無痛分娩不起訴からみる、妊娠・出産にまつわる医療裁判で戦う母親たちの声

本日、無痛分娩で死亡事件を起こし、再び不起訴になったニュースがあった。

遺族の気持ちは計り知れない。なぜ、という疑問が今後、一生続き、その問題を一生抱えながら生きていかなければならない。

私の周囲でも、妊娠・出産にまつわり医療裁判の話を聞く。みんなクリニックに非情な扱いを受けながらも、本当は辛い現実に目を背けたい、その心に蓋をして、果敢に裁判に挑むお母さんたちを身近にみてきた。

みんな口を揃えていうのは「今後、一人でも悲しむお母さんがいなくなれば」というもう、これ以上不幸を生み出さない。自分のためというよりか、これからのお母さんたちのために戦っている。

愛する我が子を失う母親、愛する我が子に障害が残った母親、そして、出産で命を落とすお母さんだって、いまだに年間約30~50人ほどいるのだ。

今回の不起訴のニュースでも、裁判の非情さを知っているお母さんたちだからこそ、やっぱりなという納得せざるを得ない諦めと、そして、またか、なんで、という疑問が入り交じっているはずだ。まだ、話は聞けていないが、これから、この事件に関して、どう感じたのか、聞いてみたいと思う。

私たち母親は医療に関しては素人だ、クリニックのせいでこうなったのか、それともこれは仕方のないものだったのか。それさえ、私たちは知るすべをしらない。だからこそ、クリニックを恨む。それしかないのだ。でも、もし、そこで、クリニックは誠心誠意頑張ったけれど、というのがわかれば、お母さんの気持ちは違う方向へ向かうはずだ。曖昧にされると、さらに疑心暗鬼になってしまう。

私自身も子供に障害が残った際、やはり病院を恨んだ。でも、裁判で勝てるような内容でもなかったし、あのときという思いは消えるものではないが、自分を納得させながら今、目の前の我が子と向き合っている。

辛い妊娠・出産をしたお母さんは、誰しもが通る道だ。なんで、どうして、我が子が、逃げたい、消えたい。でも目の前には現実が待っている。逃げられないのだ。そうすると、受け入れるしかない。すぐには無理だ。何年も係る。何十年かかる人もいるだろう。そして、受け入れられず、施設に預ける人もいる。

みんな、蓋をしているのだ。蓋をしながら、何事もなかったように、我が子と社会生活を歩んでいる。でも、根底では、なんで、という気持ちは常に持ちながらだ。でも、無情にも月日が流れ、社会でこの子と生きて行かなければならないのだ。そうするとその気持ちに蓋をして生きていくしかないのだ。

でも、原因がわかれば、自分を責めることもあるかもしれない。でも、納得して前へ進むことができる。クリニックに非があり、原因を曖昧にされると、気持ちの蓋も緩くなり、生活にも支障を来たすのだ。でも、クリニックは逃げようとする。きらびやかな食事、きらびやかな施設、きらびやかな妊婦教室。その施設の裏側には、裁判を抱え、真摯に向き合わないクリニックは一定数あるのだ。

今回の無痛分娩の不起訴も。遺族の気持ちは計り知れない。

私にできること、それは、この記者と同じく、世の中で辛い思いをしているお母さんたちの声をすくい上げ、社会に反映させていきたい。そして、これからのお母さんたちの何かを考えるきっかけになればいいと心から思う。



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