何者

 大学生というのは、「モラトリアム期間」と称されることが多い。モラトリアム期間とは、簡潔に言えば大人になるための準備期間というような意味だ。

では、大人になるための準備期間とはなんなのか。準備期間というだけあって大学生以前と以後では何かが違い、準備しなければならないくらいの大きな違いなのだろう。

その大学生以前と以後の違いはあらゆるものが挙げられるだろう。その一つに、「勝手に何者かになれるかと自分自身で何者かにならなければならない」という違いがあるのだと思う。

大学生以前では、僕らは勝手に何者かの役職が与えられていた。「小学生」「中学生」「高校生」「受験生」というようにただ生きているだけで何者かになっていた。

しかし、これからは何者かの役職が勝手に与えられることはなく自分自身で何者かにならなければならない。一応、僕は来年から社会人という役職につくが、これは就活を経て掴んだ役職であり、社会人になった後もダラダラ生活していては「解雇」という形で社会人という役職を外される。

結婚して夫という役職、子供が産まれて父親という役職、そのどれもが自分で掴みにいかなければならない。

こんな話をしていると、「何者かに必ずしもなる必要はない」というようなことをおっしゃる方もいる。今の僕はそんな達観した考えは到底持てない。とりあえず何者かになって社会に必要とされていると思いたい。だから、ひとまず「君には固有の名前があって、君にしかない個性があるんだよ」というような綺麗事は置いといて、どうやったら何者かになれるかの話をしたい。

話は脱線したが、これからは自分で何者かにならなければならない。しかし、これは裏を返せば自分自身が何者にでもなれるということだ。だから、この何者にでもなれる自由さが楽しみで楽しみでたまらない人たちも多くいるだろう。

が、今の自分は楽しみよりも不安が勝つ。楽しみで仕方ない人はこれまでの人生で引け目を感じることがほとんどなかったのだろう。僕は引け目しか感じなかった。学生時代、1軍と呼ばれる人間たちは当然のようにクリスマスに恋人とデートをしていた。僕はそんなものに関われた試しがない。だからこそ、受験期の時には「受験生」という役職がありがたかった。受験生であればクリスマスにデートしていなくてもさほど変な目で見られない。周りから「クリスマスの日も勉強をして彼は受験生の鏡だ」と肯定的な目で見られることが多かった。しかし、これからは「彼女がいる者」にならなければ肯定的な目では見られない。

これと同じようなことがクリスマスに限らず、あらゆるものに当てはまるだろう。何者かにならなければ、世間の流れからはみ出してしまい、否定的な目で見られることが多くなる。

もう一度言うが、「周りの目を気にしない生き方を目指しましょう」というような綺麗事は一旦置いといてほしい。

では、何者かになれるかという不安はどうすれば消えるのだろうか。残念ながら、さっぱり分からない。それが分かればどれだけ楽だろう。

ただ、一つ分かっていることは何も動かずにただ頭の中で考えているだけでは何者にもなれないということだ。何者かになろうとしている人を嘲笑っていては一生何者にもなれない。

だからこそ、動くしかない。もがくしかない。何者かになれると信じて。


そんなとき、僕は「何者かになりたくてひたすらもがく者」になれているのだろう。

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