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保育園と療育などの社会資源(公的サービス、民間療育、障害児向けの習い事など)との併用開始から進学先が決まるまでの経過【まとめ】

前回は簡単な自己紹介をさせていただきました。

自己紹介に記載したとおり、こちらのnoteでは、軽度知的~境界域知能と診断され、ASD特性の疑いも指摘される娘の保育園と療育の併用、小学校進学までの過程など私自身の経験をまとめていきたいと思っています。
今回は、その前段階として、娘の療育や進学問題への対応までの道のりをざっとまとめました。

また、療育の必要性を意識してから保育園と併用して使った様々な社会資源(公的サービスの療育、民間療育、障害児向けの習い事など)として使った内容も、今回簡単にまとめました。情報が少ない中で調べて使ってみた経験や感想は今後の参考になるよう後日詳細にまとめる予定です。

なお、今回はかなり概略的に事実の経過だけまとめています。子どもの発達特性も個々全て違いがあり、それぞれに環境も異なる中で、あくまでも娘の発達特性や障害、私の仕事や生活状況などの条件の中での経験であることを前提にお読みいただければと思います。

超低出生体重児での出生

娘は、わずか在胎26週6日、996gの超低出生体重児で生まれました。
切迫早産で緊急入院となり様々な治療を受けたものの僅か8日で破水し出産となりました。
あまりに衝撃的で精神的なショックも大きい経験でしたが、ここでの経験や学んだ多くのことは、「超低出生体重児の子育ての経験」という別テーマとしてまた後日まとめる予定です。
9月に生まれた娘は、本来の予定日である12月11日までの約3カ月間生まれた病院のNICUに入院し、2800gほどの体になり退院して我が家に来ました。

0歳児からの保育園入園

退院後体調など問題がなく病院の先生からOKをもらえたので娘は0歳児から保育園に入りました。
生まれた経過もあり、まずは強くて健康な身体を作ることを最優先で考え、出産した病院の低出生体重児等を対象とした「発達フォローアップ外来」などで健康面や身体的発達等を定期的に診てもらっていました。
肺がまだ十分母胎で形成されていない時期に生まれた影響か、0歳から1歳半まで合計4回肺炎やその疑いで入院しましたが、1歳半以降は、風邪や熱症状を起こすこともほとんど無く身体的には健康で丈夫になりました。

なお、早産で生まれた子は正期産で生まれた子より知的障害や発達障害の発生確率が高いとの情報に触れたこともあり、主治医に何度か確認しましたが、大丈夫ではとの意見でした。当時は年齢が3歳以下で小さく課題が分かりにくかったのかもしれません。

今も、身体的な発達や機能の面では超低出生体重児出生による影響はあまり無いようで、健康で身長体重も平均的に成長しています。

療育の開始(保育園年少時~)

3歳頃から、超低出生体重児の出生の影響による発達の遅れだけではない、何かの障害や特性があることに気付きました。

例えば、自我が出てからの極度の偏食、衣類や靴等で許容できるものの狭さ、普通なら何でもない日常の所作での不安感の強さ、言葉の反復、音への過敏さなど。

出生した病院に相談し、発達検査の結果、療育開始を勧められ、保育園2歳児クラス最後の方(年齢は3歳)から、民間の児童発達支援事業所での療育と保育園の併用を開始しました。

保育園の転園(娘の友達関係での悩みなどから)

療育と直接関係しませんが、娘は保育園年少クラスに上がった年の5月に0歳から通っていた保育園から現在の保育園に転園しました。
理由は、当時の保育園で比較的仲良くしてくれていた友達数人が一斉に年度末に転園し、もともとコミュニケーションや理解力などの力が不足していた娘を少しばかにした態度をとっていた女の子たちが中心のクラスとなり、娘がぽつんと一人でいる姿が目立つようになったことです。悩んだ末、環境変化が娘に与える影響など療育先の先生にも相談し、転園を決断しました。
なお、保育園の転園活動においても、療育を受けていることを伝えると、娘の状況を個別に聞くことさえなく、受入れに消極的な言動をする保育園が複数ある経験もし「世間の壁」を感じました。

保育園と療育を併用した3年間に利用した社会資源(公的サービス、民間療育、習い事など)

