寂しさの行き場
夏ってさみしい。
蚊取り線香の煙の匂い。
まだ夜のじかんなのに朝陽が昇ること。
レースカーテンを撫でる微かな風。
そういうことが、いちいちさみしい。
さみしさを沈める方法をまだ知らない。
知らないけど、騒がしいところに身を置くことではないし、友達とご飯を食べて何でもない話をすることでもなかったし、異性と触れ合う事でもなかったし、アルコールを摂取しても、忙しくしていても、さみしさは余計に増すばかりだった。
そこにいてほしい。
いるだけでいい。
話し合わなくても、触れ合わなくても、視線が合わなくてもいい。
ただ、そこにいてほしい。
誰にいてほしいのかは、わからない。
何かに熱中していても、頭の隙間にさみしいが体育座りしていて、「さみしいね」って言ってくる。
私にどうしろと言うのだろう。
この満たされない気持ちは、どうしたらいいんだろう。
先日、占いの結果で気になっていることがある。
「人生をかけてやりたいことがもうすでに決まっていて、それを叶える力がある」ということと、「あなたが結婚したいと思ってないから、恋愛の気が全くない」ということだ。
喜んでいいのか、わからない。
でも、なんだかそうなる気がする。
80歳になって、木の柱のある家でひとり、絵を描いてほのぼの暮らしている私を容易に想像できる。
晩年はひとり、なんだな。
さみしいけど、寂しさを埋めるためだけに交際するには、捨てるものが多すぎる。
私はそういうことに夢中なってしまったら描くのをやめるし、noteもやめてしまうだろうと思う。
そういう寂しさって、年を取るたびに薄れていくものなのかな。
それとも、上手にごまかせるようになるだけ?
わからない。