見出し画像

総合職は古い?

ぼくは現在勤めている(籍を置いている)会社に総合職事務系として採用された 同期とは強い結束があり、頻繁に連絡を取り合っている それは脳梗塞(延髄梗塞)に倒れた後も同じである

さて、ぼくがいない(病欠・休職している)間に、会社に大きな変化があった。採用区分から総合職が取っ払われたのだ

たとえば東京大学に籍を置いているとする 総合職制度のない企業に入ろうと思うだろうか ぼくと同じ立命館大学ならこう考えるかもしれない 「総合職は無理でも一般職で入ることはできるかもしれない」

出身大学と仕事遂行能力は正の相関関係にあると思うが、完全に相関関係があるかと言われるとそうではない。特にぼくのようなASDかつADHDの人間については、総合職採用であることが非常にプラスに働く(なぜなら何もしなくても一般社員の定年の平均地位まで入社5年で総合職は到達するので、安心感が強い)ので、採用段階においては総合職にこだわった

総合職だから!という理由で(だけで!)出世が本当に速い反面、仕事遂行能力が高い人間が総合職に万遍なくいるかと言われればそうではない 故に採用区分による区別をなくそうという方向にいくのかもしれない

ところで、ぼくは総合職だという理由で随分な目に遭ってきた 例えば、佐賀に勤めた際には、100人規模の社員の中総合職は部長とぼくだけだったので、部長の秘書的な立場をこなしつつ、収入分析からイベント企画からエリアマネージャーまで多岐にわたる仕事をこなした 月の残業時間は100時間を超えた 将来上に立つことが保障されている人間だからとみんなに言われた

帝王学というのがあってエリートは要請するものという考え方がある ぼくは社会的に偉くなるものだと思い込んでいたし、それは現実となるにはなったが、ちょっと不満である

ソニーが履歴書に学歴を記入しなくなったらかえって高学歴(※ここでいう高学歴とは偏差値の高い大学を指す)が増えたという皮肉なジレンマがあるが、総合職の撤廃も学歴への回帰とならなければいいと思う

まぁ総じて考えると、学力と仕事遂行能力は異なるのであるから、会社という利益を上げるべき法人が仕事遂行能力を評価する方向にいくのは、賛成せざるを得ないだろう

この記事が参加している募集

新生活をたのしく

🌿