはず、と思っています。そしてそのことで逆に見えやすい部分もあれば、見落としている・見えていない部分もあるだろう、と。
 〈特有の距離〉のうちで大きいのは、〈先生が何をしているか〉にはほとんど注意を向けなかったことが挙げられると思います。整体屋が精神科医の真似をする場面は本質的にありませんから、私はずっと、〈この患者さんに整体屋として何ができそうか・できなさそうか〉を見ていました。先生ではなく、来られる患者さんに注目していたのです。
 そしてまた、特有の距離とは異なりますが私に有利に働いたことが一つあって、それは私自身がふだんから、先生が使われるのと同じ種類の検査法を使っていたことです。先生の判断基準の内の、目に見えやすい一つをすでに知っていた、というのは大きいと思います。

 陪席をしていての見落とし・見えていない部分については自分ではわかりません。多分たくさんあるでしょう。意識して心掛けていたことは、患者さんのお名前・ご住所はもちろんのこと、診断名・処方内容に注意を向けないこと、カルテは見ないこと、で、これは徹底しました。
 何より門外漢ですし観察しているのが私ですから、理解不足や見解違いはあると思います。が、まあ、「ふーん、整体屋でこんな理解をした人もいるのだな」くらいに読み流してくだされば幸いです。


~~本編~~
 『養生のコツ』その他をご覧になればすぐわかるように、神田橋先生の治療の場ではいろいろな技法が用いられます。体操的な動きを教えてみたり、生活の工夫みたいな助言をしてみたり、独自に編み出したもの・他から借りてきたもの取り混ぜて、何かしらの行動を試すよう勧められる。
 ですが先生の治療の本質は、患者さんが入室された瞬間に先生自身の振舞い方を決めること、そしてその速さと正確さだと思っています。

 これはおそらくは「自閉の利用」(1976年。『発想の航跡』所収)を書かれた頃からの気付きが元になっているのでしょう。「自閉の利用」は、〈本来は自閉していたかった人〉の多大な協力のおかげでできた論文です。そっとしておいてほしい、自分たちの内面には入ってこないでほしいと思っている人たちにあれこれ訊き、調査・実験を重ねることで治療者側は、「自閉していたい人もいるのだ」と気付いた。
 であれば次に考えるのは、「いま目の前にいるこの患者は自閉していたい人か・話したい人か」を判断して、それに合わせた対応をすることが治療的だろうという推測で、そのためには、対面した瞬間に治療者側の接し方を決めなければならない。ニュートラルな愛想の好さで対面しておいて、診断が付いたらそれから、人が替わったように自閉的な対応を取る、では遅すぎる。
 初期の先生は待合室まで出ていって患者さんを迎えていたそうですが、私が陪席に伺った頃にはもう室内で待っておられました。体力的な事情もあるにせよ、瞬間で判断・対応の仕方を決める余裕ができていれば、先手を打つために出ていく必要はない、ということだと思います。

 〈自閉したい人か・話したい人か〉を二つの極とすると二方向へのグラデーションですが、もっときめ細かく応対していくと、二方向では済みません。この人にはどういう応答をするのが適切か、どんな治療者として会うことが治療的かということを考えて工夫を凝らすうち、観察眼とそれに対応した接し方がどんどん細やかになって、私が陪席していた当時の〈技法〉というか〈ありよう〉になっておられたのだと思います。

 だから神田橋先生の技法を継ぐ、あるいは盗むためには、患者さんの状態を一瞬で把握するための訓練が必要不可欠で、むしろその後に使う具体的な治療方法は、効きそうであればなんでも取り入れる緩さがあって良いのだろうと思います。
 『精神援助技術の基礎訓練』56ページに収録された図は、患者さんのというより人間一般の気質というか大まかなタイプを図式化したもので、どのタイプの人がどの程度、困難な状態にあるかをイメージするためのものです。これは中国医学の〈症〉と同じで、診断が即治療法に直結している。シンプルで合理的です。そして精神科では対応そのものに治療の要素が含まれることから、このイメージ把握は、〈この患者に対する治療者のありよう〉を決める助けにもなる。

 先生が書かれた本を丁寧に読んでいれば、以上のことはすぐにわかることだったのかもしれません。が、私は、そこが要点だと気付くまでにしばらく掛かりました。
 蛇足ですが、先生の患者さんで繊細な感覚をお持ちのかたと話していて、「診察中、先生がこちらを観察していないはずはないと思うのに、〈観察されている圧迫感〉を感じることがない」と聞いたことがあります。入室した瞬間の観察で大まかなことは把握済みだから、それ以上にまじまじ見る必要はなかったのだろうと思います。これも、治療的だと思います。


~~追記~~
 神田橋先生に上の記事を読んでいただき、「この通りです」のコメントをちょうだいしました。よしよし。答え合わせができました。

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