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夏休み

梅雨が明ける頃になると、ミンミンゼミが鳴き始め、空が一気に青くなる。
この時期になるとやってくるのが、夏休みである。

子供の頃はよかった、という話をしようというのではない。
親になって苦労をしている、という話でもない。


私が小学一年生の頃だ。
母が婦人病を患い、手術のために近くの病院に入院したことがあった。
時期は夏であった。

私は母がなぜいないのか、なぜ祖母が手伝いに来ているのか、ちっとも理解をしていなかったが、五歳上の兄は異常を察していたようで、夜になると私と一緒の布団に寝て、私を守るようにして、その母の不在の時間を過ごしていた。

当時父は夜も仕事である時があり、隣家に祖父母がいるにせよ、2人だけで過ごさねばならぬ夜という時間は、心許なかったように思う。

その頃我が家は、祖父母の住む家の隣に越したばかりで、環境にも慣れない中での母の入院であったから、兄の気持ちを思うと、いたたまれない。

そんな兄が、毎日のように私の手を引いて、山の上にある病院へと、母の見舞いをしていたのが、この夏休みの時期である。

うだるように暑い中、坂道を2人で手を繋いで、はあはあ言いながら、無言で母の病院へと向かう。BGMは蝉の声と、時折通り過ぎる車の音。

空はかんかん照りであった。青い空に、もくもくと白い雲が湧き上がっていたように思う。


ようやく母の病室に着くと、母はよく、青い顔をしていた。
手術が終わっても、大きくお腹を切っているので、すぐに元気というわけには行かなかったのだ。

病院に行くと、母が時折、私と兄を売店に連れて行ってお菓子を買ってくれる。
それから、自身の好きなクロスワードパズルの本とテレビカードを買って、また病室に戻る。

病室に戻ったら、もう帰る時間になる。

兄は長居をしたがらなかった。毎日母に会いたさで妹を連れて通うのに、長居をしないのである。

つい最近、兄が話したことがある。
「俺、お母さんが死んじゃうんじゃないかと思ってた」

悲壮なその言葉を聞いて、「母の青い顔を見ているのが辛い」とか、「母に負担をかけてはいけない」とか、色々考えていたんだろうなと、今になり考える。

親というのは、子供にとってある種絶対で、それを失うかもしれないという恐怖を兄が感じたのなら、それはとても辛いことであったに違いない。

母はそれから無事に退院し、しばらく寝たきりのように過ごしていたが、今は元気にしている。

ただ、あの夏の日。
私たちは確かに心許なく、互いがいることで救われていた。

照りつける日差しでできた、短く濃い影だけを延々見つめながら、2人で手を繋いで歩いていたあの夏を、私は忘れられないのだ。

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