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探究する必要性

教科の人ではなく探究の人っぽく学校界隈で扱われてます。別に探究のメソッドを持っているわけでもありません。特に実績があるわけでもないです。

元からそういうことをしたかったわけでもないです。あるときから「知ることをやめてはいけない」や「知識は更新し続けないといけない」と強く感じるようになったかなと。

Did You Know ?

キッカケは、この動画を上司から見せられてからかなと。

大きな転換点となったある上司との出会いがありまして、新しく部署に来られて、最初の部会で、これを見たんじゃないかなと。

もう、10年近く前に見たので、内容は古いんですが、これを見て、感想を問われたんですよ。「どう感じました?」みたいに。指名されたのか、自分から発言したのかは曖昧なんだけどさ。

出てきた言葉

そのとき、ボクの口から出てきた言葉は「怖い」でした。これだけは、はっきり覚えてるんですよね。「怖い」って言った。

「ゾッとするとか、ザワザワするって意味合いの怖い」だと。そのときの感情もよく覚えていて、子どもに対して「どんな未来をデザインして、子どもの行く先を見定めたらいいんだろう」って。

知らないはコワイ

このときから「知らない=こわい」がボクにつきまとうようになりました。このころからインプットのために、外に出て行ったり、本を読み漁ったり、それまで以上に必死になった記憶がある。

知ったままはキケン

そして「知識を更新しない=危険」とも感じるようになった。こっちのほうが難しい。一度知ってしまうと、モノゴトを分けられるようになり、全体像がわかった「気」がするの。でも、社会の全体像は常に変化していて、わかったと思った時点で変化してるんですよね。だから、インプットと内省を繰り返していかないと真実にたどり着けないんだって。そのころから、実習に満足しきることができなくなってきたのかなと。

FACT FULNESS を読むとより感じますね。知っているつもりは、正しく見ることができない。むしろ間違ってモノゴトを見てしまう。

このままでいいのか

学校教育に携わって、教科の授業してると「これでいいのかな」って思い悩むことも少なくなく、新学習指導要領の「探究」が突破口になれるんじゃないかとわずかながらに期待をしているわけで。学校では、なかなかやりづらかった彼らの学ぶ時間を提供できるようになるところまできたので、これまでとは違う学びの必要性を丁寧に子どもと大人に伝えていきたいねって。

GIGAスクールの先

GIGAスクールってのは、ICT化するだけじゃなく、学校が全ての子どもにとっての出入り口を設けていいことだと信じています。なので、ボクもよりいろんなことをできるようにならないといけないなって。常に探究あるのみです。落ち着きがないようにも見えますが、学び続けないとじっとしていられない。だから、教員も学び続けましょ。なんのために?子どものために。

学校の中のみんなが学習者であれ。

いただいたサポートは、誰でも教員と会って話せる『会いに行けるセンセイ』の活動に利用させていただきます。