不思議。自分で自分のことがわかるのか

わたしは自分について比較的まともな人間だと思っている 福岡の進学校から東京大学理科Ⅱ類に合格し、理科Ⅱ類としては異例の進学先である法学部に進学し、在学中に国家公務員総合職試験と司法書士試験に合格した 東大の講義はけっこう難解なものもあったが、謎のシケタイsystemのおかげで結果としては楽に卒業することができた

まずまず順風な人生をおくっていると思っていたが、先日、大学の友人が20代という若さで自殺してしまい(常磐線の駅から線路に飛び込んで特急列車にはねられたのだ)ちょっと訳が分からなくなった というのも、折角金沢大学付属高校という地域の名門校から東大に駒を進め、なんの苦も無く一流企業に就職し、おまけについ先日結婚したばかりだったからだ 唯一わかることと言えば「彼女について深く知らなかった」ということだ 彼女の苦悩の源泉など思いもよらないところにあるのかもしれない

詰まるところ他人についてよく分かっていないのだが、自分についてもよく分かっていないのではないか という思いに苛まれる と、いうのも、わたしのこの世での立ち位置は非常にもろいもののように思えるのだ この世を送るのは、とかく辛い 辛いから宗教があって、あの世での救済などを説くのだろう 

高校や大学は知的好奇心が刺激されて面白かったが、仕事はややつまんないと感じる いやいや、自分の好きな法律を仕事にしているんだから頑張らないとな…

ビジネスの世界に身を置くと、成功した経営者(何故に斯くも傲慢なのだろう)と話す機会も多々あるのだが、自分が正しい、自分は転落しない、自分は勝者だと思ってる人が多々いる 不思議。正しさの根拠はどこにあるのか。突き詰めたりはしないのだろうか。

まぁ普通に生活していると、わたしも東大出のエリート法律家としてやっていける しかしふと思う わたしは正しいのだろうか 正しさに近づけているのだろうか 自分とは!?といった具合で、堂々巡りしていると、自分もやがて自殺してしまうのではないかとすら思う

それで、楽しいことを探したのであるが、わたしはギャンブルとか麻雀(これは覚えたばかりで全然なのだが)が好きだ よく高尚な趣味にはお金がかからないというが(例えば読書やボードゲームなどだろうか)、わたしには確実に低俗なところもあるので、思いつめることなく愉しく生きれば、寿命が来てこの世にサヨナラということになるかもしれないとも考えている

つまるところ、自分という幻想を突き詰めてもしょうがないので、流れにまかせるのが(哲学でもやろうと思わない限り)得策なのではないだろうか


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