哲学を学びたい

 前回のnoteにも書いたが僕はアニメと漫画を通ってきていない。そして、友人との会話についていけるようにアニメと漫画を勉強することにした。しかし、学校の授業のように半ば強制的に行う勉強は続かない。アニメや漫画であってもだ。

裏を返すと逆のことも言える。アニメや漫画でも強制的に行うと続かないが、学校で習う歴史や倫理などを強制的でなく自主的に学びたいと思えば続くのだ。

僕は最近、学びたい欲が強い。

高校のときあれほどつまらなかった倫理の授業も、今では「哲学学びたい」と思い、先日Amazonで哲学の入門書を購入した。


子供の頃、父親がよく歴史書を読んでいた。僕は子供ながらに「そんな本読んで何が面白いんだ」と思っていた。しかし、今では父親の気持ちがわかる。なんなら、同じ本を読みたいという気持ちすらある。

大人になるにつれてあらゆる分野を学びたくなるのだろうか。これから歳をとるごとにもっともっと学びたくなるのだろうか。

今、哲学への学びたい欲が上がっているが、もし仮に高校時代にタイムスリップして倫理の授業を受けられることになったとしてもすぐ嫌になって勉強しなくなるだろう。自由に自分がしたい時に勉強できるからいいのだ。哲学の入門書を購入したが、1日◯ページ読むといったルールを一切決めていない。日によっては入門書を全く読まない日もある。これが、毎日20ページ読むといったルールを決めた途端に哲学を学びたい欲が一気に冷めてしまうだろう。

高校生の時、大学に入ったら中国語を習得してやると思っていた。しかし、蓋を開ければ中国語なんてマスターできず、単位をかろうじて取るだけであった。

でも、これは僕だけでなく他の人たちもそうだろう。自主的に行うTOEICにはやりがいを持てるが、強制的にやらされるTOEICほどつまらないものはないだろう。

やはり、勉強というのは強制的にやらされても内容が身につかない。だから、時間割が決まっていて今日はこの教科を勉強しなさい、という学校のシステムでは勉強したいとも思わないし学習内容も身につかない。勉強欲がずっと続くような生徒はもともとその分野を知りたく、週2時間の授業では逆に足りないと思っていた子くらいだろう。

しかし、学校に行っておいてよかったことが一つある。それは、例えば哲学を学びたいとなったときに、どう学べばいいかを勉強できたことである。高校時代の倫理の内容はほとんど覚えていないが、どう勉強したらいいかは覚えている。だから、哲学を学びたいとなってもどう学べばいいか理解しており、すぐに行動に移せた。

しばしば、世間で「なぜ学校に行かなければいけないのか?」という問いが議論されるが、これこそが答えなのではないかと僕は思う。


そして今の、学校に行かずとも自主的に学べる環境がありがたい。

本屋に行けばその分野の本がズラリと並び、YouTubeには迷うほどの解説動画が存在している。

自分さえ学びたいと思えば、いくらでも学べる環境にいるということをもっともっと感謝しなければいけない。僕はこの学びたい欲がなくなるまで本なり動画なりを使ってあらゆる知識を吸収していきたい。


そもそも、哲学とは「世界の根源や本質を見極めるための知的探究的な取組み、および、その知的探究を方法的に進めるための学問」らしい。そして僕は、哲学を学びたいと思ったことにより、「なぜ学校に行くのか?」という問いの答えを自分なりに出せた。

哲学を本格的に学ぶ前に哲学にたどり着いたのかもしれない。。。



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