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デジタル一眼レフカメラの面白さ

今日、人のカメラを使わせてもらう機会があった。

一眼レフはCanonのものしか使ったことがなかったので、Nikonのカメラを貸していただき、いつものように使おうとしたら、あるべきところに欲しい機能がなくて、なんのためについているのかわからないボタンやダイヤルがたくさんあって、あわあわしてしまった。

何より、オートフォーカス専用のボタンが存在していることにとても驚いた。ピントを合わせる為だけにボタンを設けるだなんて、すごいね。

少しだけ教えてもらいながら、なんとなく仕組みを理解した。

左手でレンズを回しながら、右親指でオートフォーカスボタンを押して、右人差し指でシャッターボタンに指をかけて、右中指でダイヤルを回して、右薬指と右小指で本体を支えてみたのだけど、右の手の甲が攣るかと思った。

調整している間に、「なんだかとても高度なことをしているなぁ」と、笑いがこみ上げてきた。私にはこのカメラが手に余るのだろう。持ち主に返すときに機種名すら聞かなかったから。

やっぱり左手は添えるだけがいい。

調整を終えて、ファインダーを覗き込み、ピントを合わせた。

すると、ぼやけていた輪郭がグッと集約して、ファインダー越しのその人と目があったときに、一眼レフの良さってこれかもなと思った。

ピントが合った瞬間に、なんだか同時に心までも掴まれたのだ。

そのときに「あぁ、そういえば、被写体のことをずっと昔から好きだったんだよな」と錯覚する。

「だからこそ、この私がもっと美しく撮ってやるぜ」と思って、夢中になる。

シャッターを切るごとに、その興奮度が増していく。
鏡は見ていないが、口角が吊り上がっている感覚があるから、ニヤついているのだろうと思う。レンズを支えている左手のおかげで、被写体からは見えないのが唯一の救いだ。

ある瞬間、「まぁ、こんなもんかな」と思うときがくる。

ファインダーから目を外し、背面ディスプレイで仕上がりを確認したあと、顔を上げる。

すると、さっきまでの興奮はどこへやら。
ほどけて霧散して、消えてしまう。

なんだか不思議な感覚なのだが、ファインダーを覗き込むという動作をしないと、そういう感覚にはなれないようなのだ。

私のカメラは、ミラーレス一眼のような、ファインダーを覗かなくても撮影できるライブビュー機能がついているのだが、ライブビューで撮影してもあんまり滾らないので、写真を撮るのが好きというよりも、ファインダーを覗くのが好きなのかも知れない。…変態チックで嫌だな。

と思いながら、カメラを持ち主に返した。
人のカメラでなんてことをしているんだろうと思った。


普段、街中で撮影している時も、「ああ、なんか自分って本当に変態だな」と思っている。なので、とても恥ずかしい。

羞恥心が最も高まるときは、マニュアルで撮影している時だ。

絞り、シャッタースピード、ISO感度、ホワイトバランスなどの塩梅を調節して、ああでもない、こうでもないと、構図を変えたりしながら、何百枚も同じ被写体で撮影している間は、とっても楽しい。シャッターを切って、すぐに画が確認できるのも、デジタル一眼ならでは。

楽しいが、他人がたくさんいる中で、自分だけが興奮しているという状況に、だんだん恥ずかしくなってくる。ああ、もう。やだ、変態って思う。

誰もいないところで、風景写真を撮っているときは全く恥ずかしくない。すごーく楽しい。たとえ、不気味な笑い声が漏れちゃっても、誰にも聞こえないんだから。


そうして、撮ってきた写真のデータをパソコンに移している間にも、ニヤニヤしているのである。ニヤニヤしない人なんているのだろうか。

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