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やりがいが知識のなさを埋めるところにあるなら、たしかに不要

最近、法律相談をしていて思うのは、よくAIなどが司法書士や弁護士に代わって実務を執り行う社会がやってくるというが、実際の問題の解決については法律を駆使したうえで絶妙な落としどころを探ることが肝要なので、まだまだ人間の活躍の余地はあるのではないかということだ。

法律相談は、デスクワークよりもやりがいが高い(何故なら直接依頼者の問題解決につながるし、相手の喜怒哀楽、満足度合いが伝わってくるので)ため、別の視点から見ると自己満足が得られやすい仕事だが、気を付けていないと、間違ったアドバイスをすると、依頼者の人生に関わる問題もあるので大変だ。

AI(chatGPT等)の力を借りながら(といっても現状AIはめちゃくちゃ間違うので、真偽を見定める力が重要になる)相談を行うのも一つの手だと思う(パソコンをカタカタ言わせながら相談を受けることになるので若干偉そうかもしれないが)。

現代においては、知識だけであれば、インターネット上やそれこそ模範六法などをひらけばいくらでも転がっているので、肝心なのは考え方なのかなぁと思う。法律の原則に立てば、条文があって、判例があって、学説があって、さぁ自分はどう考えるのか、というのが大事だと考える。広義には法律家によっていろんな主義主張があっていいと思うが、個々の実務に支障は出ないはずだ。

やっぱり人間性というか、人間ならどうするということが非常に重要になってくるので、AIさんには「補佐」の役割を与えるに留まって、人間味のあるアドバイスをすることが重要かもしれない。

法律家がアドバイスにおいて知識自慢をしているに留まってしまうようであれば、それはAIに取って代わられる仕事になると思うが、人間は不要だと思うが、そうではないと思う。



さて、6月もあと2日!夏至を過ぎ1年の折り返しです!7月初旬は京都に行きます。夏の京都を満喫してきたいと思います(⋈◍>◡<◍)。✧♡

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