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鱒ずしとシルクスクリーン

母方の祖母から、着信があった。
出られなかったので、お昼に折り返しの電話をかけた。

祖母と電話するときはいつも1時間ほどの長電話になってしまうので、長期戦になることを覚悟していたが、祖母は食事中だったようで、用件だけ告げて早々に切り上げられてしまった。元気そうで何よりだ。

要件と言うのは、実家に鱒ずしを送ったので取りに行くように、とのこと。

私の家に直接送ってくれたらいいのに、わざわざ実家に送るのは、実家に帰省する口実を作ってくれているのだそうだ。祖母なりの、ささやかなプレゼントなのだろう。祖母の望みは、家族円満でいることだと思うから。


ところで、鱒ずしはどのくらい認知されているのだろう。
鱒ずしとは、塩漬けした鱒の押し寿司で、鯖の棒寿司の鱒バージョンのようなものだ。鯖の棒寿司と違うのは、寿司が笹にくるまれ、木製のわっぱに詰められていることだと思う。

これがなかなかの美味で、生の鱒の握り寿司よりも美味しいと私は思う。
醤油には付けず、わさびを乗せるか、レモン汁かけて食べても美味しいが、そのままでももちろん美味しい。そして、これがまた辛口の日本酒にとても合うのだ。


実家の最寄り駅に着いた。
帰宅ラッシュとまではいかないが、空気が淀むほどには混みあった車内から、ゾロゾロとスーツを着た人たちが降りていき、エスカレーターの列に綺麗に整列していく。
私は一番端の車両に乗っていたので、列の最後尾に並んだ。

エスカレーターを降りて、目の前にいる集団と同じように、10個程並んだ改札で、次々と仕分けされていく。たまに、残高不足ではじかれる人がいる。自分の意志で歩いているのに、工場のベルトコンベアに乗せられている気になるのは何故なのだろう。

改札を出て、迫りくる分岐点で細分化されていく。集団の規模がみるみる小さくなり、ついに一人になった私は、実家の玄関の前に立ち尽くしていた。

ふわふわとした気持ちで、鞄から鍵を取り出し、玄関を開けた。

父は基本的に在宅で仕事をしているので、いるかなと部屋を覗いてみたが、もぬけの殻だった。散歩に出かけたのか、スタジオに練習しに行ったのかもしれない。

リビングに掛けてあるカレンダーを確認し、母は今日も帰りが遅いのだと知った。
というか、母のスケジュールがぎちぎちに詰め込まれていた。本当に信じられないのだが、母は暇すぎると長旅に出たくなる衝動を抑えきれないので、働くのだそうだ。信じられない。

ダイニングテーブルに目を移すと、長椅子の上に小さい段ボールが置かれているのを見つけた。
送り元のところには、祖母の名前が書いてあった。
ガムテープを剥がし、箱を開けると、「特選」と書かれたものと、「昆布〆」と書かれたものが1箱ずつ入っていた。平ら寿司本舗のますずしだ。

以前、「平ら寿司本舗の鱒ずしが美味しい」と言ったことを祖母は覚えてくれていたのだ。祖母が、私に関することで何か新しいことを覚えてくれたというだけで嬉しい。


もしかしたら、そのうち父がふらっと帰ってくるかもしれなかったので、noteを書きながら待つことにしたのだが、締め方が思いつかないのでここで書き留めようと、スマホを伏せて置いた。

日が完全に暮れて夜になっていたので、部屋の電気を付けた。
シーリングライトの冷えた白い光に、顔をしかめる。
手持ち無沙汰なので、テーブルの上に両肘を突き、両掌の上に顔を乗せ、足を交互にプラプラさせた。

暇だなと視線彷徨わせていると、ダイニングに飾られた、大きな金縁の額に入った絵が目に留まった。

ヒロ・ヤマガタの『レイニーデイ』という作品で、ものごごろつく前から、転居するたびにダイニングで飾られてきた絵だ。
雨のパリの街がモノクロで描かれたその絵は、いつまででも見ていられるし、なんだか吸い込まれる絵なのだ。

じっと見ていると、ある可能性がよぎった。

スマホをつかんで、ブラウザのアプリで「ヒロヤマガタ レイニーデイ」とGoogle検索をかける。腹の底が冷えるような、嫌な予感がする。

いくつかの検索結果を見て、同じキーワードを見つけては、やっぱりそうなのかと頭を抱えた。

シルクスクリーンと書いてあった。
シルクスクリーンは、版画なのだ。

なぜ今まで気づかなかったのだろう。
物心つく前から、刷り込まれていたというのに。


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