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リモキャンで「教育 x デジタル」をディスカッション

リモートキャンパス(リモキャン)さんで、再びオンラインで話す機会をいただきました。

オンライン教育は日本を救うのか

というお題で、高校生と保護者の方と教員であるボクがファシリテーターのもとでオンラインで対談していきました。

ファシリテータの一場さんが直ちにYoutubeにアップしてくださっているので、ご紹介します。声だけ出てます。

デジタル化で教育格差は?

デジタル化=ICT化として捉えましたが、これをしないと、ただただ差が広がるばかりだと。いわゆる点数で測る学力には、そんなに差はでないでしょうけど、人と世代を越えて繋がるとか、振り返えることができるとか、協働的な学びができるとか、自己をアーカイブ化できる・・・ってところで、見えない格差が大きく広がる(広がっている)んだろうということを話しました。

一緒に話していた高校生が起業していてってところで、高知県にはいないレヴェル感なんですよ。その時点で、見えない差があると改めて感じました。いわゆる点数で測る学力差は大したものではなくても、それと異なるBeingの部分で、差がありますね。

まなびを止めない環境づくり

ICT化は必須ですよね。学ぶ環境として。ランドセルよりも、タブレットかPCを購入する方向になればいいですよね。算数セットやら体操着やらドリルやらにお金をかけるよりも、ネット回線の費用に回すほうがよくないですかね。これまでとは違った考え方で、本当に必要なものはなんだったのかを捉え直すことが大事じゃないのかなと。

人間味を出すと叩かれる?

なんか、先生って完璧を求められてるようでしたね。ボクは自然体のゆるふわでと心がけてますし、なんでもできるわけがないので、先んじて「できない」と宣言するタイプです。

これを書いている時に思い出したことがありまして。

召喚獣である白川寧々氏とやり取りをしていたら、HeroMakersの最中に、ボクが生徒に対して『ゲーム?どんなゲームやってるのか自分なら普通に聞くけどな』って言った時の自然な感じを覚えていると伝えられました。そのときに、『「学校の先生」のステレオタイプを捨てる勇気がないと、それ出来ない』って気づいたと評されました。

ボクは教員としてではなく、1人のだたの人として接したいんですよね。人間味があるというか、人として接っしたいだけ。「先生は完璧である」とは遠くかけ離れたスタンスで、ステレオタイプを「ぽーいっ」て捨ててしまって、一緒に学びたいと考えているんだなと、あらためて認識しました。

そういえば、これは生徒から紹介されたゲーム。このキャラと似ていると。それをキッカケにゼルダの伝説を始めたわけで。人生にプラスの豊かさを与えてもらえたと感謝しています。

全員担任制について

オンライン化が進む中で、改めて問われているのは教員のあり方ではないでしょうか。どこで学ぶかは、オンラインでもオフラインでも選べるようになってきました。次は、誰と学ぶかにシフトしていくんじゃないでしょうか。

人気投票のようになるかもしれないですが、意外と子どもたちのほうが冷静に選びますよ。そういった世界にも身を置いていましたが、その状態に晒されることで、「どうしたらいいのか」をイヤでも思考します。

『担任ガチャ』の運ゲーからは、少しずつでも変わらないといけない時代ではないでしょうかね。

オンラインのありがたさ

地方に移住して、教員をするようになって、人との繋がりを広げるのが簡単ではない状態でした。(お前が言うなと言われそうですが)

この2か月間で、ありがたいことに、各所から声を掛けていただき、日本各地の人とのつながりを構築することができています。これって、オンラインのおかげだと感じています。

この他者と繋がる状態を、大人が独り占めしていてはいけないと感じています。児童生徒も、適切に人と繋がることをしてもいいのではないでしょうか。

「選ぶ」をしたい

オンライン・オフラインの二項対立でもないですし、これまで・これからの二項対立でものなく、学び方を選べる状態になればいいのにというのが登壇者たちの伝えたい根底にあることなんじゃないのかと振り返っています。

「どっちがいい」ではなく、「どっちでもいい」を学びの場に。ボクがしたいのは、こういうことなのかな。

いただいたサポートは、誰でも教員と会って話せる『会いに行けるセンセイ』の活動に利用させていただきます。