大阪な小説3冊

 フィクションといえば推理小説!な私ですが、このところ珍しく純文学というか一般的な小説を読んでいます。そんな中で印象に残ったのが、奇遇にも、著者が大阪にゆかりがあり、舞台も大阪か関西周辺(のものも含まれる)、な3冊だったのでまとめてご紹介します。

 読んだ順に、
 ・津村記久子『八番筋カウンシル』朝日新聞出版 2009年
 ・富岡多恵子『当世凡人伝』 講談社文芸文庫 1993年(単行本は1977年) 
 ・増山実『甘夏とオリオン』 角川書店 2019年です。

 簡単な感想というか私が感じた印象を書きますが、結末に触れている上にあらすじ紹介はしていませんので、これから本を読むつもりのかたはご注意ください!



 津村記久子『八番筋カウンシル』

 カウンシルは評議会、という意味だそうです。〈八番筋カウンシル〉は、〈八番筋商店街の評議会〉。要は商店街組合とか商店街の自治組織みたいなのをおしゃれに言い替えた(?)集まりなわけですが、これがおしゃれかというと実に泥臭い。旧弊で陰湿な同調圧力団体の側面を色濃く持っている。
 そんな商店街に育ちいまは成人した若者世代が主人公。同級生数人とその親世代・祖父母世代や商店街の面々とのいろいろが、30歳になった現在と、15年前の中学2年当時との視点で交互に描かれます。

 ずいぶん以前の新聞書評か何かで津村さんの『エヴリシング・フロウズ』が紹介されていて、いつか読もう読もうと思いながら延び延びになっていて(推理小説ばっかり読んでるから)、ようやく読んで、一気にはまりました。
 うーん、すごい……。唸りながら、比較的初期の本からどんどん読みかけて、あ、この勢いで、出てる本全部読み終わったらもったいないと途中で気付いて、いまは我慢しながらときどき読むようにしています(これはこれで切ない)。

 初期作品では、ささやかにさりげなく交わされる親切・配慮と、嫌らしく迫ってくる閉塞感・圧力とのはざまで淡々と日々をこなす、みたいな物語が多いように思いますが、私が読んだものでは、学校と家、職場と家とが空間的に分離している話が多かったと記憶します。学校・職場にはそこなりのキツさ、家には家なりのキツさがあるけど、それぞれの場所は切れているから、どこからも居場所がなくなる事態は起こりにくい。
 ところが本作の舞台は商店街です。学校・職場・家がどっぷりその地域に搦めとられていて、問題が起こったら逃げ場はない。当人に問題がなくても〈問題〉を起こそうと企む人はいて、目を付けられたら事態は動く。まさに地域ぐるみで起こるいじめの構図です。

 いままで読んだ津村作品の中では一番えげつない本だと思いました、いろんな意味で。芥川賞を始めとして受賞作品の多い著者ですが、この本は何ももらっていない。不思議です。
 「津村さんの本を読むのは初めてだけどおススメは?」と訊かれたら『サキの忘れ物』をいまなら挙げるかな、と思います。表題作は素敵だし、いろいろあっておもしろい。ゲームブックにも意表を突かれる。でも「一番印象に残った本は?」と訊かれたら、いまの私は『八番筋カウンシル』を挙げます。むちゃくちゃ嫌な味わいもあるけど、それでも大丈夫、時は進む、みたいな覚悟も湧く。



 富岡多恵子『当世凡人伝』

 12篇が収録された短篇集です。
 文庫本裏の内容紹介によると、「なんの変哲もないありふれた人生。独特の語り口であるがままに描き出し、したたかに生きる平凡な人々の日常に滲む哀しみを、鮮やかに浮彫りにする」。……内容紹介としては確かにそんな感じだと思うのですが、何かそれだけじゃない、変なモヤモヤ気分を引き起こす不思議な本でした。

 本文288ページに12篇なので、一つ一つは20数ページくらいの短い話です。そこに4~5人くらいの登場人物があるので、人口密度はかなり高い。そして登場人物にどことなく気持ち悪い陰を持った人が多いので、短いけれど濃い。濃いけれど短いから、そんなに派手な展開は起こらない。そしてだからこそ一層、「この人たち、このまま淡々と続けていくんだろうな……」の気配が確かに感じられて、モヤモヤする。でもモヤモヤはするけど受け入れがたい嫌悪感にはならない。そこに、独特に地味な魅力を感じました。
 1、2話読んで「もう読まんでもいいかな」思いながらも手離さず、ぼつぼつ続きを読んで、読了。何なのこのモヤっとした吸引力! 気になるので、他の本もいくつか読んでみようと思い、早速図書館で『三千世界に梅の花』を借りてきました。これにハマれば更に数冊読んでみて、そしてまたその後で多分もう一度、『当世凡人伝』に帰ってくるような予感がします……。



 増山実『甘夏とオリオン』

 物語は、入門して3年ほどの若手女性落語家・桂甘夏の師匠である桂夏之助が失跡するところから始まります。兄弟子二人とオロオロしながら師匠の帰りを待ち、探し、苦肉の策を打ちながら待ち、そうしながら着実に力(芸の面でも根性の面でも)を付けていく姿が描かれます。
 中心人物として描かれるのは弟子の甘夏。でもたぶん、この本の本当の主役は話芸としての落語と方言、そして技と文化の伝承なのだろうと思いました。だからこそ、たった3年で甘夏の基礎を作り上げた名落語家にして名師匠・夏之助のその後は無視される一方で、一番弟子・小夏の化けっぷりは記録される。兄弟子・若夏の事情も丁寧に描かれる。そして甘夏の確実な成長と新たな入門志望者の登場で、一冊の物語としては幕を閉じる。

 読んでいて思うのは、ともかく落語への愛がすごい! 紹介が上手い!ということです。
 聞いたことのある話は聞き直したくなるし、聞いたことのない話は是非聞きたくなる。『代書』の完全版なんてもう、四代目桂米團治さんのが聞きたいのはもちろんのこと、作中人物・桂竹傳改め竹之丞さんのも聞いてみたい!と思う。

 私が熱心に落語を聞いていたのは20余年前のことですが、本書の中に、上方落語を語るには上方訛りがきちんと話せないとダメ、みたいな記述があって、それを読んで初めて「あっ!」と思いました。言われてみれば当たり前なのでしょうが、ほとんど気にしたことが、というか気になったことがありませんでした。そして今更ながらに、私は、プロの話芸を聞かせてもらっていたのだな……と、しみじみ思いました。きっと私が聞いていた噺家さんの中には、大阪以外の出身のかたも、おられたはずですから。

 甘夏の完全なモデルではないけれど桂二葉さんに取材されたらしいと知って、久しぶりに寄席に行きたくなりました。前日は〈残席僅か〉だった繁昌亭のチケットは、翌朝にはもう完売になっていて買えず。もうたぶん、今後、二葉さんのチケットを大阪で取るのは不可能でしょうから、私は縁が無かったのだな……。もうちょっと早くに本書を読んで、動いておけば良かったです。残念。

(2023年4月19日ブログで公開)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?