保育園と療育を併用するようになってからの3年間は、療育や障害児向けの習い事、医療機関など様々な社会資源を利用しました。
最初からしっかりビジョンがあったわけではありませんが、小学校進学を含めて、発達特性や障害を抱えている我が子の将来をどう考えるかは意識し、まずは、小学校進学に向けて、少しでも定型発達の子どもたちとの間にある能力差を含めた「ギャップ」を埋めるために何が必要かという視点で、療育や習い事などを考えて、やってきました。
具体的には、保育園以外に、療育の視点で利用したものは以下のようなものがあります。それぞれのサービスへの評価は後日また詳細にまとめます。

➊公的サービスとして用意された療育

  • 区が設立・運営する児童発達支援センター

  • 同児童発達支援センターでの月1、2回のOT指導、ST指導(※利用可能日数の少なさや効果等を踏まえ、途中から民間の療育等に集中する体制として利用を止めた。)

❷民間の療育サービス

  • 児童発達支援事業所1箇所目(モンテッソーリ式の療育。平日週2回午前中から昼食まで療育)。療育での昼食後、保育園のお昼寝時間から登園。

  • 私たちの仕事の送迎等の負担や保育園の意向等の状況を踏まえ、1箇所目の児童発達支援事業所からの提案で、紹介された2箇所目の児童発達支援事業所に移籍(全国チェーンの事業所。個別療育、集団療育で合計平日週2回夕方)。平日保育園退園後にこちらの療育へ通う。

  • 保育園年長クラス時に、在籍する保育園を経営する株式会社が、保育園と療育の連携を目的として、保育園の近くに児童発達支援事業所をオープン。進学に備え、保育園と療育で情報共有し、連携して娘の様子を見てもらう意義を感じ、移籍。週1回午前中に個別療育+集団療育、療育後に保育園登園。それ以外に、仕事の状況等で付添いが可能な日に、午前中又は午後3時半頃~夕方まで個別療育+集団療育をスポットで月2~3回利用。事業所と保育園の先生は相互交流が定期的にあり、事業所の先生が保育園に様子を見に来てくれることも多かった。

東京都の療育センターのST指導

  • 保育園年長となり、進学先の判断のための発達検査等のために受診。
    視覚認知、手の巧緻性等の課題があり、読み書き等進学に必要な基本的要素に苦手さがあることを踏まえ、主治医の判断で、STによる文字の読み書き等の指導を月1回程度受けるようになる。

❹発達特性や障害のある子のための習い事

進学が近くなり、娘の課題も見えてきた中で、療育のみでは、娘の課題にフィットした内容として物足りなさを感じる部分もあり、障害のある子を受け入れている習い事も利用しました。
障害児向けの学習塾や体操教室は医師や児童心理士等の助言を聞いて自分で探して利用を開始しました。

もちろん、習い事については、娘に少しでも出来ることや楽しめることを見つけたいという思いで探した面もありました。

  • 公文(発達課題や障害の状況を先生に率直に伝え、実年齢より低年齢の子がやるレベルでも良いので、教室で学習に取り組む姿勢や文字や数字などの基礎学力を少しでも身に着けられるよう続けることを重視したと伝え、了解を得て通う)。

  • 知的障害・発達障害がある子どもたち向けの学習塾「発達支援教室エレファース」(手の巧緻性や視覚認知に苦手があるため、絵を描くことや文字の読み書き、基礎学力の定着など目的に入塾。とにかく娘が楽しく通っている。)。
    ※医師から、軽度知的障害の子にとって文字の読み書きや数字の構成など基礎学力が習得できるかは将来への影響が大きいと言われ障害児向けの学習塾を探してたどり着いた塾。

  • 知的障害・発達障害等の障害がある子向けの体操教室「スポーツひろば」(一般のスポーツクラブの水泳教室や体操教室は娘が通えず断念。こちらの教室では楽しんで続けられ、不器用だったが運動能力も向上)。
    ※水に顔をつけられなかったため、保育園年長からこちらで水泳の個人指導も利用。
    ※体操を続けることは、手の巧緻性などの手先の器用さなど発達全体に良い影響を及ぼすということで医師や心理士から助言され、続けてきた。

  • ピアノ(聴覚過敏な一方、耳が良く音楽が好きで覚えも良いので通ってみた。軽度知的~境界域の知能のため、ピアノは楽譜の読み取りや記憶など色々難しい面もある様子。)
    ※ピアノ教室は、障害がある子も受け入れる教室をネットで探した。先生には障害のことも話して、教え方や進度など配慮をしてもらっている。

