どうして手が出てしまうのか。

独白のようなもの。これを書いている今、とても気持ちが落ち込んでいる。どうにもうまく自分の気持ちがコントロール出来ない。辛い。普通に出来る事、当たり前に出来ること、が、私には昔からなかなかハイレベルな物に感じることは少なくなかった。

その一つが育児だ。

私の両親は共働きで、母は人知れず情緒不安定な所があった。ヒステリックともいうべきか。とにかく世間体を一番とする所があり、仕事での苛立ちや父に対する不満など、あまり人前で晒さない。話を振られても困り顔で流すようにして過ごし、反面、そういった母にとっての不快に感じる物事の受け皿として、私は役目を負うことがよくあった。

母は私の心を抉るのがとても上手だった。

言葉のハードパンチャーであり、日々の鬱憤を私にぶつけることがよくあったのだ。そんな母に育てられた私は思春期には程よく捻じ曲がり、穿った物の見方をする偏屈な人間へと成長した。今もこれは変わっていない。学生時代から友人も少なく、勉強も不得意で職を転々としてきた低学歴でもある私は惰性が大好きで、一緒にいてラクだから、と同じような生き方をしてきた男性とお付き合いし結婚した。

夫はとにかくギャンブルが好きでパチンコを愛し、けれどパチンコに愛される事はままなく、その為数多の諭吉を貢いだ。子供の児童手当もパチンコで静かに溶かす。クズだった。

自分の生き方が間違っているのは自覚しているが、とにかく現状余裕がない。余裕がないので自分の子供にも、言葉の刃を向けている事に気が付く。

今、母がしてきたことと全く同じ事を、私は自分の子供にもしてしまっている。

接し方が時々本当にわからなくなる。褒められたことがほとんど記憶にない。だからこそ自分の子供にはせめて優しく、褒めてあげようと思ってはいても、褒め方がよくわからない。言葉の難しさにも気付く。相手は幼児だ。意思の疎通をはかるために、単純で柔らかく解した言葉にして伝えるのは、とても難しかった。怒ることはとても簡単なのに。

こんなことをしてはダメだよ、と怒っても、次の瞬間また同じ事を繰り返す。幼児とはそんなもの、で割り切れる心の余裕がない。心のスペースが尋常ではなく狭いのだ。

そして肩を強めに押したり、頭を叩いてしまう。

加減はしても叩いた事実は覆らない。子供は泣くし、泣き声でさらに苛立つ。その場を離れ暫くして泣き疲れた頃にやっと「ごめんね」と謝るのも、最近になってようやく。ようやく私から出来るようになった。

思えば母から謝られたことはなかった。褒めることも難しければ、謝ることはもっと難しい。単純に経験不足でもあるのだ。


申し訳ない。

その一言に尽きる。今日は部屋を散らかして片付けず、テレビを見ながら勝手にお菓子を開けて食べていた。注意をしても生返事だけが返ってきて、それにとても苛立ってしまい、強い口調で怒り肩も強めに押してしまった。

子供は酷く泣き、何度もごめんねと謝ったものの、心がじくじく痛い。落ち込んだ。こんな母に育てられる子供が不憫で仕方ないし、こんな母で申し訳ないと心から思う。逃げ出したい。頼れる友人もいない。

夫は私と子供のやりとりを見ていたのにも関わらず、のんびりスマホを弄っていた。


クズめ。

次はゴキブリに産まれろ。

大嫌いだがスリッパでひと思いに踏んでやる。






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