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散文日記「トイザらスキッズの裏切り者」

・朝ご飯を食べなかったのでデスクワーク中たべっ子どうぶつをつまんでいた。食べ切ったところでふと気づいた。僕はたべっ子どうぶつを食べている間、一度もビスケットに描かれたどうぶつを確認しなかったのだ。ビスケットに描かれたどうぶつを確認せずに口に運ぶほど僕はつまらない大人になってしまったのか。気を抜くと童心を忘れてしまいそうになる。「大人になんて なりたくない〜♪」とトイザらスキッズだった頃の僕は高らかに歌っていたというのに。このままでは裏切り者になってしまう。来週、実家に顔を出そうと思う。

・歌を人前で歌うことができない。小学生の頃、音楽の授業の歌のテストが嫌で嫌で仕方なかった。出席番号順に2人ずつ教壇に立って「手のひらを太陽に」を歌わないといけない。「ぼくの血潮」のキーが高すぎて喉が細くかすれていく様をクラスメイトに聴かれなくちゃいけないという公開処刑がトラウマで、いまだにカラオケすら行けないし、音楽そのものをあまり聴かない。皆も(特に男子は)音楽の授業が嫌だった筈なのに、大人になったらカラオケが平気になるのが不思議だ。人前で歌うことには違いはないのに。

・渡辺さんという苗字の人に会うと、「この人、学生のとき出席番号最後だったんだなぁ」としみじみ思ったりする。もしかしたらもっと後ろに「綿貫」さんとか「渡」さんとかいたのかもしれないけど。何事も大トリはカッコいいと思う派だけど、出席番号の大トリを保証されている渡辺さんは羨ましい。

・ドラマの「渡る世間は鬼ばかり」が定着しすぎて、そっちの方が耳なじみが良くなってしまい、元々の「渡る世間に鬼はない」ということわざがパチモン臭く感じてしまう。似たような話で、2000年代に流行ったおもしろフラッシュ倉庫の「ドラえもんの歌」の方が先に知ってしまったものだから、本来の「ドラえもんの歌」に違和感を覚えてしまう。「まーるかいてチョン」よりも「まーるかいててー」の方がしっくり来てしまう。今までも、そしてこれからも。

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