  • 地元の合唱団(歌や踊りが好きで、かつ、軽度知的障害があっても楽しめると思ったこと、定型発達の子どもたちとも一緒に活動する経験もあった方が良いと思い、入団。発表会など経験できたが、進度が早くなり、本人に回避の気持ちが出てきたことや、進学に向けた療育や習い事の遣り繰りが厳しくなり、途中で断念)

進学先の決定までの経過

娘は現在保育園年長です。
上記のとおり、保育園と療育の併用、障害児向けの習い事などをしながら、進学先をどうするかこの1年は最後まで悩みました。今も自分の判断が正解だったか正直分かりませんが、様々な勉強をし、色々な立場の人に話も聞きに行き、娘の様子も見て、自分で判断したので、現時点ではベターな判断をしたと思っています。進学後は娘の様子を見て別の選択に切り替える可能性もあるかもしれませんが今はこの選択を親子で進んでいきたいと思います。
この経過や感じたことなどは後日しっかり書きたいと思っています。
今回は、簡単に進学先決定までの経過の概要のみ記載します。

  • 保育園年中後半 都内唯一の障害児を定型発達児と同じクラスでの受入れ(共同教育)のある私立小学校の授業体験、説明会等参加
    ※我が家の諸条件や娘の発達特性に合うかなど考え受験はしなかった。

  • 保育園年中後半 居住区の教育委員会に区の特別支援教育の実施状況や就学相談等を利用した場合の見通しや手続等について聞きに行く。

  • 保育園年長7月頃 居住区の公立小学校特別支援級を見学。

  • 同8月 就学相談申込み

  • 同9月~10月 発達検査(医療機関①田中ビネー、医療機関②KABC-Ⅱ)
    ※特に、KABC‐Ⅱでは、文字の読み書き、数字の構成理解など学習適応の能力や課題について今まで以上に分析ができた。

  • 同11~12月 発達検査のフィードバックを受ける

  • 同11月 地元学区域の小学校(支援級設置なし。普通級)の就学時検診を受ける。※区に確認し、進学先未定でもこちらで受けるようにとのこと。

  • 同12月 区の就学相談委員会に発達検査の結果及び保護者としての意見を記した文書を提出。

  • 同12月 区教委の就学相談担当者から、「支援級判定になるかもしれないが、保護者が普通級の意向で決めているなら、就学相談の申し込みを取り下げては(進学を希望する普通級の学校とは保護者が自分で交渉しては)」との連絡を受ける。「現時点で普通級の結論に傾いてきており、判定結果が支援級でもその結論は変わらないかもしれないが、支援が必要な状況は区も保護者も一致した認識であり、どの選択をしても必要な配慮を受けられるように学校と教育委員会と保護者できちんと話し合っていきたいので、その枠組みをつくるために判定とその理由のフィードバックを受け、課題認識を共有することは必要だと思うので、取り下げはしない」との意向を伝える。

  • 同12月末 就学相談委員会から、判定結果(支援級・知的障害固定級)とその理由のフィードバックを受ける。
    保護者としては、学区域の普通級への進学を希望することを伝える。
    ※判定理由で指摘された発達の課題の評価自体は親としても納得できる内容もあった。

  • 本年1月 区教委の支援級判定を受けても保護者が普通級への進学を希望する場合、保護者は学校との「合意形成協議」に参加する必要があると区教委から説明を受けたことに従い、学区域の学校、区教委、私たち(父母)で、合意形成協議を行う。
    保護者として、かなり悩んだ末に普通級を選択するに至った理由、娘の課題と今家庭で取り組んでいること、娘の課題を踏まえて学校に要望したい「必要な配慮」(板書能力が低かった場合に代替手段での板書情報の取得、必要に応じた宿題量の調整、座席の場所等の配慮など)等について伝える。
    学校から、要望内容であれば対応が可能であることと、娘に必要な一定の配慮を出来る限り実施して、受け入れる旨の回答を得る。

  • 同1月末、学区域の小学校への進学を決定する就学通知を受け取る。

続きます…

概略を述べるつもりが、非常に長文となってしまって申し訳ありません。
個別の項目についての詳細や、一連の過程の中での私の気持ちや考え(落ち込んだりしたネガティブな気持ちを抱えた時も含めて)などはまた追々まとめていきたいと思っています。
長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。




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