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軽ければいいというわけでもない

今日は傘を差すか、差さないかくらいの雨。
風がビュンと吹いて、弧を描くように熱でセットした前髪を吹き飛ばした。

先日美容院で髪をまっすぐにしてもらったので、風に弄ばれた髪は絡まることなくさらりと揺れて戻った。

顔に打ち付ける髪は、鼻下ほどの長さになった。
昔から、髪と爪はすぐ伸びるので、今年いっぱい伸ばせば、肩につくかもしれない。

夏は髪を結びたいなと思うのだけれど、今年はまだ難しいかもしれない。

夏が好き。

野菜や果物がみずみずしいし、酸っぱいものは身体に沁みる。

夜露に濡れた土の匂いは、何度でも吸い込みたくなる。

雨は汗ばんだ肌を洗い流してくれるし、服もいつのまにか乾いている。

それに、夏は私の判断力を鈍らせて、私の重い腰を軽くしてくれる。


数年前の夏の昼下がり。

目を覚ました私は、なぜか自転車で相模湖にいこうと思い立った。

今まで行きたいと思ったことすらなかった。
でも、その日は無性に遠くへ走り出したい気分だったのだ。

Tシャツとジョガーパンツを着て、ポケットにスマホを突っ込み、クロスバイクに跨った。

相模湖へは、自宅から大学への延長線上にあったため、まっすぐ走り続ければいつかは辿り着くだろうと、軽く考えていた。

最悪辿り着けなくても、この頭の中を覆う曇天の空を晴らせるのなら構わないと思った。

卒制のこと、就活のこと、人間関係、バイトのこと、仕事のこと、将来のこと。悩みは尽きなかった。

思い浮かべたくなくても悩みは勝手に次々と浮かんで、頭の中の雲が厚くなるほど、ペダルはよく回った。

漕いで、漕いで、漕いだ。


空気がひんやりとして、はっとした。
いつの間にか道の両脇を、風がそよぐ緑の稲穂に挟まれていた。

周りを見回すと、緑が遠くまで広がっていた。
相模原にもこんなに広い田んぼがあるんだと思ったら、頭の中の雲がサアっと引いて、淀みが無くなった感覚があった。

急に動力を失った脚がペダルに絡まった。
跨ったまま、ペダルは回さず、足で地面を蹴ってゆっくりと進んだ。

何してるんだろう、と思って、日が暮れ始めていたことにようやく気がついた。

もう気が済んだし帰ろうかなと思い、スマホで地図アプリを開くと、湖のすぐそばまで来ていた。

コンクリートの道路を道なりに下っていくと湖にたどり着いた。

もう日は暮れていた。
湖の周りを、自転車を引きながら歩いた。
夜だったし、街灯もところどころにしかなくて、水が深く黒く波も立てずに溜まっていた。

急に恐ろしくなって、灯りのある道路へ向かった。
途中、看板を見つけた。

津久井湖と書かれていた。
目指した相模湖ではなかった。

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