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諦めるか、諦めて続けるかしかないのか

最近、本当に暑くて、寝ていても暑くて目が覚めることもあるし、朝起きた時に寝汗をかいていてシャワーを浴びなくてはいけなくなったり、昼休みに外を散歩したいのだけど、暑いからやっぱりやめとこうかなって手持ち無沙汰になって、室内でウロウロしてみたり、最近観ているお気に入りのドラマの展開が暗い方へ向かっていたりしていて、そういう小さい積み重ねがある。

別にそれで疲れたということではないし、なんてことはないが、名前のつけられない時間に考える答えの見つからないことの内容が、批判的な考えばっかりで、ほんの少しだけ気が滅入る。


答えの見つからないことの1つに、「女性でいて良かったこと」というのがある。

いまいち、これだというのが思いつかない。

真っ先に思い付いたのは、お買い物をした時におまけしてもらえることだった。

つい先日も、初めて立ち寄った鯛焼き屋さんで鯛焼きを買ったら、1匹おまけしてもらったし、いつもの郵便局で手紙を出したら飴をもらってしまったし(子ども用じゃないのだろうか…)、八百屋さんで小松菜を買ったら、もう傷んじゃうからと増量してもらった。有難いなぁというよりは、なんだか申し訳ないなぁと思う。

そういうことはあるけれど、果たしてそれは私が女だからなのか?と疑う。

たまたま、何かしらのタイミング(賞味期限とか、在庫処分とか)が合って、おまけしてもらえているように錯覚しているだけで、性別は関係ないんじゃないのかなとか、ただ私の外見が食いしん坊そうに見えた人がたまたま多かっただけなのかなとか。そう思う。

外見的なことで言うと、女性的なファッションができることが挙げられると思うが、私はそもそも女性らしいファッションをしていないし、男性だってメイクをしたり、髪を伸ばしたり、スカートやヒールを履く時代になった。偏見はまだあるかもしれないが、できないってことはないだろう。

次に考えたのは、レディファーストをしてもらえることだ。
扉を押さえてもらったり、お先にどうぞと譲ってもらったり、奥の席に座らせてもらったり、身体を動かすことは男性が代わってくれたり、他にも色々ある。
これらのことは本当に心から感謝しています。
が、されているばかりという事もないと思う。
目上の女性相手には自分も同じようにするし、何かしてもらったのなら気づいて感謝せねばと思う。それに、普段愛想良くしているから、そういう扱いをして貰えるのかなとも思う。初めから無愛想だったら、扱いも違ってくるのだろうと。

逆にデメリットの方は、たくさんある。
美術を学ぶ学生は女子の方が圧倒的に多いのに対し、女性画家の割合が少ないことや、メディアで取り上げられているような社会的なことや、生活のこと、性的なこと。

昨年入籍した友人が、
「子供を産むってことはさ、創作者としての道はもう諦めるってことだよね」
と言った、その横顔がしばらく忘れられずにいる。

そんなことないよとは、言えなかった。

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