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もう言わないから

昨日のnoteを読み返していて、どうやって人を叱ればいいのかと首をかしげていたら、ここ1年半間で友人に叱られたことをいくつか思い出した。

その日、私と彼女は東京駅近辺で飲食店難民になっていた。
丸の内口から八重洲口方面に向かいながら、食べたいものに近い店をしらみつぶしに回っていて、ヤエチカでようやく理想的な店を見つけて、席に着いた。

席について「これにする?」「あれもおいしそうだよね」とわちゃわちゃしながら注文を決めて、料理を待ちながら、今日お互いが撮った写真を見せ合ったりして、その日の出来事を振り返っていた。

しばらくして料理がきて、「んー、おいしいねぇ」と笑い合ったりして、とても楽しかった。

食事が中盤になり、お互いの近況報告を一通りしたあとで、私はうっかりしていた。

うっかり、
「早く死んじゃいたいね」
と口から出た。

「たくさん歩いて疲れたね」って言いたかったのに、なぜかその言葉が口から出た。いままで、その言葉を言ったこともなかったし、ひとりの時でも絶対に言わないように気を付けてすらいたのに(すみません。noteには何度か書いたことがあるかもしれません)。

自分でも驚いて、彼女の顔を見ながら固まっていた。すると、彼女は咀嚼していたものを飲み込み、茶碗と箸を丁寧に置いたあと、私の目をまっすぐ見て、

「いくらのぞみちゃんでも怒るよ?
 そんなことしたら、絶対に許さないから。」

と言った。
彼女は、私に対していままで1度も怒ったことが無かったのだけど、彼女は明らかに怒っていた。

私は驚きの連続で、咄嗟に
「うん。ごめんなさい。」
と謝った。その謝罪は素直な気持ちだった。

そのあと、彼女が話題を変えてくれて、さっきまでのことはなかったように過ぎ去り、彼女を駅の改札まで見送って別れた。歩いて帰りたい気分だった。

帰り道を歩きながら、私が彼女に同じことを言われたとしたら、どうしただろうかと考えた。

たぶん、「そうだね」って言って、笑って、彼女が本気でそれを望むなら、一緒に身投げでもなんでもするだろうと思った。彼女と違って私は弱いから。

その反面、何も聞かずに怒るだなんてひどいじゃないかとも思った。
きっと、私が軽い気持ちでそれを言ったから、怒っていたのだろうと思う。
確かに言おうと思って言ったわけではなかったが、無意識に言ってしまうほどには思いつめることがあったのだ。


いまになって振り返ってみると、叱られたときの感情に、”しょんぼりする気持ち”と”理不尽さに対する反抗”が含まれていて、両者が拮抗すればするほど身に染みるし、どちらかが強すぎると反省しなくなるような気がする。

本当に他人事だけど、叱るのも簡単じゃないなと思った。
世のお父さんお母さんは大変だ。
あまり叱られてこなかったから尚更そう感じる。

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